風町美砂の焦燥③ エキドナ
北組の仲間たちから離れ、ポーションを得るために赤鬼を探してあてもなく街を行く風町美砂。
しかし一向に出会うことができず、有象無象の小型モンスターばかりに絡まれていた。
「来なさい。今、私は機嫌がいいの」
いかにも不機嫌そうにそう言い放つ美砂。
手にピッケルをもった鉱夫のような風貌の小さな魔物たちが3匹、一斉に彼女に襲い掛かる。
美砂は右手に持った包丁を素早く十字に斬ってその内の二匹を刻むと同時に、斬撃を免れた一匹の頭を左手で掴んで地面に叩き付けた。
千切れかけた体でもがく魔物たちを踏みにじってからIFを立ち上げると、討伐履歴を見て舌打ちをする。
『ノッカー 討伐推奨レベル4 イングランドの妖精。貴金属がよく取れる鉱山に住み、ノックをするような音で鉱夫に良い鉱脈を知らせることからこの名がついた。Drop:ピッケル/銀鉱石 クレン:1200』
(こいつらも持ってない……)
レベルアップのファンファーレが愉快に響き渡ると、美砂は足元に転がる銀鉱石を蹴り飛ばしてまた歩き始めた。
「はぁ、かっこいいっ」
物陰からそれを見ていた桜が、いつも通りに感嘆の声を漏らした。
「しーっ、気づかれちゃうよ」
その隣で朱音が指を立てると、桜は慌てて頭を引っ込める。
「なんでプチデーモンさんまで付いてきてるんですか」
膨らんだ桜の頬を人差し指で押し潰しながら朱音が囁く。
「なんでって、春ちゃんが絶対に目を離すなって言ってたからね。桜ちゃんも一人にできないし。……それにしてもやっぱり美砂ちゃんは強いね」
「ですよねっ! それにとっても綺麗です。風町様、私はあれくらいじゃあ諦めませんよ……フフフ」
「なんとしてもうちの道場に入ってもらうからね……フフフ」
二人は不気味な微笑みを浮かべながら食い入るように美砂の背中を見つめていた。
――――――
「へえ、この大きさは見たことないわね」
美砂はファストフード店の陰から、偶然発見した巨躯の魔物にIFを向け、解析を始める。
「けど、こいつもセッキじゃない―――」
そう言って舌打ちをした直後、何かに気が付いた美砂の瞳がIFの画面にくぎ付けになる。
『エキドナ 討伐推奨レベル13 ギリシャ神話に登場する鬼女。神話中ではケルベロスの母とされている。上半身は美しい女性の姿をしているが、下半身は蛇。だが臆することはない、男は誰もが下半身に蛇を飼っている。Drop:ポーション/???』
Dropの欄にポーションの文字を認めた美砂は、唇の端に舌を這わせながら、包丁を鞘からゆっくりと引き抜いた。
このとき風町美砂のレベルは5。ステータスポイントは腕力に4、耐力に4、脚力に4、均等に割り振られていた。
対する魔物は討伐推奨レベル13。
諸手で抱えた三つ又の鉾の鋭さとは裏腹に、聖母のような微笑みを浮かべながら徘徊しており、これがなんとも不気味だった。
身の丈は美砂よりも頭3つ分ほどは大きい。
といっても、下半身は大蛇の姿をしており、その尾を含めると全長は20mを超える。
普通に考えれば美砂が勝てる理由はない。天羽春樹のような強力な特殊能力があるわけでもなければ、武器もどこにでもある出刃包丁だ。
「レベル13……。風町様……」
「まずいね、止めなきゃ!」
しかし朱音が物陰から飛び出すより早く、美砂は背後からその魔物に一直線に近づいていく。
そして、長い亜麻色の髪の毛がそのなびきを止めた時には既に、魔物の背中には包丁が深々と突き刺さっていた。
驚きとも、悲鳴とも取れる叫び声を笑顔のままに上げるエキドナが、振り返りながらその鉾を真横に薙ぎ払う。
美砂は姿勢を低くしてこれを避けると、むき出しのエキドナの乳房を捻じるようにして掴みながら、その腹に二度三度と白刃を突き立てた。
腹からあふれ出る真っ黒な血液を浴びながら、美砂は頬を釣り上げて勝利を確信していた。
しかし、次の瞬間には彼女の体は弾き飛ばされ、弓なりになって、宙を舞う。
エキドナは長い蛇の尾をのた打ち回らせながら悲鳴を上げていたが、やがてそれを鞭のようにしならせて美砂の体を目がけて振り切ったのだった。
美砂にはそれが見えていた。見えていた上でかわすことは不可能な速さだった。
一方で、驚くべきことに彼女は直撃の瞬間に片膝を折って体を守り、なおかつその尾に包丁で一撃を見舞っていた。
美砂は体が浮き上がるほどに強烈な衝撃に顔を歪めながらも、なんとか空中で翻る。
しかしエキドナは、その着地を狙って、手に持っていた鉾を既に美砂へ向かって投げつけていた。
着地時の硬直を完全に捕えるであろうタイミングで放たれた鉾は、どんなに軌道が分かっていようともかわすことは不可能。
美砂は覚悟を決めて、着地する直前に両腕を交差した。
(良いわ。腕の二本くらいくれてやる)
これから腕が消し飛び、ひょっとすると体をも貫くかもしれないその鉾先が眼前に迫っても、美砂が瞳を閉じることはなかった。
しかし、美砂はその鉾が突然に方向を変え、遥か上空へと飛び上がっていってしまったのを見送ると、不機嫌そうに眉をしかめた。
「あんた、ほんとしつこいわね」
鉾はやがて落下してアスファルトに深々と突き刺さった。
美砂の視線の先では、朱音が右足を高々と上げて、これ以上ないくらいに自慢気な視線を彼女へ向けていた。
「ドヤー?」
「縞々ね。中学生かっての」
美砂が指摘すると、朱音は慌ててスカートを押さえながら足を降ろした。
「そういう美砂ちゃんだってなんかエロい感じになってるじゃん!」
ガードに使った美砂の左足のタイツが無残に破けて、あられもない姿になっていた。
「はぁ。あんたなんかに借りをつくるなんて一生の不覚よ」
「じゃあじゃあ、ジムに入ってくれる!?」
「いいわよ。入ったその日に退会するけど」
「えー!?」
理不尽な返答に対して目を剥いている朱音をよそに、美砂の視線はエキドナの上半身にくぎ付けになっていた。