浄水場の魔物たち①
春樹が浄水場の広大な敷地内に入って間もなく、早速に2匹の魔物に出くわした。
猩猩という名のその魔物は、一見すると大きめのサルの姿をしているが、剥きだした牙はまるでネコ科の猛獣のようであり、その爪は先端がアイスピックのように鋭利に尖っている。
各地方の古い文献に多くの目撃例が記載されている妖怪であり、一般的には船を転覆させる者として描かれることが多い。
(ショウジョウ。確かレベル5だったな。ここは節約したい)
まだ敷地内に入ったばかりの春樹は、どれくらいの魔物が潜んでいるのか分からない現状ではあまり派手にMPを消費するわけにはいかなかった。
MPは基本的に、レベルが上がってもその最大値が増加することはなく、100ポイントが上限になっている。
それに対して春樹の能力は非常に多くのMPを消費してしまうため、そうそう連発できるものではなかった。
現状では低級の魔物であるガルムを召喚しただけでも30ポイントのMPを消費してしまう。
MPは時間経過によって回復するが、約2秒で1ポイントの回復量であるため、MPを使い切れば完全回復までは200秒、つまり3分20秒を要することとなる。
また、各スキルには前述のとおりCTが設定されており、一度使ったスキルはMPの有無にかかわらずしばらく使えなくなる。
ちなみにガルム召喚におけるCTは約20秒程度である。
召喚の際に消費するMPはレベルやスキルの熟練度が上がれば緩和される。
一方、自分のレベルより高レベルな魔物をその身に宿すと、暴走する危険性がある上に、MPの消費量は100を超えてしまうこともある。
ナイアーラトテップ戦の際にレベル23の魔物である赤鬼を召喚した春樹は、約一時間40分もの間、MPが枯渇したままの状態になってしまい、歯がゆい思いをした。
これが東組の進行が遅れた要因のひとつでもあった。
あの時点では、赤鬼召喚の消費MPはなんと3000ポイントであった。
それゆえに完全回復までに6000秒(一時間40分)もの時間を要したのだ。
「我が脚に宿れ。ゴブリン」
春樹が選んだのは最も消費MPの少ないゴブリンの召喚だった。
消費MP10で、脚力が10%アップする以外に特別な効果は無い。
ショウジョウたちは歯茎を剥きだして威嚇しながら春樹の周りをぐるぐると周り始める。
春樹は途中まではそれを冷静に目で追っていたが、二匹がちょうど右手と左手の真横に来たあたりで、ふっと視線を足元に降ろした。
その瞬間、二匹のショウジョウは彼の両脇から同時に跳びかかる。
「やっぱりか」
タイミングを見計らって高く跳び上がっていた春樹は、何かを確信した様子で二匹を見下ろしていた。
二匹は寸前のところで躱されたせいで、勢い余って互いの爪を互いの胸元に突き刺してしまっていた。
「思った通り、隙を見せると跳びかかってくるらしい」
春樹はそう呟いて、もつれ合ったまま消えゆく猩猩たちを憐れんだ。
『魔物は何かしらの規則性、法則性をもって行動する』
それが春樹の持論だった。
MMO(大規模同時参加型オンラインロールプレイングゲーム)を趣味としていた春樹は、こういったアルゴリズムを観察・分析し、魔物を『攻略』することを好んだ。
『ショウジョウたちは隙を見せると跳びかかってくる』
特別な法則性を見つけたことに対して、春樹は満足げに頷く。
『隙を見せると襲われる』などというのは戦闘においては当たり前のことではあったが、彼がこれまでに出くわした低レベルの魔物はどれも、隙があろうが無かろうが思いのままに跳びかかってきていたことを思えば、やはり特別な発見と言える。
郡部へ向かう道中に出くわしたショウジョウたちも、明らかにこちらの様子を覗ってから行動するふしがあったために、試してみたのだった。
だが、それにしても、春樹は自分自身の感の良さが、ゲームの経験や洞察力の高さに起因するものではないような気がしていた。
魔物を一目みれば、その行動の予測が立ってしまう不思議な感覚が以前よりあった。
赤鬼と戦った際には、いっそその弱点まで手に取るように分かってしまったことが、彼自身ずっと気にはなっていた。
春樹はしばらくうんうんと唸って自分の頭を疑っていたが、ハッと本来の目的を思い出し、慌てて施設内の探索を再開した。
(ひー、ふー、みー、……。こっちは6匹か、多いな)
春樹は、学校のプールよりもよほど大きな水槽が整列している広大な敷地内を、壁に張り付いて顔だけを覗かせながら観察していた。
餓鬼、ガルム、ショウジョウ、それと見たことのない鷲のような姿の魔物が3匹、春樹の視線の先でそれらは何かを探る様に徘徊していた。
なにより気になるのは正門の前に陣取っている巨大化したスプリガンの姿だった。
昨日、池本たちを襲ったこのスプリガンは、遠目には可愛らしい小人の姿をしているが、人が近づくと巨大化する性質を持っていた。
スプリガンが巨大化しているということは、その近くに人間がいるということだ。
春樹はよくよく目を凝らして、正門の外で息をひそめている達也たちの姿を見つけた。
スプリガンはまだその存在に気が付いていないようであったが、達也たちは身動きをとることができず門の外壁に張り付いていた。
正門はきちんと閉まっているようであるから、おそらくこの魔物たちは敷地内に直に湧いたのだろう。
どうしたものか。
春樹は一旦顔を引っ込めると、IFを立ち上げて召喚可能な魔物の一覧を目でなぞる。
(そういえばまだ試してなかったな。これでいくか)
春樹は一覧にあったショウジョウ召喚の説明文に目を通すと、顔を上げて敷地内を闊歩する魔物たちに視線を戻した。
「大丈夫かな、天羽くん」
麻衣は外壁の陰にしゃがみ込んで、正門の鉄格子の隙間から中の様子を覗っていた。
「あいつならよっぽど大丈夫だとは思うけど―――それより俺たちがヤバいな。スプリガン苦手なんだよなぁ」
達也は壁に背を張り付けて、門の向こうできょろきょろと辺りを見回しているスプリガンから全力で身を隠していた。
スプリガンに脇腹を噛み千切られそうになったときのことを思い出して、達也は改めて身震いした。
一方、他の生徒とその保護者はよくわからないまま二人の言うとおりに後方で姿勢を低くして息をひそめている。
「えっ……。あれって……」
麻衣は思わず声を上げそうになって、慌てて口を両手で塞いだ。
「何やってんだぁ、天羽のやつ?」
達也も麻衣の視線の先を辿ってそれに気が付くと、呆れたような声を漏らした。
二人の視線の先では、春樹がスプリガンの背後へと抜き足差し足に近づこうとしていたのだ。