戦意喪失
広場に戻った玄武に対峙する彼ら。
しかし、討伐部隊の半数近くの姿が消えていた。
4名が噛み殺され、10名近くがどこかへと吹き飛ばされた。
その救助に当たっている者もいるのだろうが、その他20名近くが戦意を失って林の中へと隠れてしまったようだった。
無理もない。どう考えても敗戦濃厚なのだから。
学生チームで残っているのは兼光、梶浦、服部、健吾、美砂、ライアンと他7名程度であった。
意識を失っている児玉浩太は宝木桜に任せて林の中へと寝かせてきた。
半壊状態ではあったが、20名前後の社会人チームが戦意をある程度保ったまま無傷で残ってくれているのが唯一の救いといえた。
「まだ戦えそうな人たちは残ってますが、どうします?」
服部が尋ねるが兼光からの返事はない。
考えがまとまらないのだ。
今は戦闘に集中しなければならないというのに、死傷者がでてしまったという事実が彼の心を飽和させていた。
思えば、学校に立てこもっていたときにも死傷者はでていた。
だが、今回は情報を隠していたことが後ろめたい。
こうなる可能性を知っていて作戦を決行したことが後ろめたい。
自分の舌先三寸で人を殺してしまった。
そういう自責の念が彼の中で今、渦巻いていた。
服部は兼光の指揮を期待できそうもないと察して、代わりにと声を上げる。
「もう一度魔法を! 近接部隊は足と尻尾をねらいましょう!」
これはおそらく正解だ。
的はでかいのだから、魔法は命中精度の悪さを度外視してぶつけ放題のはず。
時間経過で回復するMPを使わずにいるのは、とにかくもったいない。
近接部隊はあのいかにも堅そうな甲羅を避けて、いくらか地肌の見えている足か、斬撃に弱い蛇の尾を狙っていくべきだ。
本当は頭を狙ってみるべきなのかもしれないが、近接職でそれを行うのは無謀すぎる。
あの異常にすばやい噛みつきによってまた死者がでてしまうことは明白だ。
兎にも角にも、彼らは再び攻撃を開始する。
「正面に立つな!回り込め!」
誰かが叫ぶ。
誰もがそうした。
近接職の者たちは武器にスキルの光を宿し、玄武の背後や側面を目がけて走りだすと、樹齢数百年の巨木を思わせるその太い足を攻撃し始める。
魔法職の者はMPの許す限りに次々と魔法を放った。
それらが玄武の体にぶつかるたびに、ドンと心地良い音が響いてくる。
しかし玄武もただ彼らの成すがままにさせていたわけではなかった。
玄武がその巨大な4本の足で地団太を踏むと、その迫力と舞い上がる粉塵に気圧されて、近接職の者たちは顔を覆った。
時には伸縮する首を横に伸ばして、前足を攻撃している者たちを食い殺そうともした。
そして、何よりも厄介であったのが、巨大な蛇の姿を成している尾だった。
蛇がその身を鞭のようにしならせて自由自在に振り回すと、人々はわっと声を上げて林の方まで吹き飛ばされていく。
「くそっ。厄介だなあの尻尾」
健吾がそう舌打ちをした直後だった。
ぎゃっという短い悲鳴の後で、辺りが静まり返った。
見れば、玄武が踏みしだいた右前足の下から、赤黒い体液が染みだしていた。
そしてゆっくりと持ち上げられたその足の裏には、何かの肉片がべっとりと張り付いていたのだ。
円形にくぼんだ地面の中央に衣服らしい布きれが張り付いているのを見るまでは、その肉片が先ほどまで人の形を成していたことなど、誰にも分からなかった。
「踏みつぶされたのか……だ……だめだ。逃げよう……。――――みんな殺されるぞ!!」
誰かがそう叫んだ時には、玄武に向かっていく者は一人としていなくなっていた。
明確に背を向けて走り出す者はいなかったものの、最早彼らには戦意と呼べるものは無い。
彼らを突き動かしていた使命感や、戦闘経験が生み出した自負の念も、死という名の絶対的ストレスの前ではいかに儚いかを、彼らはとうとう思い知る。
玄武への全ての攻撃は止み、全員が広場の外輪へと後退していた。
兼光は決断を迫られていた。
こうなっては撤退以外に選択肢はきっと無い。
しかし、ここで引けばきっと次は無い。
圧倒的な力の差を思い知ってしまったあとでは、後日の再戦に誰が参加するだろうか。
そもそも、後日など無い。
この町の全ての人間が、飢えと魔物の餌食になるのは時間の問題であり、今がそれを阻止できるぎりぎりタイミングなのだ。
何より、安全地帯の確保を信じて浄水場で奮闘しているであろう父親たちのことを思うと、どうしても諦めきれなかった。
たった一つだが、彼の胸の内に希望はあった。
心を鬼にして打った、たった一つの策だ。
だが、それが成るにはまだ時間が必要らしい。
どうやらタイムオーバー。
いや、ゲームオーバーか。
(もう、これ以上死者をだすわけにはいかない)
兼光は噛みしめていた唇を解き、撤退命令を出すべく口を開いた。
だが、その声は周囲のどよめきによってかき消される。