風町美砂の焦燥②
『何かわけが有りそうだね。譲るのは構わない。けど、今すぐには持っていけないよ? 東組は今ごたついているし』
美砂は険しい表情をしてしばらく考え込んでいた。
「いいわ。私が今からそっちに取りに行く」
おそらく美砂は、北組を抜けて一人で春樹たち東組のもとへ向かう、という意味で言っているのだろう。
これには朱音も慌てて美砂の肩に触れようとしたが、彼女の至って真剣な瞳を目の当たりにして、それをためらった。
『まさか、独りでかい? 冗談だろう』
「いいから、そこの位置を教えて」
『ダメだ。これだけモンスターがうろついてるのに、一人で歩くなんて自殺行為だ』
美砂は頑なに首を縦に振らない春樹に対して苛立ちを隠すこともなく、脅すようにして睨みつけるが、彼は怯む様子もなく、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ返していた。
脅しの効くような相手ではないということが分かると、美砂は溜めこんでいた息をふぅっと吐き出して瞳を閉じた。
「じゃあ、せめてどうやって手に入れたのかを教えて」
『それもダメだ。君はきっとそのためにまた無茶をする』
「しないわ。ただの興味本位だもの」
『……鏡、見てみなよ。興味本位のやつがそんな必死な顔をするもんか』
「……うるさい! いいから教えなさいよ!」
『……』
春樹はただ黙っていた。
恐らく中型モンスター全般が持っているのだろうと予想はしていたが、それを口にすれば美砂はきっと命をなげうつ。
それほどまでに彼女を切迫させている原因は一体何なのだろうかと、春樹が想像していると―――。
「……分かったわ、セッキって奴を倒せばいいのね? 確かクラッカーって男とそんな話をしてたわよね」
『!?……よせ、無茶だ。東組の皆を送ったらすぐそっちに行く。それまで待てないか?』
「あてずっぽうだったけれど、図星ってとこかしら? 気持ちは嬉しいけど、こっちも急ぎなのよ。ありがとう、もういいわ」
そういうと、美砂はさっさと歩いて行ってしまった。
『……朱音、あの娘から絶対に目を離すな』
朱音は春樹の言うことに真剣な顔で頷くと、美砂の後を追って駆けだした。
北組の生徒たち約50名は、郊外のガソリンスタンドで地べたに座り込んで休憩をとっていた。
その中には数名の保護者も混ざっている。
生徒の内の幾人かは無事自宅にたどり着いてはいたものの、軟禁状態の自宅で飢えるよりは、どこか安全な場所を探して彼らと行動を共にする方が得策だと考え、家族を連れて家を出ていた。。
さしあたっては警察署に向かうのが良かろうなどと話し合っていたところであったが、数人の生徒が、遠くに朱音と美砂の姿を見つけて首を伸ばした。
「ん、なんだあれ」
「風町さんとプチデーモンだ。喧嘩でもしてるのか?」
生徒たちの視線の先では、二人が何やら深刻な顔をして言い合っていた。
「だから、ほっといてって言ってるでしょ!」
「だめだってば! 一人で動き回ったら、あっという間にモンスターのご飯になるよ!」
「ならないわよ。仮にそうなったってあんたには関係ないでしょう!」
朱音は必死に美砂を止めようと説得していたが、彼女はそれに聞く耳を持とうとはしない。
そこへ、薬師寺と桜が駆けつける。
「おいおい、やめんか! どうしたんだお前ら」
薬師寺が割って入ると、美砂はこれ以上ないくらいに不機嫌そうに舌打ちをする。
「ちょっと辺りの様子を見てくるだけよ」
「嘘! ポーションを探しに行く気のクセに!」
「……時間がないのよ。どうしても邪魔するって言うんだったら、――――押し通るわよ」
美砂はIF画面を手早くタップして出刃包丁を取り出すと、それを握って凍えるような視線を朱音に向けた。
どんな恐ろしい魔物と対峙しても少しも物怖じすることのなかった朱音の背筋を、冷たい何かが伝わって落ちる。
このとき、言葉を失った朱音の代わりに口を開いたのは薬師寺だった。
「風町、よくわらかんが、勝手な行動をするな。それと、仲間に対してそんな目を向けるやつがあるか!」
薬師寺の瞳はいつになく真剣だった。
美砂の敵意など露程も恐れる様子もなく、ただ真っ直ぐに彼女を見据えている。
「ヤクマン、あんたは何にも出来ない、何の役にも立たない癖に、教師ってだけで上から偉そうなことばっかり言ってて、恥ずかしくないの?」
その言葉に薬師寺の顔色が一変する。
だがこみ上げるのは怒りよりも後悔や自責の念。
何を守る力も度胸も無く、体ばかりが大きくて、人一倍臆病で。
「先生」などという敬称で呼ばれる価値が果たして自分にあるのだろうか、自分はいつからこうなってしまったのか、などと思い返していた。
「か、風町様、いったん戻りましょう? 皆心配してますし……」
桜が不安げにそう諭すが、美砂は背を向けて歩きだしてしまう。
「あんたみたいな、他人の中にしか理想を見つけられない女が一番嫌いよ」
と言い残して。
桜は揺らぐ視界の中、その背中が見えなくなるまで、見えなくなっても、じっと彼女の行く先を見つめていた。