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ゴブリンとポーション①

 高徳高校3階、多目的教室。


 主に学年集会の際に使われるこの教室は一学年150名が入れるように作られていたが、200名以上が一同に集まっていたため、皆窮屈そうに肩を寄せ合っていた。



「高い所からすまない! とりあえず皆で状況を確認し合おう! しばらく自由に話して、何か気づいたことがあったら教えてくれないか!」



 生徒会長の斎藤兼光がパイプ椅子の上に立ちながら声を張る。

 

 生徒たちの多くはとっくにスマートフォンを取り出して外部への連絡を試みているようだった。


 またある者たちは窓際に立って熱心に外の様子を眺めている。



「会長ー、先生たちはどこへいったんでしょうかー」



 男子生徒の一人が声を上げると、ほかの生徒たちも口々にそのことについて話し始めた。



「逃げたんだよきっと」


「だよなー、やっぱ教師ってクズばっかりなんだよ」


「でもヤクマン先生は校舎の中へ一緒に逃げてきたはずだよ」


「どこいってるんだろうね。それにしてもあいつ役にたたなかったよなあ。会長がいなかったら俺たち死んでたかもだぜ」



 グラウンドから姿をくらました教師たちの姿も、一緒に逃げてきたはずの体育教師の薬師寺満やくしじ みつるの姿もそこにはなかった。



「もしかしたら先生方は職員室で対策を練っているのかもしれない。しばらく待ってもここへいらっしゃらないようなら、僕たちで探しにいってみよう」



 兼光の意見は、教師に対する不満の声を上げる生徒たちに対して火に油を注ぐかのように思えたが、意外にもほとんどの生徒が首を縦に振って頷いていた。


 彼らは先ほどの一件で自分たちの命を救ってくれた英雄に対して、敬意の念を抱かざるを得なかった。


 もしくは、この異常な状況を誰かが打破してくれることを祈る者にとって、彼ほど神々しく見える人間はいなかったのだろう。



「デカ犬に噛まれた女子はさっき保健室にいたよ。風町さんが付き添ってた」



 兼光の隣にいた大喜多健吾が付け加えるように言う。



「そうか風町さんが介護を……。なるべく単独行動は避けてほしいところだが、この場合は仕方ないか。なかなかどうして、いいところもあるんだなあの子は」


「見た目はギャルギャルしてっからなぁ。俺も意外だったよ。こういうギャップはポイント高いよな。俺も怪我したら看病してもらえるかな」


 

 健吾がそういって如何わしい目つきで宙を見つめていたその時だった。



「あ、あれ! 国語の田村じゃないか!?」



 窓の外を眺めていた生徒の一人が血相を変えて声を上げる。


 窓際にわっと集まった生徒たちの隙間から兼光がなんとか目をやると、体育倉庫近くの地面に、赤黒い「染み」が広がっているのが見て取れた。


 あれは、女物のブラウスとスーツの切れ端、だろうか。


 だとしたら、あの独特のストライプはきっと国語教師の田村が身に着けていたものに違いない。


 しかし、はっきりと見えたのはそれだけだった。


 それ以外は全てが引き裂かれていて、元が何であったのかわからないほど無残に散らかっていた。



「く……喰われたんだ」



 後ずさりながらそう呟いた男子生徒の声に触発されて、教室内に恐怖が伝染し始める。



「あの犬どもがやったんだ……やべえ、やべえよこれ」


「あ、あんなの嫌……もう嫌!」


「どうすんだよ! 誰か警察に連絡取れていないのか!?」


「だめだ、どの機種も圏外になってる……」



 誰もが恐怖を顔に浮かべて騒然とする中、大喜多健吾は手のひらを打ち付けて大きな音を立てた。


 その音に驚いた生徒たちが一斉に健吾の方を振り返る。



「おーし、そこまでそこまでっ。ビビってパニくったら、もっとヤバい状況になるぞっ。それより知恵を出し合っていこうぜ!」



 集団ヒステリーを起こしかけていた生徒たちが、彼の陽気な口調ともっともすぎる意見に幾分か正気を取り戻す。



「まずはこの事態をまねいている原因について考えてみよう」



 そこへ兼光がすかさず切り出す。


 今はとにかく考えさせることで恐怖心を押し込めるしかないと、兼光は察していた。

 

 そして、この有りえない状況を作り出している『原因』については誰もが気になっていた。



「やっぱり、最初の男の声が気になります。あの人が犯人じゃないかな」



 女生徒の一人が声を上げる。



「だよな、それしかないよな」


「けどあんな化け物を呼び出すなんて、人間業とは思えないよな」


「魔法使いとか?」


「魔法って。恥ずかしいやつだな」


「なんだよ!じゃあなんだってんだよ!」



 小馬鹿にされた生徒が声を荒げる。



「宇宙人……かもしれないな」



 そう呟いたのは兼光だった。皆、目を丸くして兼光の顔色をうかがっていた。


 冗談で笑いながら言っているのかと期待した彼らだったが、残念ながら兼光の表情は真剣そのものだった。



「おいおい、かねみっちゃん。お前らしくもないな」



 健吾が腹を抱えながら兼光の肩を叩く。


 それでも兼光は自分の唇に拳をあてがいながら思案を巡らせて黙りこんでいた。



「ま、まじで?」



 たまらず健吾が問い質す。


 笑いをこらえていた生徒たちも、健吾と同様に息を飲むようにして彼を見つめ直した。



「あの声の主が最初にいった言葉を覚えているかな?」


「えっと確か……」


「地球の皆さんこんにちわ だよ」



 生徒たちもハッとしてお互いに顔を見合わせる。



「混乱を誘うためにわざと言ったのかもしれないし、意図せずこぼれた言葉かもしれない。どちらにしてもこの超常的な状況を考えると、意外と妥当な落としどころじゃないだろうか」


「じゃあ後から聞こえてきた女の声はどう思う? 頑丈な建物に逃げてください、ってやつ。悪い宇宙人の地球侵略を阻止しようとしている良い宇宙人とか?」


「君は天才か、健吾」 



 兼光が肩をガタガタと震わせ、驚愕を顔に浮かべながら健吾の方に振り返った。


 健吾の額から汗が零れ落ちる。


 どうにも兼光には冗談が通じないところがあるようだった。



「と、とりあえず暫定的にはそういうことで……。さて、これからどうするかだよな」



 健吾は話題と共に、兼光の羨望の眼差しを逸らす。



「ふむ。有線の電話を使ってみるというのはどうだろう」


「おお、それはいいかもな。となると、昇降口の外にある公衆電話か、職員室だな。まあ昇降口の方は犬に襲われかねないから無しだ」


「そうだね、先生方の所在も気になる。職員室に行ってみようか。皆はここで待っていてくれ」



 兼光がそう言ってパイプ椅子に立てかけてあった木刀を手に取って歩き出す。



 しかし健吾はなにやら難しい顔をして立ち止まったままだった。



「どうした健吾?」


「いやさ、かねみっちゃん。もしものときのために武器になりそうな物を集めておいた方がいいと思うんだ」


「なるほど、それはそうだね」


「俺は部室棟の方に行ってみようと思う。あそこならバットやラケットがいっぱいあると思うし」


「けど、部室棟にいくには外の渡り廊下を歩かないとだめじゃないか? それなら、僕も一緒にそちらへ行こう」


「いや、かねみっちゃんは職員室のほうに行ってくれ。さっきの田村先生見ただろ。手分けをして急いだ方がいい。渡り廊下なんて大した距離じゃないし、ちゃんと確認してから渡れば問題ないよ」


「じゃあ誰か、健吾についていってくれないか? 一人で運ぶのは難しいだろうから」



 兼光の呼びかけに、生徒たちの表情が曇る。


 危険が多かろうが少なかろうが、先ほどの田村の無残な姿を見たばかりの彼らにとって、なるほど厳しい提案だった。



「部長、俺たちが大喜多さんについていきます」



 剣道部の2年生たちだった。



「そうか、助かる。くれぐれも気を付けてくれよ」


「大丈夫です。竹刀と面は置いてきちゃいましたけど、胴は付けてますし」



 彼らは、強く誠実な兼光に少しでも近づきたいと日頃から念じていた。


 それに、地元の新聞社やTVの取材が来るほどの有名人であり、不思議な魅力を持つ野球部のエースにも大変な関心を寄せていた。



「ありがとうな、よろしく」



 健吾が嬉しそうに手を差し出す。


 剣道部副部長の梶浦徹かじうら とおるは他の剣道部員の2年生、計3名を代表して進み出ると、手の平を剣道着にこすり付けた後でそれを握った。






 職員室へと単独で向かう兼光。 


 生徒たちが集まっている3階の多目的教室と1階の職員室は校舎の対角に位置していた。


 紺色の剣道着の帯を締め直しながら、兼光は階段を慎重に降りて行く。


 一階に到着しかけたとき、誰かの話し声を耳にした兼光は、階段の壁に背を当てながら廊下をそっと覗き込んだ。


 日没が近づき、一層薄暗くなっている廊下にじっと目を凝らす。


 人影などは見当たらなかったが、立ち並ぶ部屋の一つから光が漏れていた。


 その部屋の入り口にぶら下がる表札には「保健室」の文字。


 風町たちが保健室にいることを思い出した兼光は、おそらく声の主は彼女たちだろうとほっと胸をなで下ろして歩き始めた。


 しかし、保健室の前を通り過ぎようとしたとき、床に転がっていた、ひしゃげた金物のタライを目にして立ち止まった。

 


「タライ? ふむ。少し様子を見て行くかな」



 兼光は保健室の引き戸のすりガラスから零れる光に目をやりながら呟いた。



「やぁ、大丈夫かい? ―――ぬおっ!?」



 戸を開けるとほぼ同時に、飛んできた枕がくの字にひしゃげながら兼光の顔を覆った。



「だから、ノックしろっつってるでしょ! このハゲ!」



 枕と一緒に飛んできたのは風町美砂の怒声だった。その傍らにあるベッドの上では、半裸の宝木桜ほうぎ さくらが息を荒くしながら横たわっている。



「すまない。けど、僕はハゲてはいないと思うのだが」



 顔に張り付いた枕をひっぺがしながら兼光が抗議をする。


 美砂は桜に掛布団を優しくかぶせると、改まって兼光を睨んだ。



「なんだ、会長様か。またさっきの短髪ユニフォーム馬鹿かと思ったわ」


「ひょっとして、大喜多健吾のことかい?」


「いや、名前言われても知らないケド。20分ほど前に、『多目的教室に集まれー』とか言いながらいきなり入ってきたから金タライをプレゼントしたわ」


「なるほど」



 兼光はひどく納得した様子で頷く。


 健吾がこのことを隠していたのも可笑しかったが、有名人である彼のことを風町が全く知らない様子であることがなおさら可笑しくて、兼光はこみ上げる笑いを堪えながら後ろ手に扉を閉めた。



「それで、彼女の容体は?」



 問われた美砂は、桜の腕を掛け布団からそっと抜き出し、兼光に見せる。



「見ての通りよ。水で洗浄して消毒してから軟膏を塗って、ガーゼで強めに固定してる。やっと出血は止まったけど……」


「噛まれた部分の腫れがひどいな……。熱も相当に高い。これは多分……」



 兼光は包帯の巻かれた腕にそっと触れると眉をしかめた。



「わかってる。抗生物質が要るわね。それにしても発熱までが早すぎる。雑菌なんてかわいいもんじゃないかもしれないわ」


「詳しいんだね」



 兼光は目を丸くして美砂を見つめたが、彼女はそれを気に止める様子もなく続けた。



「生憎、保健室には抗生物質が無いみたい。あったところで適切な処置ができるわけじゃないけれど」


「なんとかして医者に診せないとまずいな」


「そうね。ちょっとケンドーマン、表の犬どもやっつけてきなさいよ」


「無茶いわないでくれ。一匹で精いっぱいだったよ。そうだ、さっきはありがとう。正直助かった。君が声を上げなければ犠牲者がもっと増えていたかもしれない」


「礼は言うものじゃなくてするものよ」


「ああ、いつか必ず礼をしよう」


 (こいつもか。調子狂うわね)



 また嫌われ損ねた美砂がつまらなそうに舌打ちをする。



「僕は今から職員室に行って外部と連絡が取れないか試してくる。何かあったらすぐに呼んでくれ」


「さあね。また化け犬が襲ってきたら今度はこの子をほったらかして独りで逃げるわ」


「それならまだいい。君はきっとそうしないだろうから心配しているのさ」



 兼光はそう言い残すと、美砂に反論させる間もなくさっさと保健室を出ていってしまった。







「どうですか?」



 剣道部副部長、梶浦徹は固唾を飲みながら押し殺した声で尋ねる。



「遠くに2匹うろついてるのがみえる。あいつらがもう少し離れたら行こう」



 健吾と剣道部二年生の3人は、部室棟へと通じる渡り廊下を駆け抜ける機会をガラス扉を覗き込みながら覗っていた。


 獣達は地面に鼻先を向けながら人の臭いを探っているようだったが、その姿は遠方に小さく見える程度だった。



「よしOK。行けそうだ……」



 やがて獣たちの姿が完全に見えなくなると、健吾が振り返って目で合図をした。それを受けて3人は静かに頷く。


 音が鳴らないように気をつけながら鍵つまみをひねると、扉に体をあてがいながらそっと押した。



「音を立てないように、静かにな」



 まず健吾が扉の隙間から抜け出して、姿勢を低くしながらそろそろと歩き出す。


 他の面々もそれを真似てゆっくりと彼の後についていく。


 いける。犬達の影はない。このまま何事もなく通過できる。


 通路の半分を過ぎたあたりで4人の誰もがそう思った。


 最後尾を進んでいた2年生、澤本も安堵のため息を吐いた。


 そして吐いた後、次の息を吸い込むことを忘れてしまった。


 確かにいた。


 たった今横目に通過したコンクリート仕立ての水飲み場の陰で、ソレは笑っていた。

 

 そして目の合った澤本の傍までテクテクと歩み寄り、ケタケタと歯を鳴らす。


 言葉を失っている澤本を見て、その生き物は少し首を傾げてから腰布の中をまさぐり、体には不釣り合いな大きなナイフを取り出した。



「あああー!」



 先を行く3人がその悲鳴に気が付いて一斉に振り返る。


 澤本のすぐ前を進んでいた二年生の神田は、顔に、体にと次々と降りかかる暖かい液体を、それが友の血液だとは思いもよらず、ただ不快そうに拭ったあとで、目の前の惨状に気づいて膝を折った。


 

 小人。



 一言で言ってしまえばそうだ。


 ボロボロの布きれを身に着けた三等身ほどの小人が一生懸命に澤本に飛びつき、切れ味の悪そうな古ぼけた刃物を何度も何度も、熱心に振り下ろしていた。

 

 澤本は抵抗しようと体をよじらせたりしていたが、一刺しされるたびにその動きは鈍くなり、ついにはピクリとも動かなくなってしまった。


 小人はつまらなそうに澤本の躰を蹴った後で、今度は腰を抜かしている神田の方へと向き直る。

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