殺意②
「殺してやる……! あんたを絶対に殺してやる!!」
「怖いなあ。でも、それは無理だよ。君こそが今からここで死ぬんだからね。ねえ、どっちがいい? 死んでからヤられるのと、ヤられてから死ぬのと。僕はどっちかというと前者が好みなんだけど」
藤原はそう言いながら、感電により身動きの取れない美砂の細い首筋を片手で締め上げた。
気道が押しつぶされて咳き込みそうになるが、それすらも許さないほどに藤原の親指が深く食い込んでいる。
「ほら、早く答えてみなよ。あ、そっか、首が締まってちゃ答えられないか。まあいいや。このまま死んでもらおうかな。ほんとは窒息死だと死に顔が怖くなるし、糞尿を垂れ流すから嫌いなんだケド」
薄れゆく意識の中、彼女はもがくでもなく、悲しむでもなく、ただじっと耳を澄ませていた。
わずかに聞こえていたその音はだんだんと激しさを増し、やがてピタリと鳴り止んだ。
それと同時に藤原の指先から力が抜けると、美砂は頭に溜まっていた血液が全身に戻っていく感覚にしばらく身を任せていた。
聞こえていたのはサイレンの音。
路地の入口で停止した警察車両のパトランプが辺りを赤く照らしている。
「くそっ、こいつ!」
藤原は横たわる修治の手元に転がっていた携帯電話の画面が「110」を示していたことにここでやっと気が付き、やっと取り乱した。
逃げ出すべく駆け出そうとした藤原だったが、出足を美砂に掴まれて無様に転倒してしまう。
「いたぞ! 動くな!」
美砂の顔を二度三度と足蹴にして何とか起き上がった藤原だったが、この時にはすでに4人の警官が彼を取り囲み、銃口を向けていた。
それでもなお突破すべく前方の警官へと飛び掛かかる藤原。
しかし、乾いた銃声が一つ反響した直後、藤原は右足の太ももを押さえながら地面を転がったのだった。
「だーから、動くなって言っただろうに」
年配の私服警官が西部劇のごとく銃口に息を吹きかけながら藤原の傍らにしゃがみこむ。
「とりあえず殺人の現行犯で逮捕だ」
その私服警官は、撃ち抜かれた脚の痛みに悶えている藤原の手を無理やりに捻ってうつ伏せに押さえ込むと、後ろ手に手錠をかけてその体の上によっこらせと腰を降ろしてタバコに火をつける。
「斎藤警部、こちらの男性はわずかですがまだ息があるようです」
「おっと。殺人未遂だったか。急いで救急車を呼べ。他の一課の連中が応援に来るまで、お前さんたちは路地の出入り口を封鎖しておいてくれ」
私服警官の名前は斎藤康利。
斎藤兼光の父だった。
一年後に春樹と出会う際には交番勤務の巡査部長であった彼だが、この当時は凶悪犯を専門とする一課の警部であった。
彼は制服を着ている警官たちに手早く指示を出して人払いをすると、すさまじい形相で犯人を睨み付ける少女の方に向き直った。
少女の手には犯人の持っていた特殊警棒が握られており、ふらつく足元とは裏腹に、その眼はどんな凶悪犯罪者でも持ちえないほどの殺意に満ちていた。
どうやら美砂は、この場で藤原を殺害する気でいるらしい。
それを察した斎藤は、別の警官が介抱しているもう一人の被害者に目をやりながら口を開く。
「そこの被害男性は君の親父さんか……。お嬢ちゃん、気持ちはわからんでもないが、この国では復讐は認められていないんだよ。法治国家ってやつさ。ほんと下らねえよな」
冗談めかした口調で語る斎藤。
だが彼の瞳もまた、深い憤りと無念を含んだ色をしていた。
この一連の事件の惨たらしい被害者の姿や、遺族の悲しみを目の当たりにしてきた斎藤にとっても、尻の下でもがいているこの藤原という男が憎らしくてならなかった。
斎藤は覗き込んで藤原の面を確認すると、その顔にタバコの煙をわざと吹きかけてから美砂の方へと再び向き直る。
「親父さんはまだ息がある。君の気持ちは分かるが、少し落ち着いたらどうだい?」
美砂は斎藤の言葉に応える風でもなくふらりと目の前までくると、その尻の下でもがいている藤原の頭部をめがけて躊躇なく警棒を振り下ろした。
しかしそれが藤原に届くことはなく、警棒は斎藤刑事の掌の上で止まり、しっかりと握られていた。
「ふ、ふざけるな! あいつを早く逮捕しろ!」
美砂の凶行に怯える藤原が突っ伏したままそう喚き散らしていたが、すぐにその鼻っ柱に斎藤警部の肘がめり込み、悲鳴を上げて再び地面を舐めた。
「お嬢ちゃん、ちょっとだけ親父さんの気持ちを考えてみろ。ここで君が手を汚すことを親父さんが望むだろうかね。―――あとは俺たち大人にまかせちゃくれないか」
斎藤が横たわる修治を横目で見ながらそういうと、美砂はやっと警棒を離して崩れ落ちた。
修治は最近このあたりで起こっている連続通り魔事件のこともあり、いつもより帰りの遅い美砂を心配して迎えにきていたのだった。
とはいえ美砂のことだから、きっと嫌な顔をするだろうと思い直し、遠くから見守ることにしたのだが、知らない男と路地裏に入っていって間もなくに激しく争う音が聞こえたために、警察に通報をしてから単独で突入した。
その通報を受けて近場で捜査中だった斎藤刑事が駆け付けたというわけだった。
多くの人の尽力によって美砂の命は救われた。
しかし、このとき斎藤は少しだけ後悔してしまった。
本当にこの娘の命が助かったことは、良かったと言えるのだろうかと。
それほどまでに、このときの美砂の瞳は憎悪に満ち溢れていた。