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ゴブリンとポーション③

「朱音さんがっ……!」



 春樹たちが美容室の奥にある休憩室へと戻ると、三島朱音を看病していた親子が血相を変えて二人に這い寄ってきた。


 見ると、朱音は顔色を真っ青にして、息も絶え絶えに小さく唸っていた。



「春……ちゃん……」



 朱音は瞳だけを春樹に向けると、力なく声を漏らした。



「いかん。もしかすると肺に穴が開いていたのかもしれない。チアノーゼに陥ってる」



 うっすらと黒ずんでいる彼女の指先を見た斎藤警官が、手を取って呟くように言った。


 手首の動脈に指を添えてみるも、その拍動はあまりに弱い。


 朦朧としながらも意識はわずかに残っていたが、一刻を争う状況であることは誰の目にも明らかであった。



「早く、早く病院に連れて行ってあげないとお姉ちゃんが―――!!」



 朱音に助けられた男の子が取り乱して母の袖を力いっぱいに引っ張る。


 母親は目の前の光景に茫然とするばかりで、何の言葉も返してはくれない。


 だが、その子自身も朱音を病院に搬送できるような状況ではないことを幼いながらに察していたのか、それ以上は何も言わず、うつむいて涙をこぼし始めてしまった。



「朱音、ちょっとだけ待っていてくれ」



 春樹は不意にそう言って立ち上がると、美容室の接客フロアに戻って散髪用のはさみを持ってきた。



「おい、天羽君、何をする気だ!」



 まさか、はさみを使って手術の真似事でも始める気ではなかろうかと思い、斎藤警官は思わず語気を強めて牽制する。

 

 一方、春樹はその刃を自分の親指に押し当てると、思い切ってその持ち手を引いた。


 指からぼたぼたと垂れて流れる血液が、畳張りの床を染めていく。



「!?……」



 自分の指を切るという奇行に驚いた斎藤は声を上げそうになったが、固唾と一緒にそれを飲み込むと、口をつぐんだ。

 

 彼の行動は依然として理解できない。


 だがその奇行に先ほど助けられたのだったと、思い直したのだった。


 訳も分からず混乱した様子で皆が見つめる中、春樹は学生服の上着のポケットから3つのガラスの小瓶を取り出した。


 それらの瓶の中身は、いずれも鮮やかな朱色をした液体で満たされている。


 そして春樹はそのうちの一本の栓を引き抜くと、血の滴る指先にそっと傾けた。


 斎藤たちは目を疑った。


 春樹が小瓶の傾きを元に戻し、液体が彼の指からほとんど流れ落ちた後には、先ほどまであったはずの切り傷がどこにも無くなっていたのだ。


 春樹は満足げに頷いたあとで、7割ほど残っていた瓶の中身を朱音の脇腹の傷へと振りまいた。


 手品を見せられている気分だった。


 いや、奇術というより奇跡というべきか。


 彼女の痛々しい傷跡は、瞬く間にきれいな肌色を取り戻し、ぶつ切りに砕けていた肋骨は元通りに整列し直していた。


 しかし、朱音はそれでもなおも苦しそうに眉をしかめたままだった。


 春樹は意外にも戸惑う様子もなく、小さく深呼吸をしてから朱音の額に手を当てた。



「苦しいかい、朱音。あくまで仮定なんだが、もしかするとこれを飲めば肺の傷も治るかもしれない。けど、体内に入ると命を失うような劇薬かもしれないって可能性も捨てきれないんだ。……お前はどうしたい?」



 慈しむような瞳を朱音に向けて少しだけ微笑む春樹。


 命を失うかもしれない。その言葉に他の面々の表情が強張る。



「……おね……がい」



 意外にも朱音はすぐにそう答えた。



「死んでも恨むなよ」



 朱音はゆっくりと瞬きをしてそれに応えると、少しだけ唇を開いて受け入れる姿勢を見せた。


 春樹は二本目の小瓶の栓を引き抜くと、朱色の液体を少しだけ口に含んで飲み込む。


 そして自分の体に異変がないことを確認したあとで、残りを朱音の口元へと運んだ。


 一瞬、朱音の体がビクリと跳ねる。


 彼女は痛みに堪えるかのようにセーラー服の胸元についているリボンを掴んでいた。

 

 その様子を4人は食い入るように、祈るようにして見つめるしかなかった。


 そして、最後に息を深く吐き出した朱音の体は、少しも動くことがなくなってしまった。


 気を失っているのだろうか、それとも……。

 

 朱音に助けられた少年が、たまらずその手を取ると、彼女の指が少しだけ動いた。



「ねえちゃん!」



 少年が呼びかけると、彼女はその手をぎゅっと握り返し―――飛び起きた。



「ってなんだこりゃあ!」


  

 不意を衝かれた少年は心臓が飛び出しそうになるほど驚いて、怯えるように彼女を見つめた。


 一同も口をぽかんと開けて彼女の顔を眺めるばかりだった。



「春ちゃん、この薬―――」



 すっかり治ってしまったらしい自分の体をまじまじと見つめながら朱音が肩を震わせる。



「ああ、俺も驚いているよ」


「なんて―――なんて美味しいの……」


「……まあ、確かに美味かったけど」


「どこで買ったの!? ついでに傷も治るし、スゴくないですかこれ!」


「傷が治る効果の方をおまけみたいに言うな」


「ねえ春ちゃん。一本残ってるね……」



 朱音はそう呟くと、唇の端から透明な糸を垂らしながら床の上の小瓶を見つめた。



「だめだ」


「けちっ! ……あ、私まだ脇腹が痛いかもしれない」



 朱音は急にうずくまって苦しそうな顔を造りなおした。



「演技派だな。これは他に怪我をした人用に取っておくからダメだ」



 春樹がそういって小瓶を自分の膝元に引き寄せると、朱音も口を尖らせながらもあきらめて身を引いた。



「でもまあ助かったよ、色々と予想が当たってくれて」



 春樹は深々とため息を吐き出す。



「なあ、天羽君、その色々ってのを教えてくれないか」



 斎藤は次々と起こる奇妙な現象に対する解答を、春樹に期待していた。



「なんというか……。斎藤さんはゲームとか、しますか?」



 春樹が向き直りながら尋ねる。



「いや、あまりやったことがないが。スーパーブラザーズくらいなら」


「ううん、そうなるとちょっと説明し辛いですね」


「ゲームと今の状況、どう関連があるっていうんだ」


「実はこの薬、鬼が倒れてた場所に落ちてたんです」


「さっき座り込んでた時に拾ってたのか。おいおい、よくそんなものを大切な彼女に飲ませる気になったなぁ」


「彼女じゃありませんが」



 春樹が朱音に一瞥もくれずにそう言うと、彼女は頬を膨らまして抗議した。



「すぐに彼女になりますけどね」


「ポジティヴだな。――――多分その薬の名前は……『ポーション』です」


「ぽーしょん? なんだいそれは」



 斎藤が首を傾ける。


 だが、そこに男の子が割って入って、小瓶に顔を近づけて目を輝かせる。



「本当に!? 本当にポーションなの!?」



 興奮した様子の少年に、春樹はうんと頷いてやる。


 その隣では朱音が別の意味で興味深そうに小瓶を眺めているのが煩わしい。



「ポーションというのはゲームの中で登場する回復薬なんです」



 春樹は斎藤の方に小瓶を見せながら説明を再開した。



「史実的には錬金術や魔術で作られた、とされる薬がポーションと呼ばれていたらしいですね」


「要するに、その小瓶の中身は伝説上の薬だというのかい? 信じられない話だな。普通なら信じない。だが私も今の奇跡を見てしまったからには信じるしかなさそうだ」


「僕も、まさかと思いました」


「それにしても、君は何かしらの確信を持っていたように見えた。鬼を倒したときもそうだ。君は今のこの訳の分からない現状が、どういうものなのか理解しているように見える。そこを聞きたい」


 

 春樹はしばらく天井を見つめ、そのまま口を開いた。



「あの声の主が最初に言ったことを覚えていますか?」


「たしか、『地球の皆さんこんにちわ』だ。私は宇宙人か何かが侵略してきたのだと思ってしまったが」


「そうですね。けれど、重要なのはその後の言葉。『この世界がクソゲーだから』の方です」


「そういえば言ってたな。どういう意味なんだあれは?」


「糞ゲー、つまり面白くもないゲームという意味です。最初はぼくも何かの比喩として使ったのだろうと思っていました。けど、後から聞こえてきた女の声、あれが言った言葉が引っ掛かったんです」


「もったいぶるじゃないか」



 斎藤が答えを焦って苦笑いを浮かべる。



「モンスターが出るから建物の中に避難して! だよね。ふふん、よく覚えてるでそ」



 横槍を入れて、朱音が得意げに鼻を鳴らす。



「そっちじゃなくて『世界の仕様が改変されました』の方さ」


「ぬー。で、それがどうかしたの?」


 

 朱音が指を咥えながら首を傾ける。



「もし『世界はクソゲー』も、『仕様が改変された』もそのままの意味だったとしたら、この世界は元々誰かが作ったゲームみないなもので、それがモンスターの登場するような仕様に変更されてしまったということになる」


 斎藤はまさかという顔をして眉をしかめる。


「そんな馬鹿げた話……」


「そうですね。馬鹿げています。けれど、その馬鹿げた仮定を肯定した場合、あの声の主たちが言っていたことも、さっきの鬼も、この薬も、すべて説明がつくんです」


「そ、それはそうかもしれないが……」



 反論するための材料を探して斎藤が口ごもっているときだった。



「……冒険活劇の始まりだ。確かそんなこともいってましたよね」



 少年の母親が口を開いた。



「そう。勧善懲悪の冒険活劇。つまりRPG形式のゲームのことを指しているんだと思います」


「わかった、デラクエみたいなやつー?」


 

 春樹が頷くと、朱音は正解したことに得意になって鼻を鳴らす。


 けれど斎藤はどうにも要領を得ない。



「ううむ。私にはピンとこないが、参考にさせてもらおう。さて、皆さんはこの後どうするつもりだい?」



 斎藤は立ち上がると、ドアを少しだけ開けて表の様子を覗う。



「僕らは学校に行ってみようと思います」


「ですですー」



 春樹がそう言うと、朱音もすぐに調子を合わせた。



「わかった。では私は坊やとお母さんを家まで送り届けるとしよう。それでいいですか?」



 斎藤が母親に丁寧に尋ねると、親子は「はい」と短く返事をした後で、朱音の方へ向き直った。



「朱音さん、息子の命を助けて頂いて本当にありがとうございました」



 母親が腰を折ると、少年も一緒に深々と頭を下げた。



「お姉ちゃん、いつか僕もお姉ちゃんみたいに強くなりたい!」


「じゃあ、お肉を沢山食べて、もりもり動くんだよ少年! あと、気が向いたらうちの道場に遊びにおいでねっ」



 朱音はスカートのポケットから財布を取り出すと、名刺を一枚、カード入れから引き抜いて少年に手渡した。


 名刺には『空手・キック・総合の三島道場。門下生、切実に募集中!』と書かれている。



「お前、そんなものをいつも持ち歩いてるのか?」


「勧誘チャンスを逃さないようにねっ。だって父さん営業とか全く出来ないから……」


「ああ、それはそうだな……」



 春樹は以前、三島家の道場に出入りしていた時期があった。


 門弟というわけではなかったが、たまにふらりと現れてはサンドバッグを適当に苛めていた。


 朱音の父親には何度か指導を受けたことがあったが、異常なまでの格闘技馬鹿である彼に付き合いきれず、最近は顔を出さなくなっていたわけだ。


 なにより、毎度毎度、朱音との関係を冷やかされるのが面倒だった。


 娘とはどこまでいったのか、いつ結婚するのか、将来道場を継ぐ気があるのか、結婚するなら俺を倒してからにしろ、などと実に煩わしい。


 それに対して朱音が乗り気なだけに、なおさら質が悪い。


 少年の母親は息子の手から名刺をひょいと拾い上げると、少し眺めてから大事そうにしまった。



「そういば、まだ名乗ってなくてごめんなさいね。私は仙崎せんざきと言います。息子はひかるです。落ち着いたら必ずお礼に伺いますので」


「ありがとうお姉ちゃん! あとお兄ちゃんも」



 母親が改まって頭を下げると、少年も畳に頭をぶつけながら礼を言う。



「そうそう、天羽君。最後に一ついいかな?」



 和やかな雰囲気の中、斎藤は真面目な顔をして尋ねた。



「はい、なんでしょう?」


「あのとき、なんで鬼の体内なら銃が効くと思ったのかな?」


「えっと―――。あれは……そんな気がしただけです」



 春樹が肩をすくめると、斎藤は呆れを顔に出したあとで、少し笑う。


 実際、春樹自身、なぜあの鬼の弱点が手に取るように分かったのか、上手く説明ができそうになかった。


 趣味のオンラインゲームで、ずいぶん昔に似たような魔物が登場するゲームをしたことがあったような気もするし、なかったような気もする。


 強いて言えば、最初に皆の脳内に響いたあの声、あれと似たような声が聞こえた気がした、という程度の「不確かな確信」しかなかった。


 そんなものを頼りにして、よくもまああれほどの大胆な行動が取れたものだと、思い返して自分のことながらぞっとしていた。


 はぐらかされたような形になった斎藤は、それでも「本当は何か知っているのでは」という疑惑の念がしつくこく頭の中に残っていたが、何かと疑り深い自分の職業病を省みて、それ以上問い質すことはしなかった。



「また今度ゆっくり話そうじゃないか。息子に会ったら私の無事を伝えておいてくれ」


「斎藤さんは兼光先輩のところに行かなくても良いんですか?」


「まあ、あいつは大丈夫だよ」



 斎藤はまるで他人事のようにさらりと言う。



「それに、私たち警官は身内を優先的に助けたりしない。そんなことをすれば兼光はすごく怒るだろうしね。お二人を送ったら、私は一旦本庁にもどってみるよ。状況が落ち着いたら学校にも行ってみるとしよう」


「わかりました。お気をつけて」



 敬礼をして部屋を後にしようとしていた斎藤に朱音が声をかける。



「あのっ!助けて下さって、本当にありがとうございました。見回りにいってるもう一人のお巡りさんにもよろしくお伝えくださいっ」



 朱音は丁寧に頭を下げて見せる。


 若い警官が殉職したことを知らない朱音には、もちろん悪気など一切ない。


 春樹は黙って俯いていたが、斎藤は「わかった。ちゃんと伝えてくよ」と言って涼しげに微笑み、部屋を後にした。



 斎藤と親子が部屋をでると、朱音が不意に春樹の腕を取って抱きついた。



「やっぱり春ちゃん助けてくれた」



 春樹の肩に身を預けて、彼女が呟く。


 春樹はその小さな肩を掴んで正面に向き直らせると、いつになく真剣な眼差しで彼女の顔をまっすぐに見つめる。


 朱音はこれから唇に触れるであろう温もりに備えて、静かに瞼を閉じる。

 

 春樹は彼女の肩に置いていた手を頬へと滑らせると、両拳で力いっぱいに彼女の左右のこめかみを締め付けた。



「無茶をした罰だ。下手をしたら死んでいたぞ」


「い、痛い! すんまっせん! 助けてくれてありがとう、痛い!」

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