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ソロモン72柱④

「子供だな。まるで成長していない」



 リビングを出ようとしていた美砂の背中に向けて、修治が呟く。


 美砂はそれを鼻で笑うと、振り返ることなく言い返す。



「親の金で遊んで回ってる学校の連中より、よっぽどマシなつもりよ」


「いや、お前は子供だよ、誰よりも」


「意味が分からないわ」



 美砂はそう言って、憤りを堪えるようにしてドアノブを握りしめていた。



「もういい。部屋に戻りなさい」



 修治が呆れて話を打ち切ると、美砂は大きな音を立ててドアを閉めてから階段を上がって行った。



 それからというもの、美砂は完全に自立するための資金を欲して、これまで以上にバイトを増やした。


 親の建てた家に住んでいたのでは自分の力で生きているとは言い切れないし、それでは父親に真っ向から反論することもできない。


 早くアパートにでも引っ越してしまおう。


 そう考えていた。




 その日のファミレスのバイトでは寝坊した深夜組の人間が到着するまでのつなぎを引き受けたため、いつもに増して退勤が遅くなってしまった。


 最終のバスには滑り込みたいと、駅前のバス停へと速足に歩く美砂。


 いつもなら酔っぱらった勤め人や塾帰りの高校生とすれ違うところだったが、23時を回っている今日は商店街には人の姿がほとんど無く、不気味なほど静かだった。


 商店街のアーケードをもうすぐ抜けるというころで、美砂は後ろから声を掛けられて立ち止まった。


 振り返ると、一人の男が駆け足で美砂の方へと向かってきていた。



「美砂ちゃーん! 駅まで送るよー!」



 美砂のバイト先の店長である、藤原という男だった。


 彼は美砂の側で急いで息を整えると、顔を上げて涼やかに微笑んだ。


 30過ぎの男には少し不似合な若者向けのジャケットの下には、ファミレスの制服である真っ赤なベストが覗いている。



「いえ、一人で大丈夫です」



 美砂が素っ気なくそういうと、彼は少し困った様子で腕を組んで見せる。



「いやね、学生バイトさんや女の子は10時半には帰らせないといけない決まりになっててさ。もしこれで君に何かあったら、僕の首が危ういんだよね。それに、最近市内で物騒な事件が起こってるみたいだし」


「……分かりました。そういうことでしたら、お手数ですがお願いします」



 美砂はあまり気を使われたくないと思いながらも、彼の保身のためということなら仕方ないと割り切ることにした。



 すれ違う人もまばらな街路を歩きながら、藤原は職場のことについてアレコレと愚痴をこぼしていたが、美砂は気の無い相槌を打ちながら適当に聞き流していた。


 彼の話よりもバスに間に合うかどうかの方が美砂にとっては気がかりで、それとなく歩を早めながら時間が無いことをアピールしてみてはいた。


 突然、藤原が薄暗い裏道へと入っていく。



「急いでるんだよね? こっちのほうが少し早いよ」



 彼はそういって気さくに微笑むと、さっさと先へと行ってしまった。


 美砂はその道がどこに繋がっているものかと訝しげに眺めたあとで、彼の後を追った。



「ねえ美砂ちゃん。バイト、学校にばれていないかい?」



 ビルの谷間から覗く朱色の半月を何気なく眺めて歩いていた美砂に、藤原が振り返りながら尋ねる。



「ええ。おかげ様で」


「それはよかった。まあ、君の住んでいる町からは離れているし、今後も大丈夫でしょ」



 相変わらず味気のない表情をしている美砂とは対照的に、藤原はその糸目をいっそう細くしながら微笑む。



 美砂の通う高徳高校は公立高校であり、特別な事情がない限りは原則としてアルバイトを禁止している。


 そのため美砂は学校にバイトをしていることがばれないように、わざわざ隣の市までバスを乗り継いで来ているのだった。



「ばれたらすぐに辞めますので、ご迷惑はおかけしません」



 美砂がそういうと、藤原は何も言わずに微笑みを返した。


 雇う側の人間も各高校におけるバイトの可否についてはよく理解しており、よほどのことがないかぎりは公立高校の生徒を採用したりはしなかった。


 美砂は藤原のことがなんとなく苦手だったが、自分を雇ってくれたことに関しては恩義を感じざるを得なかった。



「でも、美砂ちゃんの実家って、大きな病院なんだよね? お金に困るとは思えないけど」


「社会勉強のためです」


「へえ、それは感心だね。でも、だめじゃないか。こんな遅くに出歩いちゃあ」


「は? どういうことですか」



 美砂には藤原の言っていることの意味が分からなかった。


 いつもならもう家についている時刻だったが、こんなに遅くなってしまったのは他でもない、目の前の男にバイトの繋ぎを頼まれたからだった。


 そして、急いでいるとわかっているはずなのに、なぜか彼はこの狭い路地で立ち止まり、彼女のほうに向きなおっていたのだった。



「女子高生がこんな時間にこんな暗い路地裏を歩くなんて、実にけしからないよ。ほら、今ニュースでやってるじゃない? 若い女性ばかりを狙った強姦殺人事件。心外だよねぇ、殺人はともかく、強姦だなんて。合意の上だっていうのにさぁ」



 藤原が上着の内ポケットから取り出した棒状の何かを手元で振り払うと、それが伸びて凶器の形を成した。


 いわゆる特殊警棒だった。


 現代では通信販売などで簡単に手に入る護身用の暗器であるが、大の男が力を込めて降れば、人を殺すには十分な威力を持ちうる。



「僕はね、ずーっと君のことを見ていたんだよ。気付いてくれていたかな?」


「そうね。気付いていたわ。シフトをあれだけかぶせてくれば、嫌でも」


「嬉しいなあ。じゃあやっぱり、美砂ちゃんも僕に興味があったんだね」


「ごめんなさい。ずっとあんたの視線、気持ち悪いと思っていました。ごめんなさい」



 美砂がそういって鼻で嗤うと、藤原はその糸目を剥いて彼女を睨み付けた。


 そして警棒を手の平に打ち付けて威嚇しながらゆっくりと近づく。


 しかし美砂は全く臆する様子もなく、ただ溜め息ばかりを吐き出していた。

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