第八章:人間を超えし者
作業場に魔物の死体を入れた仕立て屋の男は中に設けた井戸で水を汲むと頭から被り、そして神棚に祈った。
これから行う事は神に対する冒涜と言えなくもない。
しかし、加護は欲しいから祈ったのだろう。
それとは正反対にハイズは魔物をジッと見つめている。
ワイバーンもヴァイパーも何も語らず、生気の抜けた眼差しでハイズを見返すが・・・・・身体中から暗くて重苦しい気が立ち込め始めていた。
いわゆる魔物の業というヤツで、人間なんて比べ物にならない程の圧倒的な重苦しさを出していた。
ところがハイズは息苦しくないのか、ただジッと見つめ返すだけである。
「・・・・・よし、始めるぞ」
男は白い作業服に身を包むと鉄槌と鑿を持って作業台に立つ。
それを見てからハイズは先ずワイバーンの死体を出した。
ワイバーンの身体に鑿を当てた男は一呼吸すると・・・・・・槌で鑿の柄頭を打ち、鑿の先端を食い込ませて一気に押し込むと力任せに鱗を剥ぎ取る。
鱗を剥ぎ取られるとワイバーンの身体から業とも気とも言える物が出て来たが、男には近付けないのか浮遊した。
それを見て男は息を吐くが、再び鑿と槌を振い、鱗などを丁寧に、しかし、急いで剥ぎ取って行く。
これにより暗くて重い業が部屋に立ち込め始めるが・・・・・ハイズの周りに漂い始めた。
それもそうだろう。
何せ自分達を殺した者が目の前に居るのだから・・・・・怨みは晴らしたい。
「・・・・・・・・」
ハイズは自分の周りを漂い始めた魔物の業をジッと見ていた。
『やはり・・・・・・俺は、こんな業が似合うな』
魔物の業を見てハイズは自嘲し、かつて護衛した者に言われた言葉が頭を過る。
『・・・・よ。お前さんの業は人間の業じゃねぇな。差し詰め暗くて重いと揶揄される影だ』
この手の業を持つ者の末路は古今東西を問わず・・・・・・・・・
『悲惨だ。だから忠告だ。今すぐ剣を捨て、そして国を出ろ。お前さんには命を助けてもらった借りもあるし・・・・・まだ若い。こんな辺鄙で地獄の坩堝みたいな祖国で死んじゃいけねぇ』
世界は狭いようで実は広い。
『だから外の世界に行け。お前さんは犬じゃない。鳥なんだ。しかも、飼い主が居なくても自由に大空を羽ばたける隼なんだよ。だから自由に生きろ』
そう言われたが結局・・・・・祖国は出ず飼い犬から野良犬にまで身を落とした。
何とも酷い話だが、選んだのは自分自身だ。
そして敢えて飼い犬であり、飼い鳥になったのも・・・・・・また自分自身である。
『すいません・・・・・様。ですが、これで良いんです』
もはや自分は血の池ならぬ血の海から抜け出す事は出来ない。
『きっと最後も悲惨でしょう。恐らく溝に頭から突っ込んで数日後に見つけられ、そして無縁仏になるのが関の山です』
しかし、それでも・・・・・・・・・・
『俺は、やっと出会えたんです・・・・・・俺を、受け入れてくれる唯一の主人に』
その主人は元祖国から言わせれば「卑しい奴隷の末裔」であるが、もはや祖国を追われた自分には関係ない。
『俺は、あの方の為だけに剣を取ります。もう誰にも認められなくても良い・・・・ただ、あの方さえ護り切れるなら良いんです』
だからこそ・・・・・忌み嫌われる事もする。
そう心中で言うと・・・・・部屋が先ほど以上に重苦しくなり魔物の業で充満した。
「・・・・・・・・」
ハイズは部屋を重苦しくし、自分を取り囲む魔物の業を見て言葉を紡ぐ。
「おい、てめぇ等・・・・・俺に力を寄越せ」
魔物の業はハイズの言葉に怒りを覚えたのか、暗黒の炎を出して取り囲む。
「ふんっ・・・・俺を地獄の炎で焼き殺すのか?面白い・・・・・燃やせるものなら燃やしてみろ」
挑発的に告げると暗黒の炎は応じるように・・・・・・ハイズの手足などに張り付くように飛び付いた。
ズキッ・・・・・・・
手足に鈍い痛みが走り、そして骨の髄まで焼けるような痛みに変化する。
常人なら悲鳴を上げて転げ回る所だが、ハイズは痛くないのか・・・・・平然としていた。
「どうした?お前等の業は、この程度か?もっとだ・・・・・・もっと俺を燃やしてみろ」
更に挑発の言葉を投げ付けると業はハイズの身体を覆う様にして炎を燃え上がらせる。
本当に燃えているのか・・・・・ハイズの着ていたボロ雑巾みたいな服が灰も残さず燃えていく。
にも係らずハイズはジッとしている。
本当は痛くて泣き叫びたい所だが全ては・・・・・・唯一の主人を護り切る為。
「もっと俺を燃やしてみろ・・・・・・てめぇ等の業を全て俺に寄越せ。全て俺の業にしてやるよ」
クワァッ!!
ハイズの両眼が開かれ犬歯みたいな歯も見せる。
だが、そこへ別の業が来て更にハイズを覆った。
今度はヴァイパーの業だったが、こちらは炎で燃やして来たワイバーンと違い・・・・ジワジワと苦しむような感じだった。
これはヴァイパーの毒だろう。
「・・・・・・・・・」
ハイズは両手拳を力一杯に握り締める事で自我を保つ。
ワイバーンとヴァイパーの計4匹の業が一気に圧し掛かってきたからだが・・・・耐えてみせる。
耐えて己の業にしてみせる。
「もっと、俺に業を寄越せぇ・・・・・・お前等の業を俺に寄越しやがれ。あの方を護り抜くだけの力を俺に寄越しやがれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
ハイズが恫喝すると魔物の業は更に烈しくハイズを攻撃し、彼の自我を破壊せんと試みるが・・・・・徐々に消えて行く。
「おら、もっと業を出しやがれ・・・・全て出し切り、ただの器になれよ」
死ねば魂は肉体と言う器から抜け出る身となり、後は如何様にも出来る。
「さぁ全て出せ・・・・・俺の業になれ・・・・・・・・・」
脂汗を掻きながらもハイズは自我を保ち続け魔物の業に告げた。
どれ位の時間が経過したのか?
恐らく僅か数分程度だろうがハイズから言わせれば数時間・・・・いや、数十時間は経過したように感じられる濃厚さだった。
もし、以前の自分なら始めた途端に自我を失い、業に殺されていただろう。
しかし・・・・彼は見事に耐え切ったばかりか、魔物の業を我が物とした。
邪道剣魔達の中でも一度に数匹以上の魔物の業を物にするのは不可能と言われている芸当を・・・・・・・彼は、やってみせた。
確かに仕立て屋の男の言う通りハイズは・・・・・・人間じゃない。
人間を超えた者だ。
ある哲学者の説く人間を超えた者---即ち「超人」とは来世を考えず、今をひたすらに確固たる己を持って生きる者を称した。
五大陸にも似たような哲学を説いた者は居るが、現実の世界に超人などという存在は・・・・・・無い。
そして異端と称され、殆ど日の目を見る事無く埃を被る哲学書として図書館の片隅に眠っている。
仮に・・・・・もし居るとすれば確実に社会不適合者の名を頂戴しているだろう。
ところが、この世界には・・・・・居た。
つまり哲学者の説いた超人は存在したのである。
その超人こそハイズ・フォン・ブルアだ。
彼は来世の事など考えず、今という時を確固たる自我を持ち生きようとしている。
その道は決して生半可な道ではなく血塗れの道だが、それでも進まんとするのは確固たる自我と意思---即ち唯一の主人を生涯懸けて護らんという気持ちからだ。
これは魔物の業を己の業としたのか、仕立て屋の男が行う作業を満足そうに見ている姿が何よりも証明しているが・・・・・・この者ほど五大陸で忌み嫌われる者も居ない。
そう、教えているような純粋で澄んだ眼でもあった・・・・・・・・・