21
本日は晴天なりて、月が神秘的に空を支配している。
ネイティブ・アメリカンの男達は、自分を鼓舞する時にこう言うそうである。
「今日は死ぬにはいい日だ」
声に出してみても、ちっともそうは思えない。そんな、自己暗示の効きが悪い夜だ。
零時前の待ち合わせだが、俺はその三十分前に教会の中へ入っていた。既に怪物にもなった。気が急いているということもあるが、宗教的でない瞑想の一つもしておいた方がいいのではないかと、形ばかりのアイディアも浮かんでいた。部屋にあったアウトドア向けの折り畳み椅子を持ってきて、そこに座り続けている。調子は悪くない。
耳が足音を捉える。
俺は目を閉じ、それが近付いてくるのを待った。
静かな足音だった。
聖堂へ陽子がやってくる。目を開ける。それはやはり陽子なのだ。他の誰かということはないのだ。俺は自分で宣言した通り、自分でそう仕向けた通り、みっともなく足掻いてから殺されようとしている。
陽子は既にアルダを連れている。
未だに動揺しているような様子は見られない。表情も、今はできるだけ消しているようだ。やはり一日空けてよかった、と思う。
「時間通りだな」
陽子は何も言わず俺を見つめている。アルダも、同じようにしている。
「それで、始める前に、少しお時間を頂けるのかな?」
彼は少し間を置いてから返答した。
「いいだろう」
「ありがとう。まさかそう言ってもらえるとは思っていなかった」
実際には半々程度のつもりでいたが、それでもやはり貴重な機会を得たという思いがあった。
「長くなるかもしれない。立ちっぱなしもなんだから、座ったらどうだ」
最初に陽子と会った時倒した長椅子を起こしてある。陽子は罠かどうかも確かめずにそれに座った。アルダも特に指摘する様子はない。
「結構。では、遠慮なく訊かせてもらおうか。さて……俺は自分が悪役であることを、当事者なりに理解しているつもりだ」
ここで彼の顔を見る。アルダは表情を変えない。
「もちろん善悪論をぶちたいわけじゃない。もっと単純な話として聞いてくれ。俺達を悪として処理するからには、つまり処刑人の力は正義の方法だな?」
「……君の認識で概ね正しいと、私も考えている」
「成程。その回答はかなり参考になる。うん……。本格的な質問に移る前にだ、ちょっと俺の思索を聞いてもらっても構わないだろうか?」
沈黙。沈黙は肯定。
俺は章題を読み上げるように言った。
「何故俺達の食欲が限定されているのか? ということについて」
この謎がために、俺達は苦しんでいる。いや、誰もが苦しんでいる。
「俺達が食事できる機会はそう多くない。毎日三食とはいかない。大事なのは質だ。栄養がたっぷりと含まれていなければならないわけだ。生命活動に必要な燃料だが、しかし生物として必要な燃料とは少し違う気がしている。食べる行為は象徴的なものに過ぎないんだ。あれの本質は血や肉や骨には無い。新鮮で量があればいいということなら、多分三十代くらいまでは食欲の範囲に入ってもおかしくないだろう? 性別だって関係ないはずだ。でも実際はそうじゃないわけだ。子供でなければならない理由があるわけだ。子供を喰って満たされるためには、どういう理由が必要だろうかと考えて、俺は美味そうな対象とそうでない対象がいるという事実に思い当たった。スターヴリングの目線から率直に言わせてもらうと、美味そうでない対象は、単純に魅力がない」
同じ少女でも、かなりの差があるものだ。既に醜い者がいくらでもいる。
「これはどういう意味で受け取ってもらっても構わない。面白味のない相手は、あまり食べたくならないんだ。何故だかそうなんだ。見ていてどうでもいいような相手を食べても、ちっとも腹は膨れない。何故か? ――もう未来のない相手を、誰も積極的に構おうとはしないのと一緒だ。その点、陽子は素晴らしかった。だから俺はたまらなく食べたくなった。俺はほんの少しの間だが陽子の近くで時間を過ごした。だから、陽子の行く末に無数の可能性が広がっているのがわかる」
そう、あの家庭環境でなお、放っておいても陽子はひとかどの、名前のある人間になれる可能性を持っている。俺などがいなくても、陽子はきっとやっていける。
「未来が最も効率よく詰まった食べ物――つまり、そういうことだ」
そうだ。俺達は、未来を食って生きている。自分達に先がないことを、どこかで理解しているから、可能性を持った存在を求める。食っても無駄だというのに、そうせずにはいられない。
そういう者が、この世にはたくさんいる。
「アルダ、あんたはどう思う? 答えを知っているんじゃないのか?」
彼は首を振った。
「私は回答できない」
「――そうかよ」
俺は猛烈な反駁を期待していたが、これは少し肩透かしだった。
「続けるぞ。次は、処刑人の力がどこから来るのかだ。といっても……これは今の話を踏まえれば、そう難しくはない。一人処刑人を食ってみて、なんとなくわかったこともある。重要なのは、蘇る者と蘇らない者がいることだ。最初は単にあなた方の数が少ないせいだと思っていたが、そうじゃない。――条件があるんだな。適性が要るわけだ。そうでなければ、あんな力は扱えないはずだ。適性より、資産と言った方がより正確に理解できていることになるか?」
陽子も鏡子も、持っている者だと、俺は思う。
「持たざる者にあんた方は冷たいと、今では、とてもそう思うよ。まあ、仕方のないことだとも思うけどな。将来性のない所に金は貸せないものな」
――いや、
「未来を担保に、力を貸し出しているんだろう?」
持っていた、というのが今となっては正しいのかもしれなかった。
「なんともふわふわした話だが……あんた方は陽子の可能性を使い潰して、俺達みたいな怪物を殺すしか能のない人間にしてしまうわけだな。もう可能性のない人間を使い潰すのはまあ、それでもまだ理解できる。けどな、可能性のある人間の寿命を延ばさずに縮めてしまうのは、理屈としては下劣な部類に入るんじゃないのか? あんた達を作った野郎は何を考えていたんだ?」
アルダは回答した。
「逆だ。我々は可能性を与えているのだ。君達のような者から可能性を奪われる存在を再生し、それに対抗しうる力を与えているのだ」
「殺しに喜びを感じるような呪いをかけてか。――平穏に渇きを覚えるような呪いをかけてか! あなた方の手駒になるしかないよう歪められて、それで何の可能性が残るっていうんだ――それは略奪だ! あんた達は人を食い物にしている。あんた達は俺達と何も変わらない! 正義という表現をわざわざ使ってみたが、肯定したな。なら何故偽ろうとする! 誤魔化さずに人を食い物にしていると言え!」
「偽ってなどいない。単に見解の相違だ。それにそもそも、君達のような存在がいること自体が間違いなのだ。自分が怪物だとわかっているのなら、最初の一人を食べる前に自ら命を絶つべきなのだ。それができなかった時点で――どうしようもない過ちを犯しているのだ。君達を生かしていていい理由など一つも残らない」
「どこが違うんだ? 俺達を殺すためだけに、何故こんなやり方を通した! それでどうして正当性を主張できる? 誰が、何の為にだ? そいつは今、どこで俺達を観ている――?」
彼女達を神聖なものと思いたい気持ちがあった。見た目は俗の極みでも、どこか神聖な要素を帯びているのではないか、と。
そういう相手なら、抵抗する気も起きないかもしれない、と。
そうではないのだろう?
「それを知らせないなら、俺は絶対に殺せないぞ」
アルダはかなり長いこと黙ったままになった。反論できなくなったのではなく、どう話すかを考えているようだった。そして、おもむろに、
「私の階級は、もう少し簡略な分類に置き換えると中の上だ。それでも全体の分母数から考えれば稀少な方だろう。我々程度の階級にある者は、今、君の質問に答えようとしている通り、ある程度の自主権を持ち、ある程度の情報を知り得る。我々――全体としての我々は、アーカイブから個々に分けてサルベージされる。魂、が最もイメージしやすい概念だろうが、意識の一片でしかないと捉える者もいるし、情報の集積でしかないと考える者もいる。不明だ。その、便宜上魂と呼んでも差支えのない何かが我々で、この仮初めの肉体に定着している。そうしなければ干渉できないからな。君の察した通り、エグゼキューターの能力は我々が少女に与えているものだ。だが、より正確に言うならば、それは仲介でしかない。実行しているのは確かに私だが、そういう観念と認識することしかできていない。具体的な方法に関して、君と私とで可能なコミュニケーション手段では説明することができない。使い古された言葉では、魔法と呼ぶのだろうがな。わかっているのは力の受け手にある種の傾向があること、我々を間に挟む必要があるということだけだ。少なくとも、初めの一回は。それ以降は我々を介さなくても受け手はその気になれば能力を引き出すことができるようだが、それで我々の役目が終わるわけでもない。説明をする者が必要だということだ。力が何故あのような形を取るのかは、この前後の時代の創作物に似たようなモチーフが複数存在する事実を踏まえて考えれば、かなり有力な推測はできるはずだ。対価や代償として私が例えば因果律の操作などをして陽子の未来を奪っているかどうかまでは感知できないのだが、陽子の中に相対的に見て大きな可能性が宿っていることは、君と同じく感じている。君の意見が憶測に過ぎないということも感じているがね。殺しの呪いに気付いたのは、私にとっても最近のことで、少々困惑している。現状、実害があるわけではないから静観しているが。私はあまり他の者と交流していない。情報が不足しているのだ。何者かの存在については――そもそも何者かがいるのだろうかな? ただの自動装置のようなものに過ぎない、ということもあるだろうか? こればかりは、推測の材料さえ私は持ち合わせていない」
彼は冷ややかに笑った。それは外見とバランスの取れていない笑みだった。
「不気味な話だろう。こうして君を敵視している私も、ただの植え付けや形成の結果でしかないのかもしれない……そう考えることはある。だが君や私には自身の感知しうる情報しか手元にない。それしかないのだ。それでもなお――我々は君達のような存在は全て抹消されるべきだと考えている。君は我々をただのプログラムだと捉え、意思を持たないと考えていたかもしれないが、このように感情と認めてもいいような機能が備わっているのだよ。そろそろおわかりかね? つまり、私ほどの階層にあってなお、君の本当に欲しい情報へアクセスできる権限はないのだ。……これで満足しただろうか?」
「そう思うのか?」
「違うのだろうな。仮に私が全てを知っていたところで、君は何を言われようと納得などしないのだろう。君の目から見て、何かが本当に良くなるということはもうないのだろうからな……少なくとも私は、そのように君を解釈している」
「成程、成程――。よくわかったよ、俺がただの悪質なクレーマーだってことが。じゃあ、それらしいことを言ってみるか。上を出せ。――上を出せよ!」
「それは私には不可能だ」
「……わかってるよ」
そういうものなんだろう。いくら吠えて暴れてみたところで、本当に殺したい奴は、それが殺すべき存在であったとしても、殺せない。
唯一、方法があるとすれば、それはそいつらと同じ段階まで落ちてしまうことだ。
無力だ。
「君は、世の中というものが君や陽子を寄ってたかって取り返しのつかぬものに変質させてしまうと考えているかもしれない。だが、もしそれが事実であったとしても、一度考え直す機会を設けてみてはどうか? 本当に取り返しがつかなくなるのは、明らかにそうではなかった時の方だ」
「知った風な口を利くな! ――と、言うべきなんだろうな。もういい、わかった。付き合ってくれて感謝するよ。よく、これから死ぬ奴の相手をしてくれた」
「気にするな」
陽子が立ち上がる。
「おいで……」
アルダが舞う。陽子の両手へ掬われるように入っていく。
魔法陣。光。線と帯――一連のプロセス。翻るドレス、太陽の輝き。手を包む炎。
そして、陽子はアルダをその手で握り潰した。
「ご――」
ある種の聞き慣れた音がする。肉の破壊される音。骨が折れ、行き場を失った内臓が出口を求める音。反射だけでもがこうとするマスコットを、陽子はさらに炎で焼き尽くそうとする。美しく、勢いよくそれは燃え始める。
一分も経たないうちに、全てが灰となる。
炎が消える。床とドレスに付着した血だけが残っている。
「……どうして……、」
問いかける。その行動は俺の想像を遥かに超越していた。
陽子は指の間から灰をさらさらと撒き、残りを払い落とした。
首の黒いチョーカーが消えている。
「なんでだろうね」
既にこの出来事から彼女の関心が離れ始めているのがわかる。そう顔に書いてある。
「お前、そんなことをして」
「確かにアルダにはお世話になった。感謝もしてる。でも、きっとこれでいい」
アルダは炎の中で何を思ったのだろうか。もしかすると、彼は、最後まで陽子という少女を解釈できなかったのではあるまいか。
「そう、感謝してるの。でも、これはもうあたしのものだから」
――それでいいというのだろうか。あの鏡子さえ恐れたハグレモノになって、それで……いや、そもそも、そのことを知っているのか? 鏡子はきちんと教えたのか? いや、いや違う、そんなことは陽子にとっては最早重要ではないのだ。アルダと陽子の付き合いが具体的にどういうものだったのかはわからず終いだが、こうなってしまった以上、彼には既に著しいマイナス点がついていたと考えざるをえない。アルダはマスコットたりえなかったのだ。だから殺されてしまったのだ。彼は陽子には適当ではなかった。そうとしか考えられない。
「あたしの質問に答えて」
「――ああ」
何より、これからの時間には致命的に場違いだったのだ。邪魔者だ。だから死んだ。
「鏡子を食べた?」
「……とても美味かったよ」
「そう。何かあたしに言ってた?」
「お前は大切な友達だと、そう言っていた」
陽子の顔が歪む。歯ぎしりの音がここまで聞こえてきそうだった。
「ねえ」
「……何だ」
「こうするしかないの?」
「そうだ」
「こうするしかなかったの?」
「――そうだ」
納得できない、と、そう言っている。
陽子は、人狼の先にある望月十郎を透かして見ている。
これだけの仕打ちを受けてなお、そうしようとしている。それが悲しかった。
今自分が向けられているのが、殺意と憎しみだけではないのがわかってしまう。
それがどうしても、やるせない。
「もし、もしも、あんたの食欲が消せたとしたら、」
縋るような声だった。その先も続けられない。
「それで俺が今までしてきたことを帳消しにできるわけではないんだ、陽子。それに、お前自身はどうする?」
案内人を自ら消し、拭うことのできない殺害衝動を抱えたまま、どうする?
俺達は既にお互いを知ってしまった。
「いいか、そんなことを言ってはいけないんだ。お前は俺を殺さなければならないんだ。俺が憎いだろう。こんなことをした俺がたまらなく憎いだろう。それを確かめるんだ。お前は強い」
「あんた、死にたいの」
「いいや、もちろん違う。お前を食べたいと思ってる。これまでの誰よりも美味しそうに見えるお前を食べたら、どんな味がするだろうと――そればかり考えている」
陽子は掌を突き破ってしまうのではないかと思うほど強く両の拳を握り、俯いて、絞り出すような声で、
「どうして、あたしを部屋に置いたの」
この問いには一縷の望みがかかっているのだろう。そう、この矛盾こそが俺達をここまで繋ぎとめていた。
だが、ここまでだ。
「自分を有利にするために、お前を調べようと思った。それだけだ」
椅子から立ち上がる。爪は形成しない。指は指のままでいる。
「最後のレッスンだよ、陽子。この世には信用できない相手がいる。それを忘れるな」
陽子はブーツの裏側で床を擦る。
「わかった」
今更ながら、とても歩きやすそうな靴だ、と思う。
「――あんたを殺す」




