ゴブリンとポーション④
「大丈夫か!」
兼光が、風町美砂と宝木桜の無事を確認すべく、勢い良く保健室のドアを開ける。
と同時に飛んできた古びたナイフがドアに突き刺さって小刻みに揺れた。
「またあんたですか」
風町美砂はパイプベッドの縁に肘をついて、不機嫌そうに兼光を睨んでいた。
その傍らに横たわる宝木桜は、やはり意識がはっきりしないらしく、わずかに躰を震わせたが目を開ける様子はない。
「ナ、ナイフ……? まさかっ」
「あー、それ? そこでもぞもぞ動いてるやつが持ってたから取り上げたの」
美砂が見やる壁際に、ビニール紐を巻きつけられた厚手の毛布が一つ。
その中からわずかに呻き声が聞こえたような気がして、兼光は腰の木刀に手をかけながらとっさに身構える。
「うわ、まさかその中にいるのか、小人が」
声を上げたのは少し遅れて到着した薬師寺満だった。
「げっ、ヤクマン……。生きてたんだ」
「薬師寺先生だろうが……」
薬師寺は条件反射のようにそう説いたが、注意は簀巻きの毛布に向いたままだった。
「んで、これどうしたらいいと思う? このままほっときゃ窒息死すると思ったんだけど、結構しぶとく生きてるっぽいのよね」
面倒くさそうに頬杖をついた美砂が、兼光に問いかける。
兼光はその問いの意味するところを察して、ごくりと喉を鳴らした。
「し、始末するべき、なんだろうね……」
「だよねぇ。ヤクマン、いっとく?」
「薬師寺先生だろうが……」
薬師寺は壊れたスピーカーのようにそう繰り返して、毛布の傍に恐る恐るしゃがみこむ。
途端に生地が膨らんで鼻先を小突かれた薬師寺は、短い悲鳴を上げながら尻餅をついてしまった。
「はぁ……。ヤクマン、いつも偉そうに説教垂れるくせに、そんな小人一匹がまさか怖いの?」
「な、何をいっとるんだ風町。怖いわけあるか。急に動いたから、こっちも素早く身をかわしただけだ」
「ふうん。じゃあ早く始末してよ。そのまま焼却炉で焼いちゃってもいいし、そこのナイフで毛布の上から串刺しにしてもいいし」
「お、おう……。でもまずは紐を解いて中身を確認しておくか? ほんとは可愛い子犬とかが入っていたとしたら後味が悪いじゃないか……」
「はぃ?そんなパワフルに動く子犬がいるわけないじゃない。せっかく捕まえたのに、紐を解いてまた暴れたらどうするんのよ。バカなの?」
美砂が固まってしまっている薬師寺を煽る。
「し、しかしだな。どんな生き物でも一生懸命生きているわけだ。お前はそれを―――」
「あーもう、めんどくさい」
美砂はしびれを切らして立ち上がると、簀巻き布団をむんずと掴んで壁に立てかける。
そしてそれをローファーのつま先で力いっぱいに蹴り込み始めてしまった。
「汚い鳴き声ね。蹴られて喜んでるんじゃないでしょうね。気持ち悪い」
短いスカートから伸びる長い脚。
それを艶めかしく彩るタイツの柄が伸び縮みする度、布団の中からは甲高く濁った悲鳴が漏れてくる。
これには兼光も、化け物に対して多少の同情を寄せざるを得ない。
薬師寺にいたっては目と耳を塞いで乙女のように身をよじっていた。
やがて毛布の中身がピクリとも動かなくなった頃、美砂は不機嫌そうな顔をして元のパイプ椅子に戻ると、腰を掛けて足を組んだ。
「美砂様かっこいい……」
化け物の悲鳴で目が覚めたらしい宝木桜は薄らと目を開けると、美砂の方を見つめながら感嘆の声を漏らす。
「あんたはいいから寝てなさい。もう少ししたら医者に診せるから」
美砂は桜を母親のように諭しながら、頬にひんやりとしたその手の平をあてがった。
「一応、中身を確認してもいいだろうか。どんな外見をしているのか見ておきたい」
簀巻き布団に巻き付くビニール紐に手を掛けながら、兼光が尋ねる。
「どうぞご自由に。見ても気持ちのいいもんじゃないでしょうけど」
美砂は亜麻色の髪の毛をくるくると指に巻きつけながら一瞥も無しに言う。
兼光はビニール紐の蝶々結びを引っ張ると、ゆっくりと円を描くように腕を回してそれを解いた。
「うっ、これは……」
そこには、糸の切れた操り人形のように腕や足が妙な方向へと曲がってしまっている醜悪な小人の、無残な姿があった。
さきほどまでその身を包んでいた毛布には粘り気のある黒い体液がべっとりと染みついて、生臭い香りが鼻を衝いた。
「ぐっちゃぐちゃじゃねえか」
薄目でみていた薬師寺は胃の中身がせりあがってくるのを感じて、すぐにそっぽを向いて口元を押さえた。
「薬師寺先生が見たのはこの小人で間違いないですか?」
「ああ、そうだ。こんな奴が沢山でてきたんだ」
「……急いだ方がよさそうですね。風町さんと宝木さんも一緒に、多目的教室に―――」
兼光が立ち上がって美砂の方へ向き直ったその時だった。
解けた毛布の上でピクリとも動かなかった小人が、いつの間にか起き上がり、彼女めがけて飛び上がっていた。
「危ない!」
兼光の声に美砂が振り向いた時には既に、小人は彼女の顔面めがけて折れた腕をお構いなしに振りかぶっていた。
美砂はとっさに姿勢を後ろに倒して避けると、逆に小人の顔面を鷲掴みにして地面に叩きつけた。
まさか両手両足が折れた状態でまだ動けるとは思ってもいなかった一同はすっかり呆気にとられていたが、美砂がどうやら無事であることを察して兼光がやっと口を開いた。
「す、すごいね、風町さん。君は目がいいんだね。何か格闘技でも?」
美砂は床で潰れている小人から手を離すと、足で踏みつけて拘束しながら「全く。なんでそう思うのよ」と手短に返す。
「いや、小人が腕を振り上げてから振り切るまで、一切目を閉じてなかったみたいだったから……」
兼光は幼いころ、面をつけていても相手の振る竹刀が怖くて目をつむってしまっていたことを思い出していた。
「は? 目を閉じたら当たっちゃうじゃない」
「いや、うん……そうだね」
生まれ持つ体の反射というのは抑えがたく、普通は攻撃を恐れた瞼が勝手に閉じてしまうはずであったが、どうやら美砂に関してはそうではないらしい。
ボクサーなどはそのどうにもならない反射を相当な訓練によって抑え込むのだが、美砂は生まれつきそれが備わっているのだろうと、納得せざるを得なかった。
だからこそ、小人からナイフを取り上げて布団に拘束することができていたのだろうと。
実のところこの少女は、気の強さだけで体の反射を抑え込んでいる。
「げ、タイツが破れてる」
美砂は自分の太ももをよくよく見ながら唐突に呟いた。
どうやら小人を地面に叩きつけたときに、小人の足の爪が美沙の脚をわずかに引っ掻いていたらしい。
美砂は踏みつけていた足をどかすと、小人の腰布を掴んで摘まみ上げる。
「ねえ。、ちょっぴり血が出ているのがわかるかしら?」
美砂が顔を近づけて言うと、小人はまだ意識があったらしく「ギィギィ」と鳴いて、恨みのこもった視線を向けながら折れた手足をばたつかせていた。
「私はこう見えて、動物が大好きで、休日はいつも猫ちゃんの動画ばかり見て過ごしているわ」
立ち上がり、小人を掴んだまま保健室の出入口へと向かう美沙。
「だから、こんなブサイクな生き物でも、殺したら可哀そうだと思って簀巻きで許してあげていたのに」
いや、許していなかっただろう? 毛布で窒息死させるつもりだったし、さっきは殺すつもりで蹴り込みまくっていただろう。
などと、声に出して異議を挟むほどの勇気が兼光たちには無かった。
美砂は出入口のドア枠に突き刺さっていたナイフを引き抜く。
「どうしてくれるのよ、この傷。多分傷跡が残るわ。ねこちゃんが引っ掻いたのなら許しちゃうけど、あんたは絶対に許さない」
ナイフを指先で摘まむようにして持ち、鋭い先端を小人の尻にあてがう。
そして針孔に糸でも通すかのような仕草で、ゆっくりと、非常にゆっくりとそれを肛門に押し込んでいく。
兼光と薬師寺の体があまりの恐怖に凍りついていた。
一思いに頭や胸をついて命を絶つことがどれほど人道的であるのかを思い知らされる。
「ギェ、ア゛ア゛ガガァ……!」
凄まじい悲鳴を上げる小人。
一方で美砂はお構い無しに、臀部に突き刺さったナイフをゆっくりと捻じったり、出し入れして弄ぶ。
美砂の見た目の愛らしさに反するこの残虐性を兼光はただ恐れていたが、横目に見た薬師寺の表情はなぜか少し悲しそう、あるいは悔しそうに見えて、心に引っ掛かった。
思えば、薬師寺は日ごろから美砂にだけ必要以上に厳しくあたる節があったので、何か複雑な事情があるのかもしれないと、このときにぼんやりと察した。
やがて小人の悲鳴は悲鳴の体を成さなくなっており、ごぼごぼと口から逆流する自分の血液で窒息しそうになっていた。
ついにはその体が煙のように蒸発してしまうと、美砂はつまらなそうに汚れたナイフをゴミ箱に放り投げたのだった。
「早すぎるのは嫌われるわよ」
そう呟いた彼女の足元には、鮮やかな緑色の液体が詰められたガラスの瓶が転がっていた。