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幻獣処刑人  作者: 寄笠仁葉
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 陽子は一週間の殆どを俺の部屋で過ごすようになった。学校から直接帰り、自分の家へは寝に戻るだけ……そういう生活だ。陽子がゲーム機や漫画、雑誌等私物を次々に持ち込むおかげで、部屋も多少賑やかになった。陽子は本当に夜遅くのギリギリまで俺の部屋を離れようとはしなかった。あんまり遅過ぎると泊まっていくこともあったが、大抵は俺が家までバイクで送った。

 陽子の家は一戸建てではなかった。この辺りでは一等高いと思われるマンションだった。俺みたいな庶民は近付くだけで少し威圧される、そんな建物。ただ、陽子の両親の稼ぎを考えると――(いささ)か慎ましいのではないか、とも思えた。豪邸ではなく、あくまで集合住宅の一画なのだ。それが例え一階層の半分を占有しているとしても――その階の郵便受けは二つしかなかった。陽子は持たされた鍵でオートロックの封印を解き、硝子(ガラス)壁の向こうへと行ってしまう。俺は仮出所していた囚人を見届ける。それで一日が終わる。

 そうしたことを除けば、日々はまた穏やかに過ぎ去り始めた。一人きりで暮らしていたのに比べると(やかま)しくもあったが、それはとても心地のよい喧しさだった。不安がないわけではない――憂いも。陽子を送り届けてから()()出かけることはあったし、陽子も俺の部屋へ来る前に処刑を行うことがあるのだろう。

 いつかは、それが――。

 しかし、俺はもう半ば考えることを放棄しつつあった。情報を収集するためという大義名分も、自分に向けた御方便(ごほうべん)へと成り果てていた。今や陽子を傍に置いておきたいという望みの方が勝ってしまったのは明らか――制御がきかなくなっているのだ。誰に言われるまでもなく問題のある状況を自ら作り上げ、そこで安息を得ようとしてしまっている。破綻しないわけがない。だがそれについて冷静に、真面目に考察しようとすればするほど、気が狂いそうになる。結果、問題を捨て置いている。考えないようにしている。

 それでも一つ際立った不安があるとすれば、それは処刑人の力の根源と思しき妖精、陽子を変身させているマスコットの存在だった。陽子について多くのことを知った今、より恐怖を感じるのは彼の不気味さだった。彼が状況をどこまで把握しているか、知りうるとしたらどういった形になるのか、それが俺の頭を悩ませた。場合によっては非常にまずい状況へ追い込まれるのは容易に想像がついた。陽子に余計な助言などしていたら――と、嫌な考えばかりが頭に浮かぶ。もし俺の存在を知っているのだとしたら、疑うように仕向けたりすることは十分ありえる。別段変わった出来事もなく、陽子の様子もむしろ安定へ向かっていたので、杞憂だと自分には言い聞かせているのだが、彼の不透明さは、どうしても頭にその存在をちらつかせた。

 ただ、それでもいくつかわかっていることはあった。

 まず、陽子の感覚が眠っている時、彼の感覚もまた眠っているのだろうということ。これはほぼ確実だ。そうでなければ、初めて陽子を部屋に連れてきたあの日、姿を変えた俺を即座に感知して陽子を叩き起こさない理由がない。

 次に、彼は呼ばれなければ姿を現さないのだろうということ。前に一度、陽子と外出した際にかなり近くで怪物の反応をキャッチしたが、何事もなく通り過ぎて終わった。陽子は気付いていたはずだし、それは陽子の中に()んでいると思われる彼も同じだろう。処刑人も怪物と同じようなセンサーを備えていることは既に判明している。妖精だけが受信機能を持っていない、ということは考えにくい。間違いなく()()()()()()()()はずなのだ。だが出てこなかった。おそらく彼等の現実世界への出入りは任意なのだ。問題は姿を現さずに陽子と――やるとしたら頭の中で――彼が意思疎通できるのかどうかだが、これはできると思っておいた方が無難だろう。彼の判断、あるいは陽子の判断だけで出現するかどうか、変身するかどうかが決まってしまうのなら、衆目の前に奇怪な姿を晒してしまったり、緊急事態に対応できなくなる危険性が高い。処刑人の役割、その性質を考えれば、怪物と同じようにトラブルは極力避けたいはずだ。そんな欠陥があるとは思えない。ただ、陽子が起きている時、彼も常に起きているかというと、それもまた考え辛かった。人の心は言われるまでもなく脆い。継続的な負荷に対しては尚更その強度を失う。寝てる時以外常に監視するなどというストレスのかけ方をしたら、少女は処刑どころではなくなってしまう。役割上、どうしても仕方ない部分は残るのだろうが、大抵は受信機能だけ働かせて眠っているか、少女の目が届かない所へ外出しているかのどちらかだろう。もちろん、人によっては話し相手を求めたりすることもあるとは思うが……。

 そして、自分が処刑人であることを隠しておけるなら、怪物との戦いも強制的に始まるわけではないはずだ。感知した怪物の処刑を実行するかどうかはある程度少女側に任され、実際にはその都度妖精と相談をしているのではないか? これもよく考えれば当然のことで、例えば強大な力を持つ怪物がいたとして、それに対して力量の不足している処刑人を無理矢理けしかけてもまず成果は上がらないし、妖精が少女の手足を操れるのでなければ少女は逃げの手を打つだろう。殆ど意味がないどころか、それで処刑人を失ってしまったら困るのは彼等だ。面倒に感じるかどうかはまた別としても、そんないいかげんな運用の結果、代わりを探すとこから始めるというのは非効率過ぎる。それよりは適切に経験を積ませて処刑人のレベルを上げていった方が確実性もあるだろう。

 理由はよくわからないが、生身の人間を使うことは処刑人にとって大事な要素のはずなのだ。そもそもが超常現象のオンパレードなので、どこまでまともな理屈が通るかは疑問の残るところだが、戦いを任せている以上は、その力のユーザーに対する配慮がなければおかしい。そうでないなら、最初からこんな回りくどい手段を選ぶわけがない。もし、外道の怪物を打倒するのに、その怪物より下劣な行為を働いてそれを成立させているのだとしたら、そんなものは本末転倒だ。まったく恐るるに足りない程度の知性ということになってしまう。そして、行使する相手に対して恐怖を抱かせない力は、それがどれだけ強大なものであっても、最終的にその役割を果たすことができるとは思えない。よって、殆どありえない線だ。

 大半、憶測は混じったが、おおよそこんなところだろうと認識している。恐ろしいのは全てを知っているのに彼が沈黙を保っているというパターンだが、現状、そうだとしても俺にはどうしようもない上、陽子がそれを許すのかという問題をどうしても切り離せない。それに、何となく、彼――アルダは、そういう()()ではないような気がした。

 そういえば、付随してもう一つ――彼の発言から判明している事実として、俺達に名前がついているということがわかっている。これはとても重要なことだ。あのマスコットの発音はカタカナ語に近かった。英和辞典を開いてみよう。他の言語の可能性もあるだろうが、とりあえず手近なところから。スターヴリング……近いのはstaからsteの間だろうか。それらしい意味を持つ単語がないか、順に目で追っていくと、それは意外に早く見つかった。

 sterve――飢える。starvelingで飢えて痩せこけた人、あるいは動物。




 前よりもゲーセンへ行くことが減った。一台五千円もするアーケード仕様のコントローラーが部屋に導入されたためだった。二つで一万円だ。なんという値段だろう、と思う。一つは元から持っていたらしく(きず)が目立つが、もう一つはまだ真新しい。世代の混ざったいくつかのゲーム機本体、そしてソフトと共に、我が物顔でテレビ台付近を占領している。どれも陽子が自宅から持ってくるか新しく買ってきたものだった。今時は大抵のタイトルがインターネットに繋がっているが、会って遊べるプレイヤーは相変わらず自分でなんとかするしかない――陽子は俺という生身の対戦相手、あるいは協力者を得たことがよほど嬉しかったと見えた。それとなく訊くと、


「やっぱ、あんまりみんなこういうゲームやらないんだって」


 という答えが返ってきた。もしかすると、今までそういう相手が、全く、いない状態だったのかもしれない。あのカイトという少年はどうだったのかと訊ねれば、


「だって、カイトは……ヘタクソだし拗ねるから」


 彼は本当に、なんて哀しい男なのだろう。では女友達はどうかと、無造作に積まれたタイトルを一本一本吟味していけば――全部が全部そうだと言うわけではないが、まあ、所謂女の子向けというやつはほぼ皆無で、()()の必要なものが大半である。性別がどうとかいう問題ではなく、楽しくそれを遊ぶために多大な時間を要して感性を育てなければならない、というようなものばかりであるから、よほどの暇人か、プレイ時間をなんとか捻出するマニアしか実質遊べないのだ。

 さもありなん。

 多数派の十一歳少女なら、もっと他のことに興味を示すだろう。陽子はそうではないので、敬虔(けいけん)な新興宗教の教徒が知り合いにパンフレットを配るような感覚で俺に新世代携帯機を与えたりしてしまう。これには困った。最初からその気で贈ると言っているものを無下に扱うのもよくないが、大したこともしておらず、祝いでもないのにそんな高価な品を受け取るのはやはり抵抗感があり、俺がやんわりそれを伝えると、陽子は、


「元から通信のためだけに買ったし、殆ど使ってなかったからちょうどよかった」


 などと無茶苦茶なことを言って、結局は部屋に置いていってしまうのだった。となれば当然、付いてきたソフトで遊ぼうという催促が毎日しつこいくらいあるので、ここ最近の俺はステータスの調整をしたり、AIの思考ルーチンに付け込んでカードを巻き上げたり、狩りの代わりに炭鉱へ(こも)ったりしている。これらは本当に、驚くほど時間がかかるのだった。

 ゲーム機だけではなかった。陽子は何だってこの部屋に置いて行きたがった。漫画を積み、雑誌を散らかし、プライズのぬいぐるみを転がした。自分の食べたい菓子を好きなだけ持ち込んで、柔らかいクッションに身を埋めた。巣を作っているかのようだった。そして同時にその恩恵を俺に与えたがった。それどころか、いくらかの現金を直接渡そうともした。どうも、食費や光熱費のことを気にしているらしかった。自分が俺の生活を圧迫しているのは明白だと思い込み、それを金銭によって直接的に取り返そうとしているらしかった。陽子の判断は正しい。だが実際には、毎日二十四時間居るわけでもない同居人が負担になるはずもなかった。この部屋における陽子の人間的食事量は俺の半分にも満たなかったし、一人増えた程度で光熱費が劇的に変化するわけでもない。彼女は本当はそんなことを考えるべきではないのだ。気に留める必要すらない。少なくとも、今は。ただただ、人生におけるこの段階から既にそういった思考へ辿り着いてしまう陽子のことが、俺は我慢ならなかった。両親が健在であるのにそんな状態の陽子が、我慢ならなかった。彼等が間違ったのかどうかさえ、もう俺にはよくわからなかった。他の誰もやるつもりがないというのなら、せめて俺が修正を加えるべきではないのか――おこがましくも、しかしそうせずにはいられなかった。誰でも辿り着けるような知識しか持ち合わせていなくとも、それはやるべきこと、いや、やらねばならないことのように思えた。

 とりあえず、学校の勉強は面倒を見ることができた。陽子の学力は、対策なしではテストで百点を連発できなくなる時期に入っていたようだった。まだ取り返しのきく領域であることに俺は安堵した。授業は聴いているようだったが、これからはその内容を頭へ定着させるのに一手間一工夫要ることを教えた。勉強した内容が役に立つかどうかよりも、それによって得られる頭の使い方を大事にしろと教えた。

 料理も教えた。週末には多少時間のかかる品を作るのが慣わしとなった。何よりもまず先にエプロンを購入し、形から入ろうとする陽子は微笑ましかった。男の手抜き料理ばかりなので役に立つかどうかまでは微妙なところだったが、陽子は真面目に取り組んだ。彼女はカレーを作るのさえ覚束なかった。家庭科の授業ではまだ簡単なサラダしか作っていないらしく、俺は包丁の使い方から教えなければならなかった。生きる、という一点のみを考えるなら、必ずしも要る技術ではない。できなくても死なない。だが、生活する、ということを考えた時には必要な技術だ。毎日使うのではなくても、例え一年に一回でも、必要な技術だ。学校で初めて習うようでは()()のだ。厄介者扱いされていた俺でさえ習得しているものだ。だが陽子の周りの大人は、誰もそれを気にかけなかった。機会を与えなかった。金があればいくらでも得られるはずのものをだ。忙しいなら忙しいなりに、キャンプのツアーに参加させるなどしてやるべきなのだ。陽子にはそういう発想がないのだから。その下地は()()()()()()()()()()のだから。ただ金を与えてどうする? それで陽子はどうしたらいいんだ?

 陽子は今まで生きていただけで、生活していなかったのかもしれなかった。

 掃除と洗濯に関しては、陽子から教えてくれと言い出した。俺自身、やはりどこかで客として陽子を扱っているところがあって、それは事実なので別に問題があるというわけでもないのだが、陽子としては不満なようだった。俺がいない時間など、家事を少しづつ任せるように言ってきたので、好きにさせることにした。トラブルの可能性も考えなくはなかったが、それを恐れて身につかないくらいなら失敗させるべきだということで結論が出た。そして、時々でも家事を代行してくれる存在というのは、とても有難かった。

 わからないことがあれば訊いてくるようになった。初めのうちはその場で回答するようにしていたが、回数が飛躍的に増え始めた段階で、辞書を引くことを覚えさせた。それでもうまく理解できない時には、俺が噛み砕いて説明した。陽子はよく俺の教えたことを吸収した。教えれば教えただけ吸収した。それはかなり面白いことだった。自分や周りを振り返って比べてみると、陽子の飲み込みの良さは、控えめに評価しても頭一つ抜けていた――彼女がこれまで無為に過ごしてきたであろう時間へ想いを馳せると、なんとも虚しい心地がするほどに。才能が浪費されている、と俺は強く感じた。無限に近い可能性が陽子の未来に広がっていると思えてならなかった。放任と放棄を履き違えているわけのわからない大人のせいで、それが刻一刻と失われている事実に戦慄し、そんな筋合いはないはずなのに憤りを感じた。理解ができなかった。今からでも遅くないからすぐに何か勉強やゲーム以外のこともやらせるべきではないかと俺は考え、そして、陽子を型に嵌めようとしてしまっている自分に気付いた。その無力さも。例えば陽子が本格的な水泳を始めたいと言ったとして、俺はどこにも(つまづ)かずに彼女をフィットネスクラブへ入会させるための手続きを終えることができるだろうか? 楽器を始めると言い出したら俺に教えてやれることは? ――全くない。ないのだ。

 真に陽子のためにしてやれることは、何もないのだ。

 幸福である、と臆さずに言える一ヶ月が過ぎつつあった。

 陽子に対しての食欲だけが際限なく膨らんでいた。

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