斎藤兼光の葛藤
翌日、作戦決行の日の朝。
風町外科医院のロビーには作戦参加者、総勢67名が集まっていた。
「作戦は今から8時間後、16時に決行します! それまでは自由に過ごしてください。夕方までにまだレベルを上げたい方は、狩りに出る際に必ずパーティーを組んで5名以上で行動してください」
兼光がそう言うと参加者たちは早速、作戦開始時間まで狩りをするべく、パーティー編成について話し始めた。
どうやら彼らは連戦の疲れよりも、レベルやスキルの熟練度を上げることに興味が尽きないようだった。
転職によってスキルという超常的な力を得た者たちが、それに魅了されるのは無理もない。
「まだ武器を受け取っていない方や、武器を変更したい方はリハビリテーションルームに来てください!」
梶浦が声を張り上げてみるが、どうにも盛り上がってしまっている彼らにきちんと聞こえたかどうかは怪しかった。
「なんだか、皆さんやる気満々ですね」
服部が苦笑しながら兼光の隣で呟く。
「ああ。これならきっと……」
成功する。
と続けるつもりだったが、兼光にはそれが憚られた。
「あのことはやっぱり、言わないでおいたほうがいいんですよね」
服部の言葉に、兼光は唇を噛む。
そう、大型のボスが出現する可能性を、兼光はまだ皆に伝えていない。
本来ならばちゃんとその危険性を伝えた上で、皆で知恵を出し合いたいと思っていたのだが、士気を下げないためにも伏せておくことにしたのだ。
そうすることを決断したのは最終的には兼光自身であったが、これには岩城正義の意志が強く反映されていた。
昨晩のことだ。
浩太からの報告を受けた後、兼光は岩城正義の元へと向かった。
屋上で空へ向かって煙を吐いていた正義。
兼光が来たことを察すると、一応の一瞥をくれてから再び視線を空へと戻した。
「見なよ斎藤君。天の川ってやつが良く見える。僕はこんなの教科書でしか見たことがなかったよ。空気が澄んでいるんだろうねえ。―――人が沢山消えた証拠だ」
正義が促すも、兼光はちらりとも空を見上げることなく、思いつめた様子で「相談があります」とだけ伝える。
「どったのさ。随分余裕の無い顔をしているねぇ。まーだ落ち込んでるのかい? あの強姦魔の二人を置き去りにしたことを」
正義の言う通り、確かに兼光はそのことで昨日から気を病んでいた。
若松とその子分は、南組がこの風町医院に移動する際に市民ホールに置き去りにされていた。
正義によってへし折られた彼らの手足にはポーションで最低限の治療を施してあるが、万全とは程遠い状態であった。
そんな状態で放置されればきっと助からないであろうことは分かっていたが、重罪を犯した彼らを連れて行くわけにもいかず、兼光は苦渋の決断をしたのだった。
「それもありますが……。実は、明日の作戦のことで気がかりが―――」
兼光は、浩太がもたらした台湾人からの情報を、ありのままに話した。
「ビャッコかぁ、僕も知ってるよ。昔っからゲームや漫画によく出てくるからね。確か、四方を護る中国の神様で、えっと、ビャッコはどこを護ってるんだっけ、西だっけ? 東だったような? まあ何にせよ強そうだなぁ。絶対強いよねえ、なんてったって神様なんだから」
正義は星空に思い浮かべたビャッコの姿を眺めながら愉しそうにそう語る。
他人事のようにはしゃいでいる正義に対して、兼光はざわつく心を抑えながら、彼が満足するのを待っていた。
「っと。それで、僕に何を相談したいんだい?」
やっと、思い出したかのように正義が言う。
兼光は一瞬躊躇してから意を決して口を開く。
が、正義はそれにかぶせるようにして付け加えた。
「ひょっとして、作戦を延期したい、なんて話かい?」
不意に、心を見透かすような嫌らしい視線が兼光に向けられた。
図星を突かれた兼光は、俯きがちに応える。
「そう……考えています」
「―――甘いねぇ。いや、この場合は、ずるいねと言うべきか」
正義は携帯灰皿にタバコをしまって兼光の方へと向き直ると、呆れを顔に浮かべる。
「この作戦の指揮権は君に譲ると言ったはずだ。君もそれを承諾した。すべて君が独断すればいい。なぜ僕に相談するんだい?」
なぜ正義に相談しようと思ったのか。
なんとなく、一応。
そんなつもりでいたが、兼光はその原因についてすぐに思い当ってしまい、はっとして唇を噛んだ。
「君は僕にこう言ってほしいんだ『多少の犠牲は覚悟したうえで強行するべきだ』とね」
正義は見透かした兼光の胸の内を芝居がかった口調で語り始める。
「誰一人として失うことなく勝利する予定だったのに、事情が変わってしまった。このまま向かえば多くの戦死者がでるかもしれない。―――だから君は、その責任を僕に肩代わりさせようと企んだ」
兼光は返す言葉が見つからず、拳を握って項垂れている。
「君は作戦を延期なんてしないよ。というかできない。聞いてるよ、君のお父さんや友人がインフラ施設を守るために奮闘しているそうじゃないか。早く安全地帯を確保して迎えにいってやりたいはずだ。それに君だって分かっているはずだ。この町の住民はもう限界だってことを」
世界が改変されてから4日が経過している。明日で5日目。
建物の中に引きこもっている人々の食料は恐らく既に尽きている。
インフラが維持されているおかげで水には困らないだろうが、飢えは相当なものになっているはずだ。
ともすれば必然、食料を求めて屋外に出ざるを得ない。
そうなれば相当数の人間が魔物の餌食となるだろう。
何より、春樹の話を聞く限りでは、全てのインフラ設備は魔物の増加によって間もなく陥落する。
思えば、まともにインフラを維持できているのは日本だけだと、改変初日にクラッカーが言っていた。
維持できていること自体が奇跡なのだ。
そしてその奇跡の裏では各施設において想像を絶する戦いが繰り広げられているはずである。
町の住民を助けるためには、素早く安全地帯を確保し、すぐに救助隊を編成しなければならない。
救助にどれくらいの期間を要するかは想像がつかなかったが、インフラが止まってしまうことを加味すれば猶予はないと言い切れる。
もし作戦を延期をすれば、町は今まで以上に多くの死体で溢れることになる。
外に出て魔物に食い殺される者だけでなく、立てこもった建物の中で餓死する者も出始めることだろう。
「もう一度言おう。君は最初から作戦を延期する気なんてなかった」
押し黙っている兼光の頬を、心地の良い夜風が撫でていく。
その心地良さすら、今の兼光にとっては嘲りのようで不愉快だった。
正義はゆっくりと兼光の元へと歩み寄ると、腰を折ってその顔を覗きこみながら続けた。
「てめえはとっくに強行する決心をしていた。だが戦死者がでたときの自己保身のために、言い訳のために、俺に責任の半分を押し付けようと思って相談に来たんだ。『あの人が強行しようっていったんですー、僕悪くないですー』ってな具合にな。いやぁ、あるいは俺に全権を渡して、責任全部押し付けようと考えてたのかもしれねぇなぁ」
そこまでは考えていなかった。
兼光はそう反論しようとして顔を上げたが、自分自身にやましい心が有ったことは事実だと思い直し、口をつぐんだ。
反論がこなかったことをつまらなく思った正義は、普段のいい加減な優男の調子にもどって、背を向けた。
「まあでも、クラッカーも言ってたじゃないか。このゲームはそんなに難しくないって。案外あっさりクリアできるかもしれないよ? 台湾の人たちは戦力が足らなかったんだよ。雑魚を50体倒した時にはヘロヘロだったに違いない。僕らはきっと上手くいくさ。とはいえ、士気を落とさないためにも児玉君から聞いた話は丸ごと伏せておくべきだと、僕は思うけれどね。まぁ、それも君の自由さ」
正義はそう言い残して屋上を後にする。
兼光はしばらくそこに佇んだまま、沈みかけた月だけをじっと見つめていた。