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純白の狂気②

「それ、貴女がやったの?」



 ぼぅっと天井を見上げていた坂上婦長が美砂の声に反応して、その視線を手元で揺れる男性の頭部に向ける。



『や……ヤった。ムカつく……セクハラ……カンジャ……シュ、シュジュツ、シテやったァアア』



 坂上は手に持った剪刀を『それ』の頬に突き刺して貫通させてしまい、力任せに何度も何度も指を動かした。


 恐らく絶叫を上げる中で殺されたであろう、その苦痛に歪んだ顔面のあんぐりと開いた口から、細切れになった舌や頬の肉片がボロボロと零れ落ちる。



「……ご機嫌ね。婦長」



 平静を装っていた美砂だったが、内心では胸の奥底からこみ上げる怒りを押さえこもうと必死になっていた。


 その怒りは目の前の坂上に対するものではなく、あれほど優しかった彼女をここまで狂わせた「原因」に向けた怒りだった。



 (理由はわからない。けど、何かが彼女を狂わせてる)




 天井を仰いでげらげらと品なく嗤う坂上。


 しかし、それは突然にぴたりと止み、同時に手に持っていた頭部をぼとりと地面に落とした。



『……マシイ』


「何?」


『妬マシイ。ワカイ……キレイ……妬マシィ』



 天井に向けられていた虚ろな黒目が、黒目だけがギロリと動いて美砂の方へと向けられる。



『……………………………………………………………シネ』



 坂上はあっという間に前のめりになると、美砂目がけて剪刀を振り切った。


 不意を衝かれた美砂だったが、間一髪、体を後ろに反らしてかわしていた。


 美砂のカーディガンとブラウスだけが、斜めにバッサリと切り裂かれて、その隙間から柔肌が覗く。


 坂上は力なく垂れ下げた両腕を、鞭のようにしならせながら剪刀を振り回す。


 切り裂さかれた空気がヒュンヒュンと悲鳴をあげるほどに、その一振り一振りは素早く、強烈。



 (何なの!? この速さっ……)



 とても中年の女性のものとは思えない鋭敏な動きに、美砂は瞬きをすることすら許されなかった。


 一瞬、包丁を持つ手に力を込めたが、それを使うわけにはいかないとすぐに思い直す。



 そうこうしているうちに、気が付けば美砂は壁際へと追い詰められていた。


 坂上は美砂のカーディガンを掴んで逃さないようにしながら、右手に持った剪刀の鋭い先端を、破れたブラウスの隙間から覗く柔肌に押し当て始めた。


 美砂は持っていた包丁を落として、カーディガンを掴んでいる手と、剪刀を持つ方の手の両方を振りほどこうと力を込めるが、まるで万力で固定されているかのようにびくともしない。



『チョット、チクッとシますヨウ。イタク、ナイ……デス カラ ねェ!』



 抵抗もむなしく、剪刀の鋭い刃先が一センチほど、彼女の脇腹へと侵入する。


 振りかぶって一気に突き刺そうというのならば体をよじってかわせばいい。


 しかし、この力比べばかりはどうにもなりそうになかった。



(ここまで……きたのにっ)



 脇腹から剪刀を伝って滴るまっ赤な雫を眺めながら、美砂は自らの最後を予感した。




「風町ぃいいい!」




 突然、坂上が何者かに跳ね飛ばされて床に転がる。


 途端に解放された美砂は、思い出したかのように呼吸を再開した。



「はぁ、はぁ。ヤクマン、なんであんたがここに……」



 どうやら坂上を吹っ飛ばしたのは薬師寺満やくしじみつるのドロップキック。


 彼は受け身に失敗して打ち付けてしまった腰を押さえながら地べたで悶えていた。



「薬師寺先生だろうが!」



 いつもの叱咤をお返しする薬師寺だったが、横たわったままではいささか格好がつかない。



「へっ、甲子園球児を舐めるなよ……」



 なんとか起き上がった薬師寺は、床を舐めるようにしてうつぶせていた坂上に向けて得意げに呟いた。


 ドロップキックと甲子園球児の関係性については誰にも分からない。


 しばらくぴくりとも動かなかった坂上だったが、突然にその体が不気味な痙攣を始める。



『ユルサナイ……』



 むくりと立ち上がった坂上は、血の付いた剪刀を薬師寺へと向けながら、がちがちとその刃を何度も打ち合わせた。



「ひぃ! 俺は逃げるぞ風町……。お、お先に」



 薬師寺はわき目も降らずに美砂を置いて病院の出口へと駆け始める。



「あんた、何しにきたのよっ……」



 美砂は包丁を拾い上げると、脇腹の痛みと苛立ちを堪えながらも彼の後を追って走り始めた。

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