正義の在り処⑤
服部彰がその一部始終を話し終える。
「あの男、岩城正義には気を付けてください」
「そうか、そんなことがあったのか……」
「しかも、理解しがたい強さです。化け物だらけの中を平気で近所のスーパーまで歩いていって、皆の食料を無傷で持ち帰るほど」
「……」
兼光はしばらく考え込んでいたが、気を取り直して顔を上げる。
「うん。わかった。とりあえず戻ろうか」
服部は、正義の振る舞いを聞いた兼光がてっきり義憤を起こすものだと期待していたが、彼は何も言及することなく背を向けて歩き始めた。
自分の知る中で最も誠実で、理想的な正義感を持つ兼光が、岩城の話を一体どう感じたのだろうか。
それを問いただす資格を持ち合わせていないような気がして、彼は黙って兼光の背中を追いかけた。
「さて、今日は疲れたでしょうし、もう休みましょうか」
興奮冷めやらぬ様子で語りあっていた大会議室の男子生徒や父親たちは、兼光にそう促されるとそれぞれが壁にもたれ掛ったり、テーブルにつっぷしたりし始めた。
幸いにもまだインフラは生きているようなので水道や電気は使えたが、気配が漏れて魔物を刺激してはいけないと思い、照明だけは予め最小限にとどめてあった。
梶浦徹と服部彰は暗がりの中でそろって壁にもたれていた。
「彰、お前と一緒に避難してきた生徒に聞いたよ。下校中だった奴らは悲惨な目にあったらしいな」
梶浦が伏し目がちにそう口を開いた。
「徹こそ大変だったな。……学校でもけっこう死んだらしいな」
「ああ。でも会長のおかげで最小限にとどまったと思う」
「そうか。俺が会長だったらもっとやばかったかもな」
「なんだよ、えらくしおらしいじゃん。いつもだったら『俺のほうが会長より会長に向いてる!』 とか言ってるくせに」
「ちょっとな、思い知ったんだよ」
「はは、やっとか。あの人は生徒会長だから、剣道部部長だからすごいんじゃないからな」
「しってる」
「そっか」
二人とも形は違えども兼光に憧れる気持ちは同じだった。
当の兼光本人は少し離れた壁際で、子供のようなあどけない寝顔を見せている。
二人は、なんとなくそれを恨めしそうに眺めたあとで、瞳を閉じた。
それから2時間ほどの後の深夜。
岩城正義は見回りがてらホール内をぶらぶらと歩いていた。
照明はほとんど消えていたが、壁の一面に張られたマジックミラーから差し込む月光のおかげでそれほど不自由はない。
ただ煩わしかったのは、修学旅行気分の学生たちが勝手に空き部屋を使って、深夜にも関わらず大声で話し込んでいる声が漏れ聞こえてくることだけだった。
正義はA棟とB棟をつなぐ二階の渡り廊下へ出ると、風に邪魔されないようにタバコを隠しながら、100円ライターで火を灯して手すりに片肘をかける。
眼下の大通りでは相変わらず人ならざる者の陰が一つ二つと徘徊している。
それをぼうっと眺めて、この世界改変の顛末に思いを巡らせていると、ふと、女性の悲鳴のような声が耳に入ってきた。
外で誰かが襲われているのかとも思ったが、くぐもったその声はB棟の方から聞こえてきたように思えた。
なるべく皆で身を寄せた方が良いという話になり、少々窮屈だが全員がA棟の部屋だけを使っているはずだった。
誰もいないはずのB棟。
正義はワイシャツの胸ポケットから取り出した携帯灰皿にタバコをねじ込みながらそこへ向かって歩き出す。
電灯は一切ついていないため、IFを立ち上げてその明かりを頼りにそろりと歩く正義。
間もなくに先ほどと同じ叫び声がもう一度、確かに聞こえた。
正義は駆け出し、ドア枠からうっすらと明かりが漏れている部屋を見つけて飛び込んだ。