パニック⑥
その淀んだ空気を引き裂くような悲鳴が、にわかに教室内に響き渡る。
「ゆ、許してくれぇ!!」
見れば、若松が教室の隅で数名の生徒に取り囲まれていた。
「ふざけんな! 18人も死んだんだぞ!」
「いい加減なこといいやがって! てめえのせいで俺たちも死ぬとこだったんだぞ!」
若松に乗せられたせいで危険な目にあった生徒たちが声を荒げる。
「私の彼氏も戻ってきてないのよ!」
「お前、目の前で襲われてるやつ見捨てて逃げてきたらしいな」
「そうだ……。こいつにその彼氏を探してこさせりゃいいんじゃね?」
生徒たちは怒りに任せて若松の柔道着を掴むと、教室の外へと彼を放り出すために力任せに引っ張り始めた。
「や、やめて……本当に!お願いです。やめて……!」
子供のように泣きじゃくりながら床を引きずられる若松。
彼らは途中で若松を何度か殴りつけて脅しをかけながら出入口まで引きずると、扉に手をかけた。
「おいおい、やりすぎじゃないか?」
先ほどまで若松に対して憤慨していた健吾も、流石にこれには同情せざるを得ず、割って入る。
「大喜多君、あんただってさっき怒ってたじゃないか」
「悪いけど、こいつだけは許せない」
「そうよ、黙ってて! 早く、早く彼を探して来なさいよ!」
彼らの瞳はもはや正気のものとは思えなかった。
このとき時刻は深夜24時前。
改変がおこってから7時間弱が経過していた。
その間ずっと恐怖に晒されてきていた彼らの精神に歪みが生じ始めるのも無理もない。
そこに、絶対悪。憤りのはけ口が現れたのだから、ことがエスカレートするのは必然であった。
「分かった。僕が探しに行くよ。君たちの言うとおりだ。まだ18人全員が死んだとは限らない」
兼光が申し出ると、生徒たちは少し困った様子で顔を見合わせる。
「斎藤君、こんなやつ庇うことねえよ」
「そうじゃない。若松が殺されればまたゴブリンが増える。僕はまだ希望を捨てたくない。きっとここを脱出して安全な場所に避難するんだ」
彼らが今教室から捨てようとしているのは若松という名の絶対悪のはずだった。
しかしそれによって希望がさらに失われるという矛盾。
「だから、僕がきっと君の彼氏を見つけてくるよ。待っていてくれないか?」
どうやら兼光は本気らしい。
まっすぐに見つめるその目に思わず俯き、視線を逸らす生徒たち。
自分たちの暴走した正義の醜悪さと、兼光の純粋な正義の美しさを比べてしまった彼らの手から力が抜ける。
若松は無様に床に落ちると、ゆるんだ股座から漏れた小便で床を汚していた。
兼光がそれではと引き戸の取っ手に手をかけると、不意に女子生徒がその袖を摘まんだ。
「やめて斎藤君……。本当は私、知ってた。彼はもう、死んでるの……」
兼光は黙って続く言葉を待った。
「一階から逃げ帰ってきた他の男子から聞いてたの。彼の遺体を一階で見かけたって。だからこそ、そいつを許せなかった……」
彼女は膝を折って崩れ落ち、悲鳴にも似た嗚咽が教室内に反響する。
だが、喚くように鳴き続ける彼女に手を差し伸べることができるものはいなかった。
最愛の者を失った彼女の絶望を推し量るには、彼らはまだ若すぎた。