第九章:野良犬の稽古
元悪党を先祖に持つブロウベ・ヴァイエル辺境子爵の領土にある稽古場に一人の男が居た。
その男は黒髪を背中まで無造作に伸ばし、一本で纏めた髪型をした20代後半くらいの年齢だった。
容姿は脂っ気の抜けた色白の肌に細面で、切れ長に濃い紫の双眸を宿し少し猫背だが長身である。
傍から見ると中々に良い男だが、切れ長で濃い紫の双眸は深淵の如く暗くて見ていれば・・・・・・引き摺り込まれそうな力があった。
おまけに全身を黒一色の服で身を包んでいるのも芯から凍り切った上に根暗な感じを強調している。
ただ、唾広の帽子には一枚だけ駝鳥の羽を差しているのが洒落ていた。
そんな如何にも暗そうな男の左腰には刀剣が2本ほど差してあるが、真新しい鞘に納まった上で堅牢と優美を備えていた。
鞘の色は両方とも黒だったが、どちらも滑り止め効果を狙ってか鞘にも「渡巻(わたりまきと言い、鞘の部分に巻く事)」を施し、柄も「柄巻」だった。
ここに加え金具も鞘に施されており見る者が見れば唸るような拵である。
とは言え目の前の男が差すと「人でも斬るのか?」と問いたくなるような雰囲気が出来てしまい、せっかくの優美さが台無しとなり堅牢性だけが強調されてしまう。
しかし、男にとっては他人の眼など心底どうでも良い感じだったのが見て取れる。
男の名はハイズ・フォン・ブルアと言い、つい先日まで無宿人の罪人だったが今は然る人物の従者---飼い犬である。
そのハイズは朝早く稽古場に居るが、何をするのだろうか?
「・・・・・・・・」
ハイズは無言で自分の前に立つ太い丸太を見ていた。
子供が5人ほど輪を組める位の太さで頑丈そうだが・・・・・・何を思ったのか正拳を繰り出した。
刹那・・・・・丸太に罅が入り次の瞬間には抉れる。
見ればハイズの右手は・・・・・黒艶で、それでいて何かの鱗に覆われているではないか。
しかも、5本の指は鋭利な刃物みたいに鋭くなっているから恐ろしいが・・・・・それこそ邪道剣魔の戦闘スタイルだ。
先日、彼は黄昏の森林においてワイバーンとヴァイパーを2匹ずつ計4匹ほど一人で相手に叩き殺した。
そして死体を持ち帰り己が着る服と武具等に・・・・・縫い付ける事で彼は魔物の力---即ち縫い付けた皮膚や鱗を自在に扱えるようにしたのだ。
そして今は手に入れた力を試している。
ワイバーンの鱗を使った籠手は傍から見ても上出来な感じだったが、今度は蹴りを丸太にくれてやると再び罅が走った。
見れば・・・・やはりと言うべきか?
脚部にもワイバーンの鱗が鈍く光っている。
「こちらは問題ない、か・・・・では・・・・・・」
ハイズは両籠手と両脛に装着した防具の出来を見て頷くと徐に羽織っていたマントをはためかせた。
マントは襟付きにして表が黒で、裏が赤という然して変わらぬマントだが、そのマントを左手に絡めると無造作に振る。
すると・・・・・丸太が逆袈裟に斬れた。
ただし斬られた丸太は地面には落ちずマントに絡め取られていると思いきや・・・・・・・・
嫌な音を立て粉々に砕けた。
嗚呼、そうか・・・・・・・・
マントには硬軟が自在のヴァイパーの皮を使用しているのか。
ここを考えれば納得できる芸当である。
どちらも強力な武器になるが、使いこなすのはかなりの鍛錬が求められるのにハイズは昨夜の内に魔物の業を己が業にした事で物にした・・・・・・・・
だから、このような芸当が出来るのだが・・・・・誠に邪悪な道を歩む穢れた騎士と言う他ない。
彼の戦闘スタイルは明らかに常人の取るスタイルではないのだからな。
とは言え彼は周囲の眼など気にしていない様子だったのは先程と変わらないが、急に丸太から背を向けると片膝をつき頭を垂れた。
「御見苦しい所を・・・・・・・・」
ハイズは頭を下げたまま言葉を呟くが、彼の目の前に立つ生きた人形は首を横に振る。
「いいえ。そんな事はありません。寧ろ珍しい物が見れた気分です」
生きた人形みたいに美しい少女は温かい言葉をハイズに捧げるが、ハイズは首を横に振った。
「そんな言葉は、私には似合いません。いえ、それ以前に私の術は正道から外れた邪道なのです。貴女様が見て勉強になるような事は何一つありません」
「確かに、貴方の術は邪道なのでしょう。ですが、そのように自分を卑下し続けるのはいけません。今後は慎みなさい」
少女は些か手厳しい言葉を投げたが、それはハイズが余りに自分を卑下する言動を制する為だとハイズ自身は解っていたのか深く頭を下げた。
「・・・・・おはようございます。私の新しい従者---ハイズ」
「おはようございます。我が主---エリナ・ルシアン様」
少女から挨拶されてハイズは頭を下げたまま挨拶を返した。
そして少女---唯一の主人であるエリナが腰に差す木刀を見る。
刃長は90cmにして、柄長は通常より4~5cmほど長い30cmもあった。
柄の部分には黒漆を塗った麻糸が「平糸巻き」で巻き締められ、鉄の丸鍔も備えてあるから十分に実戦にも使え、見た目的にも良い本赤樫の木刀である。
とは言え身長が160cmしかないエリナには120cmもある木刀は些か分相応的に長い気がしなくもない。
武器は長いほど相手にも届くが、それを振り回すだけの膂力が必要不可欠である。
ただ、長い武器ほど懐に入られたら脆い面もあるのも一つの事実だが・・・・・まだ剣を取って間もないエリナには、身体で刀剣の癖などを覚えさせる必要があるから良いのかもしれない。
そうハイズが思っているとエリナは鉄の柄頭を左手で軽く叩いた。
「私の自作した物より立派です。貴方には礼を言わなくてはなりませんね?」
このような立派な木刀を作ってくれたのですから・・・・・・・・・・
「腰に差して頂けるだけでも勿体ないのに礼の言葉など・・・・・・・・」
「それでも言わせて下さい。ありがとうございます。ハイズ」
「・・・・・勿体ない御言葉を」
嗚呼、この主人は些細な事だろうと礼を言ってくれた。
ただ、それだけだがハイズは天にも昇る嬉しさを覚えずにはいられなかった。
しかし、エリナの左右に居る従者であるティナとエスペランザーは・・・・複雑に見ている。
それもそうだろう。
2人から言わせればハイズは明らかに・・・・・・・異端にして危険人物なのだからな。
ブロウベ・ヴァイエル辺境子爵を始めとした者達も再三に渡りエリナに思い留まるように言ったのが良い証拠だ。
もっとも先日などは・・・・・・・・・・
背後から出て来た・・・・・小男を見て眉を顰めずにはいられない。
「・・・・・何しに来やがった?」
ハイズは膝を上げるとエリナと話した時とは一変し柄の悪い口調で・・・・・3人の背後から現れた小男に問う。
その小男はエリナより更に身長が低く、凡庸な顔立ちに琥珀色の双眸を宿していて然して目立った容姿じゃない。
ただ両の耳が犬みたいに垂れ下がっているのが身体的特徴で、小柄な体格とは裏腹に腰には1mを超える長刀---野太刀を差しているのも眼を引く。
いや、野太刀だけでなく40㎝前後の中脇差も今回は差しているではないか。
「ひでぇ台詞だな。これから一緒に旅するんだぜ?」
「ほざけ。犬っころが」
小男は温和な口調を崩さないが、ハイズは癪に障るのか苛立った様子で今にも喧嘩を売りそうな勢いだ。
「ハイズ、止めなさい」
ここでエリナがハイズの前に立ち彼を宥めた。
「ハイズ。これから一緒に旅をする彼に対して失礼です。止めなさい」
「ですがエリナ様・・・・・・・」
「ハイズ、この狗奴も今日から私の従者になります。良いですね?」
ハイズのいら立ちをエリナは幼子に言い聞かせるように優しく、ゆっくりと話す事で落ち着かせる。
いや、それ以前に唯一の主人に噛み付くのはハイズにとって最大の禁忌だ。
「・・・それは先日から知っております。ただ、些か苛立ってしまいました。申し訳ありません」
「良いのです。狗奴、改めて挨拶を」
「ハッ。エリナ様」
名を呼ばれた狗奴は前に出ると3人に恭しく頭を下げた。
「ブロウベ・ヴァイエル辺境子爵様に仕える狗奴と言います。名の由来はレイウィス王が連れて来た犬から来ており、亡き母が犬と交尾して生まれたという面もあります」
その証拠に両耳がそうですと言って狗奴は自分の耳を見せ付ける。
「ですが、これ以外は人間ですので宜しくお願いします」
「エリナ様に仕えるティナ・フィルムと言います。どうか、宜しくお願いします」
「同じくエリナ様に仕えるエスペランザー・ドゥシーと言います。宜しくお願いしますね?狗奴さん」
ティナとエスペランザーは狗奴に温和な口調で挨拶するが、ハイズは何を思ったのか3人から離れて狗奴を見る。
「名乗らなくても分かるだろうが、エリナ様の飼い犬になったハイズ・フォン・ブルアだ」
「あぁ、知っている。で・・・・何の真似だ?」
「知れた事・・・・・俺と戦え」
先ほど防具等の稽古はしたが・・・・・・・・・
「まだ、愛刀等はしていない。だから・・・・・・戦え」
「はぁ・・・・先日の件を根に持ってんのか?」
「俺は根暗なんでな・・・・・執念深いんだよ」
「だろうな?傍から見ても良い男前なのに根暗だと分かるぜ」
などと憎まれ口を狗奴は言いつつハイズと対峙した。
「エリナ様、少しハイズと稽古させてもらいます」
「・・・・・良いでしょう。ただし、双方ともに稽古という点を忘れないように。特にハイズ。狗奴はブロウベ子爵が貸してくれた者ですから粗相のないように」
「御意に。我が主」
ハイズはエリナに身体ごと向けて頭を下げる。
それを見て狗奴は「お前さんも犬だな」と微苦笑しつつ・・・・・野太刀に左手を掛ける。
「ほざけ・・・・・・」
狗奴の言葉にハイズは反論しながらも懐に手をやり・・・・・・槍を取り出し、柄を伸ばして両手で持った。




