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幻獣処刑人  作者: 寄笠仁葉
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8

 そうして、なんとか話題が二つか三つ転がっていったように感じたが、それでお互いに有効な手持ちは尽きたようだった。それでも当初想定されていたのと比べると、かなりの長居をしてしまった。あまり遅くなり過ぎると責任問題が発生しかねない。俺の方から帰宅を促すことになった。

 そして、いざ会計の段になって、ヨーコはわけのわからないことを言い出した。


「財布出さなくていいよ」

「なに?」

「あたし、払うから」

「……そんなわけにはいかないだろ」


 我ながらかなり間抜けな台詞だった。


「いや、でもほら、お礼したかったしさ」

「俺はそんなつもりで来たんじゃ……別でいい」

「遠慮しなくていいって」

「そうじゃない」


 遠慮なんかじゃなかった。何故彼女がそういうことをしようとするのか、全然理解できなかった。普段からこんな風に人と接しているのだろうか? そう、人に対してこんな風に振る舞えるだけの金額を、この歳の少女が持ち歩いている――その事実に眩暈を覚える。俺のような立場の人間でさえそんな感覚に陥っている。異質だった。

 わかっていながら、俺はこう言うしかなかった。


「なにも、少ない小遣いの中から人の分まで払うことないだろ? もっと大事なことのために使え」


 ヨーコは引かない。


「これが大事なことだから」


 そろそろ店員の視線が痛くなってきた。


「でもな」

「あーもうしつこい! わかった、そんなに気になるなら、今度何かで埋め合わせして。それでいいでしょ!」


 その剣幕に、俺はとうとう観念せざるをえなかった。俺が何も言わなくなると、ヨーコはさっさと樋口一葉で代金を支払い、ささやかな釣銭を受け取ってそれをポケットに押し込んだ。




 店を出てから、俺達に会話はなかった。何を言っていいかわからないまま、俺はずんずん歩いていくヨーコの後ろ姿を追いかけた。駅に着き、待ち合わせた場所まで戻ってきて、ヨーコがそのまま改札の先まで行ってしまおうとしたので、俺は慌てて、


「じゃあな」


 と言った。ヨーコは立ち止まり、振り返って言った。


「あんたはどうやって帰るの?」

「俺は、バイクだよ」

「そう」


 変な沈黙が流れた。周りを流れていく人の気配が際立つ。俺がもう一度、じゃあな、と言おうかどうか迷っているうちに、やはりヨーコが機先を制して口を開いた。


「なんで、あたしを部屋まで連れて行ったの? めんどくさいとか思わなかったの?」


 唐突な問いだったが、俺はすぐに答えた。


「それは、俺にもよくわからない」


 そう言ってから付け加える。


「ただ、そうしなきゃいけないと思った」


 ――正直な気持ちでは、あった。


「ふうん……」


 ヨーコはしばらく俺を見つめていたが、やがて、


「じゃあね」


 と言って改札機にパスカードをかざした。俺はヨーコが人混みに紛れて階段を踏んでいくのを、その姿がわからなくなるまで見送った。じゃあな、ではなく、おやすみ、と言うべきだったのかもしれない。

 俺はバイクまで戻ると、部屋へ帰るのとは逆の方向へバイクを飛ばし、適当に一人見繕って食べた。それでも腹が膨れないのでもう一人探して腹に収めた。それで空腹は満たされたが、抑えつけていた欲望の割には、味は思っていたほどではなかった。




 埋め合わせ、といっても具体的にどうすればいいのかわからなかった。まさか向こうから()の可能性を提示してくるとは思ってもみなかった。おそらく今度はもう、いわゆるデートというものになる。いや、それ以外のことを企画するという手もあるにはあるのだろうが、きっとそれは悪手になる。それに、デートといってもただどこかへ一緒に遊びに行ってすぐ解散するという、シンプルであっさりしたものでなくてはならないだろう。ヨーコは深い意図を持ってあの発言をしたわけではないだろうし、もしかするともう自分の言ったことを忘れてさえいるかもしれない。少なくとも今の段階からベタベタしたものを望んでいるとは思えない。そんなことをされても迷惑だろう。俺だったら嫌だ。

 問題は、俺が女性とそういう名目で出かけた記憶がないということだった。

 いや、全くないわけではない。しかしそれも、例えば昔暮らしていた家の近所に住んでいる女の子に誘われて公園に出かけたとか、所用で外に待ち合わせる場合があったとか、そんな程度のものでしかない。そこに俺を悩ませるものはなかった。

 だから、こういうのは本当に初めてのことだった。単純にこれまでそういう機会がなかったというのもあるが、俺が女性というものをどちらかというと捕食の対象としてばかり見てきていたからというのも、強い理由ではあるだろう。要するに俺の今までの女性との()()()()()は、非常に一方的かつ短期的なものでしかなく、それは経験としてはあまり役には立たないというわけだ。ヨーコが唯一、その決まりごととも言える形態を破りつつあるわけだが、しかしそれがより一層混乱を深くしている気がした。

 とはいえ、一応のテーマは決まっていた。映画鑑賞である。

 定番中の定番、安牌中の安牌。仲が悪くさえなければ、誰とでも行っていい娯楽の一つだ。無難中の無難とも言えるが……、奇を(てら)うよりは遥かにマシだろう。釣り堀に行ったり、多種多様なエアガンを撃ちに行ったり、目黒の寄生虫館へ行ったりするよりは――おそらくきっとマシだろう。我ながら狭い発想だと思うが、相手もあまり期待していないであろうことは救いだ。

 だが、日程をどうするとか、何時にどこで待ち合わせるのがいいかとか、そのまま食事へ誘うべきかどうかとか、映画以外のレクリエーション的なものをプランに追加した方がいいのかとか、そういう細部を突き詰めていくのは、思っていたよりも難しいことだった。まさか誰かに相談するわけにもいかない。作品のチョイスさえ未だにこれでよかったのか確信が持てずにいる。世の中、カップルが見るという目的のためだけに存在して、それ以外の要素がバッサリ切り捨てられているような映画もある。場合によってはそういう種類の映画も候補に上がったのだろうが、今回は不適切だ。社会派な作品や、一人の男の生涯を最初から最後まで追うように描く作品も、まだ彼女にそれを楽しむだけの準備がない可能性の方が高いので選外になった。かといってアニメ映画も博打っぽいところがある。あまり明確に子供向けとされていそうな作品も避けるべきだった。誰だって子供扱いはされたくない。結局、メジャーな、テレビの各局でCMもやっているような娯楽作に落ち着いた。それも公開から少し時間が経って客足が遠のきつつあるようなヤツだ。そのテの作品はすぐに再放送されるので、俺はあまり映画館には観に行かない。タカハシやアサノも同じようなもので、要するに名画座で時期をズラして公開されることもなく、土曜の深夜の枠にすら放映されず、公開終了からかなり時間が経ってのレンタルでしか観ることが難しそうな作品に限り、重い腰を上げて映画館へと出かけるのだった。

 映画にしたのは、また払う払わないで揉めるのを避けたかったというのもある。先にチケットを二枚買って、当日サッとスマートに渡してしまえば、異論を挟む余地もないだろう。まあそんなのは遊園地でもコンサートでもライブでも観劇でも同じことだが、遊園地はどう考えても今の時点ではハードルが高いし、後の三つは見る側にもエネルギーが要ることに加えて、趣味じゃなかった時が地獄だ。一体化を求められるライブなんかは特に厳しい。その点、映画館なら、最悪途中で出て行っても許されるような風潮がある気がする。そんな事態にはなって欲しくないが。




 俺はすぐにアサノと仲直りをした。朝、教室に入って開口一番謝罪の言葉を述べるというのは中々に勇気が必要だったが、今回はヨーコのアドバイスが味方についていた。俺は(おく)することなく、あの時の自分が過ちを犯したことを認め、詫びた。そしてアサノの指摘が実に正しかったことを認め、詫びた。アサノは、


「もう怒ってないよ」

 

 と言って俺を迎えた。たったそれだけのことだったが、不思議なことに、俺の中にあったモヤモヤしたものはきれいさっぱり消えていった。放課後にクレープを奢ってもやはり影響はなかった。むしろ幸せそうにそれを頬張るアサノを見ることができて得したと思えるくらいで、タカハシも追加で俺を責めるような真似はせずにすぐ態度を軟化させた。もちろん、今回は上手く関係を修復できたというだけに過ぎない。だがそれでも何か、晴れ晴れとしたような気分がその日一日俺の中に残り、そのことに久しぶりに救われたような気がした。いつの間にか、素直にごめんと言うのが難しいと感じるようになっていたのだ。他人との摩擦や衝突を避けてばかりいたから、ヘタクソになっていたわけだ。この歳になってこんなことを教わるとは――いや、あの歳の少女だからこそ言えたのかもしれないが、とにかくヨーコにああ言われなかったらアサノとの和解もあり得なかったかもしれないと思うと、やはり礼という形で返さなければならないという気持ちが強くなった。

 ただ、些細な問題があって、俺はクレープ屋からの帰り際に、アサノの観たい映画に付いて行く約束をしてしまった。それはヨーコとの埋め合わせに予定していたのと同じ作品だった。




 観に行く作品は変えなかった。俺は二回観る覚悟を決めた。休日を潰して、とは思われたくなかったので、次に日曜の控える土曜日の、それも朝早くではなく午後に誘うのがよかろうと考え、俺は電話をかけた。万が一寝坊しても腹には何か入れてから出かけられる方がいいだろう。映画館は、俺達の生活圏から近い場所に決めた。遠すぎて億劫に思われるのは嫌だった。それでも交通機関は使うだろうが、ピザを食べに行った駅の周辺に比べれば全然離れていない。映画を観た後のことについては、いっそヨーコの意見を聞くことにした。何かリクエストがあればそれ、なければその日はそれで終わりだ。何も焦ることはない。じっくりとこういう機会を増やしていけばいい。

 無難だがそれがベターであると自分を説得しながらヨーコに(今度は一発で)電話をかけ、そのプランを伝えると、彼女は、


『あたしその日休みじゃなくて学校なんだけどォ』


 と言った。怒りの混じった返答だった。


「……ああ、そうか。今はそうなのか……」


 しまった、と思っても後の祭りである。俺が小学生をやっていた頃は、まだ週休二日制が残っていたのだ。世代間のギャップを感じる。今は公立校は土曜は毎週、午前中だけだが授業がある。逆に俺の通っている高校は私立で週休二日のあった頃から隔週で土曜授業を実施していたせいか、それが今も残っているのだった。


「悪かった。ちょっと考え直して、それからまたかけるから」

『あー、まあちょっと待ちなよ。それでも午後からなんでしょ?』

「一応、そのつもりだけど」

『……じゃあ間に合うか……。あんたさ、こないだー、バイク乗ってるっつってたねぇ』


 妙に甘ったるくなった口調にかなり嫌な予感がして、俺は割り込もうとする。


「――言っとくけどな、」

『それで学校まで迎えに来てよ』

「……二人乗りしていいようなバイクじゃないぞ」

『え、マジ? 捕まる?』

「いや、そういうわけじゃない……けど、向いてない、というか、二人乗りだと疲れるんだよ。俺じゃなくて後ろに乗る奴がな」


 たまにタカハシやアサノを乗せることもあるので、タンデム用の装備がないわけではない……が、俺のマシンのタンデムシートは小さくて、パッセンジャーに負担がかかる。実際、ケツが痛ぇと好評である。それでも彼等にならがんばって乗れよと言って終わりだが、電話の向こうの小学生に同じことを言うわけにもいかない。それにヘルメットの問題もある。彼女に合った、つまり彼女の安全を約束するヘルメットが、今手元にない。


『別にいいよお、あたし一度バイク乗ってみたかったしさあ』

「あんまり荷物多いと乗せらんないぞ」

『大丈夫だって。教科書とノート、こっそり机の中に入れて帰って、その日は手ブラで学校いくからさ。ね、ね、お願い!』

「そんなことして、怒られるんじゃないのか」

『いやあバレないバレない』


 ただ、この案を悪くないと思っている自分がいるのも事実だ。ヨーコの通っている学校を見に行ける、これは大きい。新たな情報を得られるということだ。こういう風にコツコツと、ヨーコの周囲の霧を晴らしていく作業が、今は何よりも必要だった。

 俺は頭の中で、生活のどの部分を切り詰めれば、あるいはどう窓口を騙せばヘルメット代が捻出できるか計算した。ヨーコのことは極力隠しておきたい。馬鹿正直に子供用ヘルメットを買ったなどと報告すれば、その不思議な交友関係をどう築いたのか問い詰められるに決まっている。言えるわけがない。しかし、窓口の勘は鋭い。一度、虚偽の申請をしたときに下手を打って、見破られたことがあった。初犯だったせいかその時は釘を刺されるだけで済んだが、再び失敗した時のことを考えると、そうおいそれとはやれなくなった。

 それでも今までに二回だけ、窓口を出し抜いたことがある。

 三回目は上手くいくだろうか?


「……わかった。とにかく学校は半ドンなんだな?」

『半ドンって何?』


 またギャップ。


「……学校は午前中で授業が終わるんだな?」

『ねえ、半ドンって何よ』

「学校や会社が半日だけしかないことをそう言うんだよ」

『なんで半ドンっていうの?』


 言われてみれば、俺も詳しいところは知らなかった。なんとなく語感だけで半日だけやらなきゃいけないことがあってあとはドン、みたいなニュアンスを()み取って言葉を使っていた。


「……すまん、俺にもわからん」

『えー、なんだあ』

「それは置いておくとして、まあ、バイクで迎えに行ってやるよ」

『やった』

「ただし、条件がある。というより約束だな」

『約束?』

「フリフリした服装は駄目だ。ラフ過ぎるのも危ない。長袖長ズボンで来い。なるべく体にピタッとするやつで。絶対だ。これが守れるなら乗せてやる」


 ヨーコは少し考えて、言った。


『守るけどさあ……それってホントに絶対じゃなきゃダメなの?』

「絶対だ。何故かっていうと、そうしなければとても危ないからだ。バイクに二人で乗るのは大変だ。運転するのはもちろん俺だけど、後ろに乗るお前のバランスも大事なんだ。いざカーブを曲がろうって時に、お前が服をどっかにひっかけて変なふうに体重を動かしたらどうなる? 簡単にこける。車はシートベルトやエアバッグがついてるから事故ってもまだ助かる目はあるかもしれないけどな、バイクは違うぞ。メット一つで宙に投げ出される。学校でやらなかったか? 人は頭を打ったら簡単に死ぬ……そんなわけで、オススメできない。それに、風でずっと服がバタバタしてると意外に疲れる。いいことは何もない」

『……そんなに危ない乗り物に、どうして乗ろうと思うの?』

「それは、でも、やっぱり危ないからだろうな」


 と俺は答えた。


「俺は自転車にも乗る。スピードを感じるだけなら、自転車でも十分だ。自分の脚で動かしているのがわかるから、よりダイレクトに自分と周りの差を感じられるくらいだ。お前は普段、自転車に乗ってるか?」

『うん、ときどき』

「じゃあ俺の言ってることはなんとなくでもわかるだろう。でもバイクは違う。自分には出せない圧倒的なエネルギーで動く。それは過剰だ」

『カジョー?』

「大袈裟ってことだよ。だから危ない。そこがいいんだな」

『――ふぅーん……へんなの』

「そうかもな」

『まあいいや。約束する。ピッタリした服着てくる。忘れないようにメモしなきゃね』

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