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正義の在り処⑧

 そのころ、A棟の大会議室で体を畳んで眠っていた斎藤兼光は、尿意を覚えて目を覚ました。


 この一室で100名余りの南組の男性陣が体を横たえているため、足の踏み場に気を付けながら、起こさぬようにと静かに部屋をでた。


 トイレで用を足し終えて、吹き抜けから階下を見下ろす。


 エントランスでは見張り役の中年男性が二人、長椅子に腰を掛けて小声で談笑しながらも、その目はガラス張りの大扉の向こうを見据えていた。


 世界改変以降、ここに避難をした人たちは岩城正義と同じ第二会議室に身を寄せており、そのほとんどがこの辺りの商業施設で働く勤め人であった。


 彼らは昨晩もこうして交代で見張りを立てて、助けを求める声が聞こえれば、正義と一緒に飛び出して魔物と戦っていたらしい。


 もっとも魔物のほとんどは正義が片付けてしまうため、他の者は討ち漏らしを多人数で処理するのが主な仕事であったようだが。


 後輩の服部彰はっとりあきらからそう聞いていた兼光は、見張り役の大人たちの背中に向かって頭を下げると、自分も構内の見回りをしてみようと思い立って歩き出す。




 そして兼光はA棟とB棟をつなぐ二階の渡り廊下で、出くわしてしまう。


 岩城正義と、若松の子分である柔道着姿の少年にだ。


 正義は少年の首筋を握りつぶしながら釣り上げて、渡り廊下の手すりから彼を捨ててしまおうとしている最中だった。


 少年の両腕、両足は本来曲がるわけのない方向に折れ曲がっており、その顔面は頬が陥没して不格好に歪んでいた。



「岩城さん、これは一体どういうことです?」



 兼光の声に気が付いた正義は、慌てることもなく少年を吊り上げたまま涼やかな笑みを浮かべる。



「君は確か、斎藤君、だったね。良い夜だねえ、月がとても大きく見える」


「ふざけないでください。彼を下ろしてください」


「すまないね、斎藤君。残念だが、この少年はここから外に捨てることになっている」



 正義は物腰こそ柔らかであったが、兼光にはそれが余計に恐ろしかった。  



「なぜそんなことを?」


「彼ともう一人の柔道着の学生が、ここの女性職員を襲っていた。そこの奥のB棟でね」


「そんなまさか……」



 兼光は相当混乱していたが、何を差し置いてもまず、少年を助けることだけに集中しようと思い直す。



「お願いです、彼からもちゃんと話を聞きたいんです。彼をこちら側に降ろしてください」



 兼光の懇願に対して正義はしばらくうーんと考え込んでいたが、しぶしぶ少年を床の上に落とした。


 首を絞められて意識を失いかけていた少年だったが、まだ事切れてはいなかったようで、か弱い呼吸を始める。


 四肢が折れ、上あごがひしゃげ、起き上がることも喋ることもできない彼は、兼光の存在に気が付いて、呻きながら涙を流した。



「この少年の名前は知らないが、もう一人は確か、若松と呼ばれていたかな」


「その若松はどうしました……?」



 兼光はこのとき、服部彰から聞き及んでいた「職員殺し」のことを思い出していた。


 服部たちを見殺しにしようとした職員を正義が外に放り出したあの一件だ。


 もしかすると若松はもう殺されているのではないかという嫌な憶測が、兼光の頭をよぎっていた。


 そしてどうやら、その憶測は当たってしまっていたらしい。



「外に放り出しておいたから、もうとっくに化け物の腹の中だろうね」



 正義は足元に這いつくばる少年の背を踏みつけにしながらそう言って微笑む。



「もしあなたの言うことが本当で、彼らが罪を犯したとしても、それ以上はもうやめてください」



 兼光が怒りと恐れの混ざった瞳で正義を見つめる。


 

「斎藤君、君はこの犯人をどうするつもりだ」


「ムカデを倒した時に手に入れたポーションという傷薬があります。それで治療します」


「あーあの薬か、知っているよ。やめておきなよ、強姦魔なんかにそんな貴重なものを使う価値はない」


「それでも、命は命です。罪を犯した人間にも人権はあります」



 正義はこのとき、「不味い」と思った。


 目の前の少年は思考が停止している。


 およそ教科書通りの道徳を強烈に信仰しているのだろう。


 そんな彼が200人前後の団体を率いているというその状況が極めて危険である、と。



「そうか……。よくまあ、犯罪者の人権の話を、被害者の前で口にできるもんだな」



 よくよく見れば正義の背後で扉を半開きにしたまま様子をうかがう清水香の姿がいつの間にかあった。


 彼女の顔や脚に認められるアザと乱れた髪。


 そして這いつくばる少年に向けられた憎悪に満ちた瞳。


 おそらく正義の言う通りに事件は起こっていたのだろうと、兼光も確信する。

 


「彼女にとっちゃ、自分を襲った人間が同じ建物内に存在しているだけでも苦痛だと思うがね。それとも、君がこいつらを引き取って今すぐこの建物から出ていくかい?」



 兼光は返す言葉が見つからず、ただ唇を噛んでいるばかりだった。



「というわけで」



 正義は足元の少年の首根っこを掴んで易々と片腕で持ち上げると、必死でもがく彼を放り投げるべく振りかぶる。


 だがすぐに腕を掴まれたことに気が付いて、正義は不機嫌そうに兼光を睨んだ。



「なんのまねだ、斎藤君」


「やめてください、お願いします」


「だめだっつってんだろうが。それとも、力ずくで止めてみるか?」


「――――それが必要であれば」



 どうやら、兼光は本気らしい。


 正義はため息をふうと吐き出すと、柔道着の少年を渡り廊下の端っこに投げ捨てて、左腕に巻かれたIFを立ち上げる。


 彼がホログラムの画面を一度だけなぞると、放たれた光の線が宙に何かを描き始める。


 間もなく宙に出現したのは二振りのナイフ。


 おそらくゴブリンの落としたであろう古びたナイフで、そのうえ相当に酷使されたのだろうか、刃がボロボロでおよそ刃物とは呼び難い。


 正義はそれぞれの手でナイフを素早く掴み取ると、兼光に向かって言った。


  

「ある意味正解だ。どうしても信念を通したいってンなら、力ずくが一番だ。ほら、わがままに付き合ってやるから構えろ」



 兼光は帯に差していた木刀を抜くと、乱れた心拍を宥めようと、すうっと深呼吸をする。

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