パニック①
「なあ、斎藤。皆で一斉に片づけないか?」
そう提案したのは柔道部主将、若松猛だった。
若松をはじめとする多くの生徒たちは、状況がなかなか好転しないことに対して焦れ始めていた。
『片づける』とは、もちろんゴブリンのことであり、外の獣たちのこと。
兼光たちがそこそこにモンスターを倒していると聞いた生徒たちは、もしかしたら自分たちでもできることなのかもしれないと思い始めていたのだ。
「何が来てもみんなで寄って集ってやっちまえばいいじゃないか。なあみんな?」
若松が自慢の力こぶを掲げながら周囲に同意を求めると、他の柔道部員たちが「そうだな」「その通りだ」と大げさに頷く。
一方、兼光は難しい顔をして考え込んでいた。
(確かに物量を武器にして一掃したほうが早い。その発想は僕の中にもあった。だが―――)
兼光は顔を上げると、浮かない表情で言った。
「あまり賛成はできないな。何かのきっかけで集団パニックが起こったら対処が難しくなる」
「大丈夫だって。それにみんな、早く学校を出て、家に帰りたいと思ってるだろうし」
若松はそう言って兼光の肩を二度三度と叩いた。
兼光としては、学校の中の安全をまず確保し、学校を出るのは明日、日が昇ってからが良いと考えて行動していた。
しかし、すでに耐え難いホームシックにかかっている者がいることも事実。
家族を心配して早く帰りたいという思い、安心できる自分の家で過ごしたいという希望。
それらは誰の胸の内にもあった。
「なあ、そうしようぜ! 一緒にいってみたい奴いないかー? 俺らもあいつら倒してレベルを上げようぜ!」
兼光の心配をよそに、若松が仕切り始める。
「俺、家族が心配だし、早く学校を脱出したい」
「俺もだ。皆で行けば大丈夫だろ!」
やはりというべきか、次々と手が上がり、運動部の男子を中心に50名以上の生徒がこれに志願した。
「決まりだな」
若松は不適な笑みを浮かべながら兼光の方をちらりと横目で見た。
(くだらないな)
兼光は心の中でそう呟いた。
彼と若松の間には少なからず因縁があった。
いや、若松が一方的に因縁をつけているというべきか。
昨年10月に行われた生徒会役員選挙で、生徒会長の座を争ったのはこの二人だった。
結果は大差で兼光に軍配が上がり、若松はその件をとんだ赤恥だったと後悔すると同時に、彼を常々妬ましく思っていた。
(ざまあみろ、俺のほうがリーダーとして相応しいんだよ)
集まった生徒たちに囲まれながら、若松はひどく高揚していた。
「どう思う? かねみっちゃん」
健吾が訝しげな顔をして兼光に耳打ちをする。
「分からない。けど、上手くいくならそれで申し分は無い……」
若松の下らない嫉妬はさて置き、上手くいけば今日のうちに学校を脱出できるかもしれない。
とはいえ、夜道のどこから魔物が襲い掛かってくるか分からないため、脱出できたとしても相当危険なのではないか。
兼光はそんな思慮を巡らせて黙り込む。
「若松、やめておけ。へたに動くと死傷者が増えるぞ」
薬師寺は若松の肩を掴んでそう諭した。
どうやら薬師寺は兼光と同じく、掃討作戦に対して慎重な立場のようだった。
「せんせー、まあ俺たちに任せてくださいよ。すぐにあいつらぶっ倒して来ますんで」
若松は肩に置かれた薬師寺の手の甲を力いっぱいに握り締めて引きはがす。
「ヤクマンは黙ってろよ!」
「びびって腰抜かしてたくせに!」
生徒たちの不安と不満の矛先は薬師寺に向けられていた。
(邪魔すんなよ、へたれ)
若松は薬師寺だけに聞こえるように小さく呟くと、志願したおよそ50名の生徒たちに向き直る。
「斎藤たちにはしばらく休んでいてもらおう。まかせっきりは良くないからな。さあいこうか!」
彼らは健吾と梶浦が集めた武器を手に取って、教室を出て行ってしまう。
若松は出際にもう一度兼光を一瞥して、得意げに唇の端を釣り上げていた。
「まあ、ああ言ってたことだし、俺たちも休もうぜ」
健吾は溜息交じりに両腕を頭の後ろで組むと、壁にもたれ掛って瞼を閉じた。
兼光は相変わらず難しい顔をしている。
そこに薬師寺が頭を掻きながら近づくと、隣に腰を掛けた。
「やれやれ……」
薬師寺はばつが悪そうにため息を吐き出す。
「先生。職員室で先生が見たゴブリンは、5,6匹だとおっしゃってましたよね」
「ああ、そうだ」
「ですが、さっき保健室から戻るときに待ち伏せていたゴブリンは10匹はいました」
そういえばそうだったと、薬師寺はうーんと唸ってはみるものの、原因に見当がつきそうにない。。
そもそも、この超常現象のオンパレードの最中においては、自分たちの知らない理屈であらゆることが起こりうるだろうと、彼は考えるのをやめた。
代わりにと、健吾が片目を開けて兼光を見やる。
「またどっかから湧いてきたんじゃないか。もしくは外にいる分が加わってたとか」
「湧いてきた、か。どういうタイミングで、どれくらい湧くんだろうか。何か条件があると思うんだが」
「まあ、俺たちが考えてもしゃあないよ。それを知ってるとしたらこのゲームを始めたあのイカレ野郎だけさ」
「……あるいは天羽君なら」
兼光は意外にも、ここで春樹の名前を口にした。
「天羽か。俺は話したことがないけどさ、すっごい頭が回りそうな奴だったよなぁ」
健吾はあの男と春樹の会話を思い出しながら天井に向かってそう呟いた。
実のところ、斎藤兼光は天羽春樹と面識があった。
一年前、まだ兼光が二年生になったばかりの頃の話だ。
剣道部を見学に来ていた一年生の集団の中に春樹はいた。
「誰か二年生と試合してみないか? そうだなあ。おっ、そこの背の高い君、どうだい?」
当時の剣道部部長がそう言いながら指名したのが春樹だった。
そしてその相手をすることになったのが兼光。
春樹は照れ笑いを浮かべながら、なすがままに防具を付けられて竹刀を渡された。
それをぎこちなく何度か振り回したあとで、ぺたぺたと音を立てて兼光の前まで来て構えた。
「すまん斎藤。しまったことに、どうやら彼は完全に素人らしい。一応勝負してるっぽい感じにまとめてくれると助かる」
部長の耳打ちに兼光は静かに頷いた。