切り取られた山脈
「南組、来ましたよ!」
風町外科医院の5階から窓の外を眺めていた宝木桜が叫ぶ。
眼下では、高徳高校の学生70名とその家族、道中に合流した一般人、市民ホールに避難していた者たちなどを含むおよそ300名が長い列を成して、風町医院へと向かっていた。
「僕らで最後かな?」
受付ロビーに到着した兼光が、早速駆け寄ってきた健吾の肩を叩いてから尋ねた。
ロビーは南組の中に友人や親族の姿を探す人々であふれかえり、ある者は凶報に涙し、またある者は再会に歓喜していた。
「いや、東組はまだ自宅めぐりが終わってないみたいでさ。たぶん夕方くらいになるってさ」
「そうか。他の皆は無事かい?」
「怪我した奴はちょいちょいいるみたいで、風町さんのお兄さんが今治療してくれてる。でも、とりあえずは今日になってからは誰もやられてないみたいだ」
兼光はほっと胸をなでおろした。
「―――ところでかねみっちゃん、アレを見たか?」
「ああ、見たよ。有りえないね。上の階からもっとよく見てみたいな」
「案内するよ、行こう」
健吾が足早に歩き始めると、兼光は行く先の壁際に腕を組んでもたれ掛かっていた正義に一瞥してからその後を追った。
5階まで上がると、風町美砂と宝木桜を含む5,6名の女子が食い入る様にして廊下の窓から外の景色を眺めていた。
「やあ、皆。元気そうでよかった」
兼光が声をかけると、それぞれが向き直って会釈をしたが、すぐに視線を窓の外へと戻してしまった。
「会長様か。あんたは元気なさそうね」
美砂が見透かしたようにそう言うと、兼光は「そんなことないよ」と、慌てて取り繕った。
「三島さんは一緒じゃないのかい?」
「朱音ちゃんなら、『もっと近くで見てくる~』とか言って出て行っちゃったよー」
兼光の問いかけに、桜があんまり似ていない朱音の物まねを披露しながら答えた。
「一人で? 大丈夫かな……。まあでもあの娘なら大丈夫か」
健吾はあっさりと気を取り直して窓辺の向こうの景色を指さす。
「あれだよ、見ろよかねみっちゃん。ほんと、綺麗に無くなってるぜ」
健吾に促されて兼光も隣に並ぶ。
、兼光は久しぶりに見る県境の山並みを、懐かしむでもなく唯々茫然としながらしばらく眺めた。
というより、懐かしむべき対象がすっかりと姿を消していたのだ。
以前、剣道部の合宿で訪れたときに駆けたいくつもの美しい山々が、どれもこれも、4合目あたりから上の一切を失っていた。
まるで、切れ味の良い包丁で真横にすっぱりと切り捨てられたかのように、なめらかな断面をさらけ出している。
切り取られた山々の断面はどれも高さが揃っており、ひとつながりの台地を形成していた。
「あれだけ広大な台地があれば、町の一つや二つは本当に作れてしまいそうだね。クラッカーの言ってたことは与太話じゃあなさそうだ」
「ほんじゃあ、出発の準備をしながら東組を待とうぜ」
健吾がそう言って窓辺を離れようとしたその時だった。
「ねえ、あれってもしかして―――まずいわね」
一つ隣の窓辺にいた美砂が、そう言い残して突然に走り始めると、桜もすぐにその後を追いかけた。
「な、なんだあ?」
健吾と兼光は二人の背中を茫然と見送ってから視線を窓の外に戻す。
よくよく観察してみると、風町医院に続くアスファルトの公道を、誰かがふらふらと体を揺さぶりながら独りで歩いてくるのが目に入った。
どうやら負傷しているらしく、遠目にも体を庇った歩き方をしているのが見て取れた。
それがどうやらセーラー服を着た女生徒であることを察した兼光と健吾も、すぐに窓辺から離れて階下へと急いだ。
「ちょっと、何があったのよ!?」
電源の切ってある正面玄関の自動ドアを力任せにこじ開けると、風町美砂は厳しい口調とは裏腹に労わるような優しい手つきで、朱音の背にそっと触れる。
左の肩口を押さえている朱音の右手の平は、ブラウスもろともすっかり鮮血に染まっていた。
「ごめん……しくじっちゃった」
ばつが悪そうに苦笑する朱音の表情には、いつもの余裕がまるで感じられない。
スカートも所々が鋭利な刃物で切られたように裂けており、そこから覗く素足は擦り傷と泥にまみれていた。
宝木桜はその姿を見るや否や、大智を連れて来るべく走り始める。
やっとその場に到着した健吾と兼光が桜にぶつかりそうになって慌てて身を引いた。
「アカネ! ダイジョバナイ!?」
たまたまそこに居合わせたライアンも、珍しくポーカーフェイスを崩して露骨な焦燥を浮かべている。
「ダイジョブ、ライアン アリガトウ」
朱音は顔中から汗を滲ませながらも、ライアンの調子に合わせて虚勢を張るが、すぐに激痛に奥歯を噛みしめた。
「取りあえずソファーに寝かせるわよ」
美砂が言うと、兼光と健吾はすぐに人垣を払って待合用のソファーへの道を開けた。
「これで取りあえずは大丈夫だろう。鎮痛剤ももう少ししたら効いてくるから、安静にするんだよ」
あれからすぐに駆け付けた大智が、手際よく朱音の肩の傷を処置した。
よく洗浄してから麻酔をかけ、縫合し、抗生物質と鎮痛剤入りの点滴を取り付けた。
その他の細かい傷に関しては、美砂に軟膏やガーゼ、包帯などを手渡して任せてしまってから、看護師と共に忙しそうにその場を去って行った。
はたから見れば大怪我であるが、きっと外科医の大智からすれば命に別状がない、軽傷なのだろうとすぐに察して、美砂は胸をなでおろした。
「ごめんね、美砂ちゃん。大騒ぎになっちゃって」
朱音はその腕に包帯を巻いてもらいながら、面目なさげに詫びた。
「いちいち謝らなくても、あんたはいっつも大騒ぎじゃない。―――ポーションがあればあっという間に治るのに」
「ううん、ありがと。包帯お揃いだね」
エキドナと戦った際につけられた肩の傷がまだ癒えていない美砂も、確かに同じ場所に包帯を巻いていた。
美砂は呆れて朱音の額をかるく指先で弾いてから、かすかに微笑んだ。
側で見ていた桜がいくらか焼いて、頬を膨らませていたのは言うまでもない。
「それにしても、あんたがこんなにコテンパンにされるなんてね。何があったか、話せる?」
美砂が手当の手を止めることなくそう尋ねる。
「うん。えっとね―――」