レベルアップ①
兼光たちは生徒の集まっている多目的教室へ戻るべく、走り出していた。
宝木桜は熱が下がらず辛そうにしていたが、あのまま美砂と保健室に孤立させておくのは危険すぎるという話になり、薬師寺がその背中に背負って連れてきている。
「ヤクマン先生……汗臭いです……」
桜は薬師寺の背中で小さく呟いた。
「臭いとはなんだ、宝木」
とは言ったものの、薬師寺は確認のためにと、走りながらも器用に自分の脇の臭いを嗅いで、顔をしかめる。
「あっ、本当に臭い。体がしんどいのにごめんな宝木」
「我慢しなはい桜。わたひも我慢してるんはから」
並走していた美砂は遠慮なく自分の鼻をつまんでいる。
「腹立つやつだなほんと……!」
美砂のむき出しの悪意に対して、薬師寺が腕を振り上げながら抗議する。
「やめないか。先生に失礼だろう」
先頭を走る兼光が振り返りながらそれを諫める。
と同時に、鼻の奥に丸めて詰めておいたティッシュペーパーが勢いよく飛び出してしまい、兼光はバツが悪そうに唇を噛んだ。
「おめぇが一番失礼だわ」
薬師寺の怒声をよそに、兼光は階段を二段飛ばしで駆け上っていった。
「みんな無事か!?」
兼光が勢いよく多目的教室の扉を開く。
一見した限りでは魔物が入り込んでパニックになっている、というような空気ではなく、兼光はほっと胸をなでおろす。
しかし、窓際に張り付いてなにやら熱心に中庭の方を見ていた生徒たちが兼光に気が付いて、慌てて彼の袖を引いた。
「会長、あれ見て! やばいよ!」
訳が分からないうちに、半ば男子生徒に引きずられて窓際に立つ兼光。
生徒の指さす先に目を向けると、わずかに残った夕日を背景に、中庭で二つの球体が宙を舞っているのが見えた。
よくよく目を凝らしてやっとそれが『人の頭』だと認識できたとき、兼光は青白い顔をして目をむいた。
そう、殺された剣道部の二年生、澤本と神田の遺体を小人たちが弄んでいることに、兼光は気が付いてしまった。
時にそれが地面に落ちてさらに惨たらしい姿になると、小人たちは一層喜んで飛び跳ねた。
「健吾と梶浦はどうなった……?」
兼光は震える唇で絞り出すようにして言う。
「分かんない。渡り廊下の屋根のせいでよく見えなかったんだ。でもあの様子じゃ……」
ずっと窓の外を見ていたらしいその男子生徒が答えると、兼光はしばらく黙り込んだあとで木刀を握りしめて立ち上がる。
普段の彼からは考えられないような、怒りに満ちた形相を滲ませながら。
「許せない……許せるわけがない!」
床板を踏み破りかねない勢いで走り出す兼光。
「おい、会長を止めろ!! 一人で突っ込む気だぞ!」
男子生徒の呼びかけに、柔道着を着た数人が近くまで詰め寄るが、兼光が睨みつけるとあっというまにたじろいで道を開けてしまった。
もはや彼を止める術は無い。
かと思われたが、教室の出口まで来たところで彼は突然に足をからめ捕られて、廊下の床につっぷしてしまった。
「はいそこまで」
美砂だった。
美砂はうつ伏せている兼光の正面にゆっくりと回り込むと、両腕を組んで仁王立ちをしてみせる。
兼光は体を少しだけ起こしてから彼女を睨みつけた。
が、彼は直ぐにそれを後悔することになる。
「へー、良い目してるじゃない。えぐりたくなるわ」
骨の髄まで浸透していた彼の怒りの一部が、恐怖とトラウマにすり変わり始める。
苛立ちを浮かべる美砂の表情は、小人に拷問をしていたときのそれと同じであった。
兼光がいくらか大人しくなったことを察した美砂は、深くため息を吐き出したあとで彼の腕を掴んで無理やりに引き起こした。
「べつに良いんだけどね。あんたがどこにいこうが何をしようが。でも止めろって聞こえたからつい、足がでちゃっただけよ」
「後輩が……殺されてたんだ。もしかすると健吾と梶浦も……」
美砂の隣でその成り行きを見守っていた薬師寺は、再び死者がでたことを知って青ざめていた。
しかし美砂は眉ひとつ動かすことなく「そう」と、そっけなくそれを流してしまった。
「あんた、何しにこの教室に来たのよ」
美砂は薬師寺の背中から宝木桜を降ろすと、教室の壁にもたれ掛る形で座らせながら兼光に問いかけた。
「あのぶっさいくな化け物がうろついてるかもしれないから、ここの連中を守りにきたんじゃないの?」
「ああ、そう……だったね」
兼光は自分に言い聞かせるようにそう呟いたが、木刀を握りしめるその手は指先まで白くなっている。
「まあいいわ、行ってきなさいよ。何しに行くのか知らないけど」
美砂は呆れた様子で兼光の元を離れると、壁にもたれかかって苦しんでいる宝木桜の隣に腰を降ろした。
「なあ、あれ、大喜多くんと梶浦じゃねえか!?」
窓の外を眺めていた生徒の一人が再び声を上げた。
「絶対そうだよ、部室棟の3階の窓際! 会長、大喜多くん無事だぞ!」
遠方にわずかに覗く部室棟の窓辺に見えた白い人影は、確かに野球のユニフォームのように見える。
兼光もそれを見つけると、じっと眺めたあとで「良かった……」と小さく呟き、瞼をぎゅっと閉じた。
部室棟3階。
武器になりそうなものを探していた大喜多健吾と梶浦徹は、両手いっぱいに獲物を抱えて階段を一段ずつ慎重に降りていた。
「よし、こんなもんかな」
「ですね」
部室棟の一階まで降りた彼らは、両手に抱えたそれらを古びた手押し車に乗せて適当に紐で縛り始める。
バット、テニスラケット、弓道の弓矢の他、ノコギリや包丁のような刃物までそこに乗せられていた。
部室棟は技術室や家庭科室のある第二校舎と繋がっていたため、この手の刃物を確保することができた。
「あとはどうやってこれを校舎まで運ぶか、だな」
「外の渡り廊下はまだ奴らがうろついてますね……くそ、あいつら……」
梶浦はそう言って、いまだに友の亡骸を弄んでいる小人たちを恨めしそうに見つめる。
その数は推定で15、6匹。
手押し車を押しながら振り切れる数ではなさそうだった。
「あっちの校舎は俺たちが開けた扉以外は全部鍵がかかってるはずだから、別のルートっていうのも無理があるし」
「多目的教室の皆はこちらに気付いてくれていたようですが」
「かねみっちゃんのことだから、きっと俺たちを救助する相談をしてるところだろうけど、できれば俺たちでなんとかしたいな」
「同感です。俺たちのためにまた人が死ぬのは見たくないです」
「急がないとあっちの扉が開いていることに気付いて、奴らが校舎に入っちまうかもしれないし……いっそ強行突破するしか」
健吾がそう言いかけたとき、突然ガラス扉の向こうではしゃいでいた小人たちの動きがぴたりと止まる。
そう、止まったのだ。
嬉々として飛び跳ねていた小人が、空中でぴたりと。
「な、なんだぁ!?」
「う、浮いてますね……」
時間が止まってしまったかのように空中で固定されている小人たち。
「よくわからないですけど、チャンス……なんでしょうか?」
「よし、い、いってみるか……」
健吾が促すと、梶浦はごくりと喉を鳴らしてから頷いた。