彼らの帰路②
「だろ? いいから黙って見てろよ」
春樹が頭を下げたことで、どうやら彼らの自尊心はあっさり満たされたようだった。
達也たちは気を取り直して立ち上がると、ゴブリンナイフやテニスのラケットを手に、姿勢を低くして魔物に察知されないように歩き始めた。
「よし、まだこっちに気付いてないみたいだ」
「なんだろあいつ、変な格好してるな」
「なんか弱そうだな。楽勝じゃね?」
取り巻きの男子たちは額に脂汗を浮かべながらも、平静を装ってそう言った。
しかし、あながち全てが虚勢というわけではなく、事実そのモンスターは一見して強そうには見えない。
パッと見にはゴブリンのようにも見えるが、それよりは一回りは大きな体。
とはいえ、人の腰の辺りまでの背丈しかない。
ずんぐりとした体には獣毛で拵えたガウンを身に纏っており、頭にかぶったフードは先端が折れ曲がっていて、実に可愛らしい印象を与える。
穏やかな瞳と、その顎にたっぷりと蓄えた白ヒゲは、サンタクロースやドワーフを連想させる。
「よーし、後ろから一気にいくぞ。遅れんなよ!」
そういって達也がゴブリンナイフを片手に勢いよく走り出すと、取り巻きたちも負けじとその後を追った。
モンスターまでの距離が残り20mといった距離まで近づいたとき、テニスラケットを持った取り巻きの男子が呟く。
「な、なんかさ、近くで見ると思ったよりも大きくないか、たっちゃん」
「はぁ? お前びびってんのか?」
先頭を走る達也が振り返りながら彼の言葉を一蹴すると、他の男子も小ばかにするようにそれを嗤った。
しかし、その異変は近づくにつれてはっきりとしたものに変わっていく。
遠目にはゴブリンほどの大きさしかなかったはずだったそのモンスターが、今では自分たちと同じくらいの大きさにしか見えない。
そして、ついに達也がその側までたどり着いた頃には、それはとっくに彼らの誰よりも大きく、たくましい姿に変貌していたのだった。
「嘘だろ……何なんだよこいつは!?」
驚きのあまりに混乱している達也の方をゆっくりと振り返ったその魔物の眼光には、先ほどまでの穏やかさなど微塵もなく、唯々殺意に満ち満ちていた。
体長は2m半ばほどはあるだろうか。
その肢体は異常なまでに発達した筋肉で覆われており、身に着けていた可愛げな衣服のほとんどが破れ飛んでしまっていた。
「こ、この野郎!」
達也は振りかぶって、手に持っていたゴブリンナイフを怪物の腹の辺り目がけて投げつける。
しかし、魔物はそれをよける風でもなく6つに割れたその腹筋に力を込めると、ナイフを易々と弾き返してしまった。
そしてゆっくりと達也の方へ歩を進め始める。
「く、来るな化け物!」
達也が逃げだすべく踵を返した瞬間、魔物は駆けだして一気に距離を詰めると、彼の腕を掴んで片手一本で軽々とその体を持ち上げてしまった。
「は……離せ!」
魔物は、必死に叫ぶ彼の顔をまじまじと眺めたあとで不気味に微笑むと、砲丸投げの如く体を回転させてから彼の体を空高く放り投げた。
茫然と立ち尽くしていた取り巻きたち。
そこへ達也の体が放物線を描きながら落下し、4人は仲良く地面に伏せてしまった。
「あ……ああっ……」
もつれ合ったお互いの体をもたもたと解きながら彼らがなんとか体を起こしたときには既に、魔物は彼らの側でほくそえんでいた。
ことさら全身を強く打ち付けていた達也だけが、いまだ起き上がれず、呼吸を戻そうと地面で悶えていた。
「やめてくれぇ……」
魔物は力なくそう呟く達也の足を鷲掴みにして逆さまに持ち上げると、制服のまくりあがった脇腹に鋭い爪をわずかに押し当て、指先に着いた血をぺろりと味見して、嬉しそうに笑った。
「てめえ、たっちゃんを離せよ!」
取り巻きたちは勇気を振り絞ってラケットや棒きれでその体を叩くが、魔物は全く意に介す様子もなく、達也の脇腹へ喰らい付くべく、口を開けた。
その時だった。
魔物のあんぐりと開いた顎が突然に横へとスライドし、不恰好に外れてしまう。
驚いた魔物は達也の足を離して、自分の顎を必死に押さえる。
「あ、天羽……?」
飛び上がって魔物の顎を蹴り飛ばしたのはやはり天羽春樹。
春樹はふわりと着地すると、達也たちに一瞥することなくIFを開いて『魔物解析』のアイコンを押す。
『スプリガン 推奨討伐Lv8 イングランドの伝承に登場するドワーフの一種。人が近づくと、強靭な肉体を持つ醜悪な大男へと変貌する。Drop:一般防具全般/???』
春樹は名前とレベルだけに目を通すと、外れた顎を元に戻そうと躍起になっているスプリガン目がけて走りだす。
そして十分に地を蹴って勢いづけてから、脇腹へと足刀を打ち込む。
「硬いな……!」
脚力が20%もアップしている春樹の蹴りをもってしても、その鋼の肉体にはなんのダメージも与えることはできなかった。
スプリガンは春樹の攻撃を気に留めることもなく外れた顎と格闘をした末、それを元の位置に戻すと、やっと春樹の方へと向き直る。
スプリガンはその巨躯に不釣り合いな速さで間合いを詰めると春樹の体めがけて右の拳を突き立てた。、
春樹は両腕を交差してそれをガードしたが、それでも彼の体は数メートル後ろまでずり下がっていた。
腕に強烈な痺れを感じるほどの衝撃を受けて、春樹の表情が曇る。
(耐力が20%向上していなかったら腕が折れていたかもしれない。出し惜しみしてる場合じゃないな)
春樹は心の中でそう呟くと、左右の手の平の5本の指先を合わせて力を込める。