合流②
「腹、減ったな……」
健吾は壁に背を預けて、グウグウと弱音を吐いている腹をさすりながら呟いた。
「そうだね……。脱出できたら食料も探さないとね」
兼光はぼんやりと天井の蛍光灯の光を眺めながら乾いた唇を少しだけ舐める。
薬師寺は先ほどの若松騒動の最中も、今も、高いびきをかきながら腹を出してふてぶてしく眠っていた。
「監督よく眠れるな……」
健吾は多少の苛立ちを混ぜ込んだ溜め息を吐き出した。
「健吾も少し寝たらどうだい? どのみち朝までは動けないだろうし」
「んだね。次のトイレタイムまで寝ようかな」
健吾は大きく口を開けて欠伸をすると、そのまま瞼を閉じた。
ゴブリンが増殖してしまい、動くに動けなくなった生徒たちは、さすがに帰宅を諦めて眠り始めていた。
軟禁されてしまっている彼らにとって、できることといったら朝を待つことだけだった。
ただ、排泄欲だけはどうなるものでもないため、トイレに行きたい人間は一時間ごとにおとずれる「トイレタイム」に、兼光たちの護衛の元で用を足すことになっていた。喉が渇いていれば、手洗いのついでに蛇口の水を飲むしかない。
幸い、トイレは多目的教室を出てすぐのところにあるため、今のところゴブリンに襲われることも無かった。
ただ、下の階から不気味な叫び声が聞こえてくる中での用足しはあまりスムーズにはいかず、長蛇の列ができてしまっていたのが難点だった。
「そうそう、かねみっちゃん。ステータスポイント、振っといた?」
健吾は瞼を閉じたまま、半分寝ているような声で問いかける。
「ああ、耐力に3振っておいた」
「そか。俺は腕力に3つと、脚力に3つ振っておいたよ。ピッチングも大事だけど、盗塁王にもなりたいからな」
「こんなときでも野球なんだな君は。でもたぶんそれ、ドーピングで退場になるよ」
「それもそうか……ずるは……いかんよな」
健吾はそう言い残すと、すやすやと寝息を立て始めた。
先ほどまで狭苦しかった教室だったが、18人もの人間が抜けたせいか、あるいは誰もが力なく項垂れているせいか、いつもより広く感じられた。
誰かのすすり泣く声が聞こえてくる中、児玉浩太は教室の窓を開けてぼんやりと外を眺めていた。
先ほどまで霧雨が舞っていたが、空気が洗われたかのように心地の良い6月の風が吹き抜けていく。
風に頬を撫でさせながら、そっと瞼を閉じる。
不意に、開け放っていた窓ガラスに、コツンと何かがぶつかる音がした。
不思議に思った浩太が真っ暗な校庭に目を凝らす。
「あ、有りえない……」
教室から零れる光がぼんやりと映し出したのは、こちらへ向かって手を振る人影だった。
「おーい。皆そこにいるのか? どこも閉まってて入れないんだー、どこか開けてくれないかー」
春樹たちだ。
モンスターが闊歩しているはずの校庭で、声を張り上げながら幼馴染を呼び出す程度の気安さで手を振っていた。
浩太は血相を変えて走り出すと、眠りかけていた兼光を揺り起こして、口早に状況を伝えた。
兼光はその断片を聞くや否や、落っこちそうになるほどの勢いで窓辺に飛びついた。
「き、君は! もしかして天羽くんか!?」
「あっ、斎藤先輩ですかー? そうですー、天羽ですー。友達も二人、一緒です」
今にもその背後から獣やゴブリンが襲い掛かってもおかしくない状況に肝を冷やしながらも、兼光は懸命に考えをめぐらせた。
しかし、今この状況で彼らを多目的教室まで安全に移動させる手段は、いくら考えてもでてはこなかった。
「先輩、どこでもいいんで、開けてもらえませんか?」
「中庭の扉が一か所開いてるといえば開いているんだが―――」
「中庭ですか、了解です」
「いや、ちょっと待つんだ!そこは―――」
春樹たちは兼光の言葉を待たずに走り出してしまった。
中庭には発狂して飛び出していった生徒が開け放ったままの扉があるが、そこから侵入したところで、一階には大量のゴブリンが待ち構えているはず。
「おいおい、天羽が来たのか?」
「うそ、外にいるの!?」
兼光の会話を聞いていた生徒たちが興味深そうに窓際へ集まってきていた。
「部長、一体何があったんですか?」
教室の入り口の見張りをしていた梶浦が駆け寄って真剣な眼差しを向ける。
「外に天羽くんと、ライアンくんがいた! あと女の子が一人! まずいことになった……、彼らは中庭の扉から入るつもりらしい!」
兼光は走りながら口早に答えると、真っ青な顔をして木刀を手に取り、教室を飛び出していった。