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正義の在り処④

「なんてことを……」



 扉の向こうで起こっている惨劇に愕然としながら、女性職員の清水が息を浅く早く吐き出していた。



「ほんと、ひどいことするよねえ。学生さんたちを見殺しにしようなんて」



 正義はワイシャツに付着した赤い染みをハンカチで何度も叩いて染み抜きをしながら、興味もなさげにそう言った。



「あんた、なんであんなことを!!」



 服部が今にも噛みつきそうな顔で正義を問い詰める。


 一方で、服部と共に逃げ延びた他の生徒たちは、すっかり怯えて腰が引けているようだった。



「え、なんでって。君たちを助けるために、だよ」


「そういうことじゃない。あそこまでする必要があったのかって話だ!」



 服部が興奮気味に問いただすと、正義はしばらく天井を見上げてうーんと唸っていたが、やがてふぅっとため息を吐き出してから口を開いた。



「よしっ。じゃあ君たちが納得できるように説明しようかな。おっと、まずは自己紹介だね。僕の名前は岩城正義。29歳のしがない独身サラリーマンさ。今日はお偉いさん方の会議があるってことで、下っ端の僕が会場の準備のために一人でここへ来た。外の様子は三階の会議室から見ていたよ。『あの声』の言うとおり、外は化け物だらけで、人がどんどん食べられていくじゃあないか。そんな中で、必死にこっちへ逃げてくる君たちの姿を見つけた僕は、それを救えないかと思って一階に降りたのさ」



 正義は芝居がかった大げさな身振り手振りを混ぜながらそう語る。


 生徒たちはその奇妙な空気に飲み込まれそうになりながらも、じっとそれを聞いていた。



「いやあ、でも驚いたよ。職員さんときたら、扉に鍵をかけて、さらには君たちが蹴破れないように押さえているんだもの。僕は厳然げんぜんと抗議したよ。早くそこを開けてあげてってさ。そしたら彼、なんて言ったと思う? ここは避難所に指定されていない! だってさ。ほんと役人様っていうのはこれだから……。仕方がないから彼を扉から力づくで引っぺがそうとしたら、逆上して掴みかかってきたんだよ。だから僕はしぶしぶ、本当にしぶしぶ突き飛ばしたら、頭を扉の取っ手に派手にぶつけて目を回しちゃった」



 正義の舌は止まることなくすべり続ける。



「ここが彼のお家だったら、君たちを締め出すのも好きにすればいいだろう。でもここは公共施設だ。一職員が職権を乱用して私物化していいものじゃあない」


「だからって、何も殺す必要はなかっただろ!」



 服部が語気を強めて反論すると、正義の眉の片方がわずかに跳ねあがった。



「おいおい、人聞きが悪いじゃないか。僕が殺したわけじゃない。彼を殺したのはあくまで化け物たちだ。あの職員は君たちを見殺しにしようとしたから因果応報で死んだのさ」


「そんなのは屁理屈だ。俺は自分が助かるために誰かが死んでいいとは思わない!」



 服部はこのとき、兼光のことを思っていた。


 自分が追いかける理想のリーダー、斎藤兼光ならばきっとそう言うだろうと。


 だがそれがまずかった。


 その一言が、ついに正義を苛立たせてしまった。



「あー、めんどくせぇな。わーかった、わかったよ。お前らみたいな青臭ぇガキどもを助けたのがそもそも間違いだった。―――ガキども、気に食わねえっていうなら、もっぺん外で化け物と遊んでこいや」



 正義は服部の胸倉をつかんでそのままホールの入口へと力任せに引っ張り始めてしまう。


 周りの生徒たちもそれを止めようと、慌てて二人の傍へと歩み寄ろうとしていたが、どうにも畏縮して頼りにならない。



「やめろよ……クソ!!」



 服部は学生服の胸元を掴まれたままに拳を握りこむと、正義の顔面目掛けてそれを振りぬいてしまう。


 だが次の瞬間には自分がなぜ天井を見ながら仰向けているのか理屈がわからず、ひどく困惑していた。


 柔道のようなものなのだろうか、腰を捻じって拳を避けると同時に、前のめりになった服部の体を背負う形で綺麗に投げて見せた正義。


 服部は視線がようやく定まると、正義がその顔面を踏みつけるべく脚をもたげているのに気がついた。



「ひっ!」


 

 彼の悲鳴とほぼ同時に、正義の革靴が「床」に叩きつけられる音がエントランスにこだました。


 それが脅しであったことに遅れて気付いた服部は、身を縮めたままに恐る恐る視線を正義へと戻す。  



「もういっぺんだけ聞くぞガキ。命が欲しけりゃ返答には十分気をつけろよ」


「は……い」


「お前らを見殺しにしようとしたあのクソ野郎と、お前らを助けた正義にーさん。正しいのはどっちだ?」


「…………まさよしさんです」


「だったら言うことがあんだろ」


「……した」


「聞こえねえな」


「助けて下さって、ありがとうござました」



 意志とは裏腹に出てしまったその言葉に、服部自身が一番驚いていた。


 服部彰は決して臆病ではない。


 野心と自信に溢れる、気位の高い青年だ。


 しかし彼はこのときに気づいてしまった。


 自分が今まで誇っていた正義感や信念は、漫画かドラマか、そういった類の夢物語の受け売りであり、薄っぺらいハリボテだった。


 こうして強者に本気で脅されれば、簡単に揺らいでしまう程度の偽物だったのだと。



「どういたしましてっ」



 正義はふっと元の優男の顔にもどると、服部の手を取って丁寧に引き起こした。



「これから沢山の人がきっとここへ避難してくるだろう。そのときにあの理不尽な職員さんが幅を利かせたままじゃあ救助の邪魔にもなってただろうし、これでいいのさ。さて、次は君たちが外の人たちを助ける番だ。作戦会議といこうじゃないか」



 そう言い残して軽やかに二階へと駆け上がっていく正義の背中を、誰もが畏れと共に見つめていた。

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