脱出①
午前8時。
長い長い夜が明けた。
生徒たちは概ね目を覚ましていたが、ライアンを含む数名はまだ死んだように眠っていた。
「ライアン、起きて。会長さんが今から大事なことを話すから」
児玉浩太がライアンの体を揺さぶる。
彼はすっかり寝癖で逆立ってしまっている金色の髪の毛を気にする風でもなく、目をこすりながらなんとか起き上がった。
「皆、聞いてくれ。今から学校を脱出してそれぞれの自宅へと向かおうと思う」
生徒たちの瞳に光が差し始める。
「集団下校の班分けをするために、全員、この教室の中心を学校の位置だと思って、自分の自宅のある方角に立ってみてくれないか?」
兼光がそう促すと、生徒たちはそれぞれの自宅の位置に相応しい場所へと移動を始める。
人数全体で言えば南が少し多かったが、北・東・西にはおよそ均等に分かれていた。
「×の字に区切って、それぞれを北組、東組、南組、西組としよう」
兼光はどうやら4つの組にわけて集団下校をさせるつもりだ。
北組には薬師寺満Lv1、風町美砂Lv2、宝木桜Lv1。
東組には天羽春樹Lv9、三島朱音Lv3。
南組には斎藤兼光Lv3、梶浦徹Lv1。
西組には大喜多健吾Lv3、児玉浩太Lv1、ライアン・フラムスティードLv2。
主要メンバーたちはこのような具合にそれぞれ分かれていた。
(北組が特にまずいな)
兼光は北組に女子が多く、体躯の良い男子が少ないことが気がかりだった。
このことに気付いた北組の生徒たちが不安げにざわつき始める。
「私も北組に入るよっ!」
そう声を上げたのは三島朱音。
「ちょっとまってくれ、三島さん……だったかな。いくらレベル3といっても君一人が入ったところでどうにかなるものでは―――」
兼光がそう言いかけた時、北組の生徒たちから歓声が上がった。
「やった、三島さんきた!」
「大歓迎だよ!」
「プチデーモンが入るなら余裕じゃね?」
健吾は呆気にとられている兼光の側へ来ると、その肩を叩いた。
「かねみっちゃんは知らないかもな。多分あの子がうちらの中で一番強いよ」
「え、どういうことだい?」
北組の生徒たちとハイタッチをしてはしゃいでいるその小柄な少女を見つめながら、兼光は振り返ることなく尋ねた。
「俺は同じ中学だったから知ってるけど、三島さん、昔は相当無茶してたらしくって、色んな噂が立ってたんだよ。コンビニにたむろしてた不良7人を独りでやっつけたとか、刃物持った暴漢をコテンパンにしたとか。言い出したらきりがないくらい。そんで、ついたあだ名がプチデーモン。体育祭の競技とか、いつも男子に混ざってたなぁ。しかもぜんぶ彼女が一位」
「あんな小さな娘が……。信じられないな……」
「つっても、最近じゃあそういう噂を全く聞かなくなったから、やっぱ高校生になって落ち着いたんじゃないかな」
「でも、北組に入ってしまったら、彼女自身が家に帰れないじゃないか」
兼光のもっともな指摘に、健吾もしばし頭をひねる。
「それなら心配いらないと思いますよ」
いつのまにか側にいた春樹が苦笑いを浮かべながら呟いた。
「あいつのところは父子家庭なんですけど、親父さん、あいつの何倍もタフなんで心配するだけ無駄ですよ」
むしろ嬉々としてモンスターと闘ってると思います、とは言わないでおいた。
「そ、そうなのか……一体どんな親子なんだ……」
兼光は頭の中で、それこそ赤鬼のような父親を想像して背筋を冷やした。
「わかった。北組については彼女の申し出に甘えるとしよう。天羽君、東組は君ひとりに負担を強いる形になるかもしれないが……」
「やれるだけのことはしてみます」
春樹は、「任せてください」などと虚勢を張ることはしなかった。
町を徘徊するモンスターと打ち捨てられた数々の遺体を目の当たりにしながら学校にたどり着いた春樹には、彼らの希望が吹けば飛ぶような心許なさを帯びているような気がしてならなかった。
兼光が一通りの方針を伝え終わると生徒たちは教室の出口へと向かう。
「武器を持っている生徒は集団の外側へ! 一階へは僕と健吾が先に降りる!」
階段を慎重に下りながら、兼光が集団の先頭で叫ぶ。
兼光と健吾が二階と一階の間にある踊り場まで到着すると、それを待ち構えていたかのように、大量のゴブリンが眼下に集まり始めていた。
「うわぁ、多いなぁ……」
健吾がその数に対して渋い顔をしている一方で、兼光は踊り場から一気に飛び降りて、ゴブリンの群れの中央に着地してしまった。
ゴブリンたちはギラギラとした白刃をちらつかせながら、いまにも飛びかかろうとしていた。
しかし彼は少しも怯む様子もなく、片手に持っていた部活用のバッグを床に置いて木刀を構える。
そのバッグは出発前に春樹に渡されたものだった。
『斎藤先輩、よかったらこれ使ってください』
『ん、これは? な、なんだ!?……動いてるぞっ!』
バッグの中では確かに何者かがうごめいていた。
『昨晩みんなでステータスをチェックし合ったときに思いついたのですが、斎藤先輩が一番レベルアップに近そうだったので』
そう、バッグの中身はゴブリンだった。
春樹は皆が寝ている間に朱音と教室を抜け出して、二階に少数ながら潜んでいたゴブリンを二匹ほど捕まえてきていたのだった。
「まったく、彼には舌を巻く」
兼光はそう呟くと、一斉に飛びかかるゴブリンに一瞥をくれることもなく、うごめくバッグへと木刀を振り下ろした。
『サイトウ カネミツハ レベルガ アガッタ』
バッグの中から二つの短い悲鳴が聞こえると同時に、兼光のIFからファンファーレが鳴り響く。
輝き始めた彼の体に背を向けて、ゴブリンたちは一斉に目を覆った。
「健吾!」
「よしきた!」
健吾はここぞとばかりに階段を駆け下りると、兼光と共に足元のゴブリン達を薙ぎ払っていった。
「さあ、今の内だ、いくぞ皆!」
兼光は廊下の突き当りにある出口へと走り出す。
3匹のゴブリンが出口付近にたむろしていたが、兼光が片手で木刀を何度か振ると、あっという間に気絶してしまった。
問題は出口へ向かう生徒たちを背後から襲うであろう、左手廊下の大量のゴブリン達だった。
この守りを任されたのは健吾と春樹、そして朱音だった。
「正直こえー!」
健吾の目の前では、30匹を超えるゴブリンの群れが狂ったように嗤っていた。
「大喜多先輩、大丈夫です。僕らはおまけみたいなものですから」
春樹がそういって見つめる先では、朱音がゆっくりと肩を回していた。
「朱音が撃ち漏らしたのだけ対処しましょう」
「だ、大丈夫かな三島さん」
「心配するだけ損ですよ」
朱音が進み出て、片足を力いっぱいに床に叩き付けて腰を落とすと、その轟音にゴブリンたちが驚いて体をびくつかせていた。
「よくも皆を……! 許さないから!」
朱音はそこかしこに転がって腐敗し始めている無残な遺体に、短い黙祷を捧げた後でそう叫んだのだった。