レベルアップ②
一方、兼光たちのいる多目的教室の生徒たちも、その異変に気が付いたようだった。
「なんだ、小人たちの動きが止まったぞ」
健吾たちのいる部室棟の様子を窓から覗っていた生徒たちがざわつき始める。
「こっちも! 化け犬が片足上げて固まってる」
反対側の窓から裏門の方を見ていた女生徒がそれに応えるかのように叫んだ。
健吾たちを救出する算段をしていた兼光と他の生徒たちも、議論を中断して窓辺に集まった。
「なんだろう。すごく不自然だ。でも健吾たちが脱出するチャンスかもしれない」
兼光が呟いたそのときだった。
『はーい。いったんストップです。いやぁ、風呂入ってたんよ』
あの声だ。
品の無い男の声が誰しもの頭の中から聞こえてきた。
『あーあー、テステス。ボリュームおっけ。えーっと、どれどれっと。やるねえ地球人。風呂入ってる間に絶滅しちゃってたらどしよって、すこーし心配してたんだがなぁ』
「またこの声か。何を言っているんだこいつは」
薬師寺満が眉をしかめながら呟く。
『たったの14億人かよ、死んだの。優秀優秀。あー、ほとんどジジババとガキばっかだなぁ』
言葉の意味は分かっても、内容が突飛すぎていてどう反応をすればよいのか分からず、生徒たちは呆気に取られていた。
「死んだ……? 何億人も?」
「嘘だよね……?」
とても信じられる話ではなかった。
男は世界人口の約5分の1にあたる14億人が死んだと、確かにそう言った。
最初にこの男の声が聞こえてから約2時間。たったそれだけの時間でだ。
『まあいいや。さて、感想なんか訊いてみちゃおうかな。お前らの中でいっちゃんのお偉いさんはーっと……。おっ、こいつか。合衆国大統領。おい、聞こえてるかボケナス。返事してみろや』
男が乱暴にそう言い捨ててから少しの間の後で、別の声が聞こえ始める。
『Has it said, "Talk" to me? 』
『あーん?何いってんだおめえ。あそっか。相互翻訳機能切ってたわ。ポチッとな』
『この事態を引き起こしているのは君なのか』
流暢な英語の声が、急に日本語に切り替わる。
『ああ、そうだぜ』
『何が目的だ?』
『うーわ、すげえテンプレな質問だなおい』
どうやら男はその質問に答える気はないらしく、そのまま黙ってしまっている。
「大統領って、まじなのかな」
「あほか。あんな流暢な日本語しゃべる大統領がいるかよ」
「でも最初の英語の声、確かに似てたような」
生徒たちは当然、半信半疑で聞いていたが、兼光を含めた一部の者は神妙な顔つきでこれに耳を澄ませていた。
『私の声は全ての人類に届いているのか?』
『あー、そうだぜ。ほら、なんか言ってやれよ』
欠伸交じりの男の声は実に退屈そうだった。
『……世界の皆さん、今各国の軍が尽力しています。まもなく事態は収拾することでしょう。不安かもしれませんが、どうか冷静に対処して下さい』
生徒たちは依然として狐につままれているような心持ちだったが、ともかく軍が動いているとなれば、希望はあると安堵しかけていた。
『はーい。このおじさん嘘つきデース。本当はどこの軍隊も涙目状態デーッス。軍用の電子機器は一切使えないようにしておいたからな。正直に言えよ!戦闘機もヘリも飛ばせねえ、通信機器も一切使えねえ!もうどうしたらいいかわかんないっスって!』
それが嘘か誠か、ともかく大統領と思わしきその声の主は、黙り込んでしまった。
『剣と魔法のファンタジーに、ミサイルだの核爆弾だのいらねえのよ。そういうの全部使えなくしといたからな。あきらめて軍隊解散しとけや』
『……もう一度訊こう、君は何者だ?』
『あーもうつまんねえ。はい終了』
男が投げやりに呟くと、頭の中でブツンとノイズが走り、大統領の声は聞こえなくなった。
『ふふんふーんふふ。もっと面白そうな奴はいねえかなぁっと』
音程が行方不明な鼻歌と共に聞こえてくるキーを叩くような物音から察するに、男は何かしらの作業を始めてしまったようだった。
「どう思う? 風町さん」
「なんで私に訊くのよ」
兼光が問いかけると美砂は手癖で髪の毛をいじりながら面倒くさそうにそう答えた。
「いや、君はこんな状況の中でも冷静さを失っていないようだから、意見を聞きたくて」
「なにそれ褒めてるつもり?……まあいいわ。どうもこうもないでしょ。多分頭の中でしゃべくっちゃってる男は一切嘘をついていない」
「なぜそう思うんだい?」
「勘よ。てか頭の中からきこえてんのよ? 外で固まってる化け物だってどう説明つけんのよ。常識の枠組みで考えもしょうがないでしょうが」
「ありがとう、同意見だ。『しょうがないでしょうが』は風町ジョークかい?」
「うざっ。あんたモテないでしょ。……私だってしまったと思ったわよ」
美砂がそっぽをむくと、兼光はぎこちなく微笑む。
部員の死によって乱れた脈拍をなんとか落ち着かせなければ、自分がしっかりしなければと、無理をおして精一杯に微笑んだつもりであった。
『おおっ、いるじゃねえかすげえのがよ! ……ふむ、そうくるか、おお!!』
再び聞こえた「頭の中の男」の声。
彼は何かの映像に興じているようで、町の喧噪に交じった激しい衝突音が漏れ聞こえてくる。
「なんだ、テレビでも見てるのか? 俺たちをほったらかしていい気なもんだ!」
薬師寺が声を荒げて天井を見つめる。
『うっは、赤鬼をほとんど一人で倒しやがった。……日本か、確かまだ軍隊がインフラ施設をほぼ完全に維持してる唯一の国だったな。よーし、この少年に話を聞いてみようか』
男は弾んだような声色でそういうと、しばらく誰かとぼそぼそと会話をした後で、その名前を口にする。
『さあいってみよう! 高徳高校二年生、天羽春樹くん!』
思いがけずに自分たちの高校と聞き覚えのある名前が発表されると、生徒たちが一斉にざわめき始めた。
「今、高徳高校っていったよな!?」
「まさか、うちの生徒か?」
生徒たちの間に言いようのない緊張が走る。
『つながったのか? ああ、どうも。天羽です』
軽かった。
それはまるでお昼のトーク番組に呼ばれたゲストの如く。
『やぁ、すごかったねえ。君、むちゃくちゃするじゃないか。一人で中型を仕留めちまうなんて。あのモンスター、レベル23だぜ?』
『いや、死ぬかと思ったさ。たまたまだ』
『たまたまであんな博打できないっしょ!』
『いや、本当に、運がよかっただけで』
『あはは! いいねえ君。…………本当にそっちの世界の人間か?』
急に男の声色が険しくなる。
しばらくの沈黙のあと、春樹は静かに口を開く。
『試験管の中の宇宙……そういうことだな?』
男は一瞬の間の後で、押し殺すようにしてクツクツと嗤った。
『くっはは。なるほど、気が付いたのか。いやすげえわ。もっとも、試験管じゃなくて、パソコンの中だがな』
『気づくも何も、あんたが言ったんじゃないか』
『それもそうだな。だが、それをそのままの意味で受け取れるかどうかは別だ』
『俺はとっても素直でね』
『もしかして、俺がどういう人間なのかも察しがついてんのか?』
『……差し詰めクラッカーってところか』
『おーけーおーけー。情報体にしておくのは惜しいよお前は』
『それはどうも。そろそろ皆に状況を説明してくれてもいいんじゃないか?』
『いいぜ。けど面倒だし、説明はもう一人のゲストにお願いするとしよう』