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その偶然は必然に似ている 一

 少年が立っている。

 その向かいにいるのは、また年若い青年だ。兄弟にも、親子にも見える。挑発的なまなざしが良く似ていて、印象的だった。

 少年と青年の周りをぐるりと囲むように人垣ができていた。遠巻きに、事の成り行きを見守っているようだ。影が射しているようで彼らの表情は見てとれない。

 青年が口を開く。

 唇が動いているが見えても、声は聞こえない。いや、声だけではなくすべての音がシャットダウンされていた。

 少年は頷く。

 人垣の中から一人歩み出てきた。手には青い布に包まれた細長い棒を乗せていて、青年の傍で立ち止まる。彼はその場で跪き、恭しげに手の棒を青年の方へと掲げた。

 青年がそれを受け取ると、棒を覆っていた布を剥がす。中から出てきたのは、鞘に納められた剣だ。

 剣は青年の手から少年の手へと移る。

 ずっしりと重い剣に、少年は思わず振り落としそうになった。しかし、彼の顔は歓喜の色を浮かべている。喜びをかみしめるように、剣の柄をしっかりと握る。そして、身の丈の半分ほどもある長剣を、少年は覚束ない手つきで抜こうとした。

 しかし、すっと滑らかに抜けるはずのそれが、微動だにしない。

 もう一度。今度は、先ほどよりも力を入れて柄を引っ張る。

 だが抜けない。

 何度力を込めても、角度を変えてみても、鞘の中にあるはずの鈍色の刃が顔をのぞかせることはなかった。

 近くで見ていた青年は、いち早く異変に気づいた。次第に二人を見守っていた者たちも、様子がおかしいと悟ったようだ。ざわざわと人垣が揺れた。


「……無能者か?」


 静音の世界に、誰かの声がこだまする。その一言で、彼らは何が起こっているのかを理解した。とたんに彼の表情が歪んでいく。

 侮蔑。失望。嘲笑。

 ピンと張りつめていた空気が、弾けた。静寂の神聖さを失い、まだ幼い少年を糾弾する場へと変わってしまった。

 青年は悲しげに少年を見つめていた。

 少年はうつむいていた。じっと地面を睨みつけ、唇を噛みしめている。彼は顔をあげることができない。顔を上げて、人々の悪意を真っ向から受け止めるには、彼はまだ幼すぎた。ぽたぽたと滴が落ちる。 地面に黒点を作る涙を止めることもできず。


 ――――彼は絶望の中にいた。


 はっと目が覚める。

 背中には固い地面の感触、目を開けて真っ先に飛び込んできたのは風に揺れる木の葉たち。彼は横になっている場所が自分のお気に入り昼寝スポットだと理解した。

 青年はのそっと身を起こす。先程の光景が夢であったことを知り、眉間にしわを寄せて頭をポリポリと掻いた。


「いやな夢見ちまった……」


 ひとりごちた彼は、まぶたを擦ってあくびをした。眠気が残り、まだ覚めきっていない頭をふらふらと揺らしている。腕時計を確認知れば、針はちょうど九時を指していた。

 今彼がいるのは、街で一番大きな公園だ。緑ヶ丘公園と名付けられただけあって緑が多いゆえに、その広さも相まって意外と穴場がたくさんある。生い茂る木々の影に隠れてしまえば、誰にも咎められることなく学校をサボることができた。

 何を隠そう、この青年は本来学校に行かなければならない時間であるにもかかわらず、人目を忍んで惰眠をむさぼっていたのだ。なにせ彼は遅刻欠席の常習犯である。お節介な大人に見つかって交番に連行されそうになったこと、一度や二度ではすまなかった。なまじ通うべき学校の知名度が高いために、街中ではかなり注目を呼んでしまう。


「もう一眠りすっかな」


 彼は再び木陰に身を横たえた。

 しかし、睡眠をとるにふさわしい静寂な空間はすぐに壊されてしまうことになる。新たな闖入者の手によって。


  ◆


 時を遡ることしばし。

 よほど急いでいるのか、人通りの多い街中だというのに風を切って全力疾走している少女がいた。巧みに人を避けながら、鞄を脇に抱え背中に竹刀袋をひっさげて、跳ねるように駆けている。

 ときおり腕時計で時刻を確認しては、焦りの色を濃くしていった。すでに涙目になるほど追いつめられている様子に、通行人の中には事情を察して道を開ける者もいた。


「どうしよう……! 今日から登校日だったのに、新学期早々遅刻なんて! これ以上座学の単位落としたらヤバいのに、よりによって遅刻なんて!!」


 半狂乱になっている彼女は、すれ違った人々から奇異の視線を向けられていることに気づいていない。もはや他人を気にする余裕など存在しなかった。

 彼女の名前は篠崎水奈(しのざきみな)。女性にしては長身で、しなやかな肢体だ。冷たささえ感じる美貌であるが、現在の彼女は、クールとはかけ離れた幼い子どものような雰囲気を放っている。文句なしの美少女だというのに、どこかずれた印象を与える少女だった。あえて欠点をあげるとすれば、身長が高い割には胸部の発達が乏しいこと、だろうか。

 身に付けている服は、藍色のブレザーと深緑の生地に赤いラインのチェックスカート。胸に輝く白いカラスのエンブレムが存在感を放っている。デザインはごくごく一般的な制服のそれだが、動きやすさを重視したために素材には相当こだわって作られていた。激しい運動を阻害しないどころか、身体を守るために軍用の特殊素材も使われているという話だから、さすがは超名門校の制服といったところか。

 水奈が通っているのは、全国に名の知られた学校だ。

 彼女自身、その学校に通っていることを誇りに思っているし、家族総出で応援してくれている。単位を落として留年なんて情けない事態には、どうしてもなりたくなかった。期待に応えたい。その思いを糧にして、彼女は嫌いで嫌いでしかたがない座学の授業を、無遅刻無欠席を通してきたのだから。雀の涙ほどしかない出席点とて、彼女にとっては貴重なのであった。


「近道する!」


 商店街をぬけると、いつも道ではなく公園を横切るルートに切り替えた。普段は公園の外周をぐるりと回り込むのだが、今日ばかりは直線の最短距離を行くことにした。

 犬の散歩をしている人や子ども達とその保護者の姿などがちらほらと見える。思ったよりも人がいるものだなと、水奈はいつもとは違う道を通ったことに新鮮さを感じていた。

 公園の中央にある池沿いの遊歩道にさしかかったときだった。

 女性の悲鳴と子どもの泣き叫ぶ声が響く。

 声が聞こえた方向に振り向くと、そこには池の中から姿を現した鬼がいる。


「……翔太!!」


 母親らしき女性が手を伸ばす。その手の先には、まだ二歳を超えたばかりと思しき男の子が呆然と立ち尽くしていた。

 男の子は鬼を見上げている。

 三メートルを超え、隆々とした筋肉を携えた巨躯。額から突き出している角は、天を衝くように伸びている。鋭い爪の伸びた太い指は、たやすく男の子の首をへし折ってしまうことだろう。水奈の目には、青い不気味な肌を伝う滴がやけにはっきりと見えた。


「――妖鬼!! なんでこんな時に!」 


 水奈は焦りも露わに男の子のもとへと走る。

 時刻はちょうど九時。鬼討師たちはまだ定時の巡回には出ていないだろう。通行人が即座に通報したとしても、到着には時間が掛かってしまう。

 この場で鬼に対抗できるものがいるとすれば、自分しかいない。水奈は心を決めて竹刀袋の封を解いた。

 袋の中から取り出されたのは、刀だった。竹刀でも模擬刀でもない、真剣。白銀の刃は、鋭く光を反射している。

 妖鬼とは人に害なす異形の者たちのこと指す。彼らは突然現れ人を襲い、周囲を破壊し尽くし満足すれば帰っていく。姿かたちにはあまり統一性がなく、力も個体によってまちまちだ。彼らが同じ生き物なのかさえ、分かっていない。

 彼らはどこからやって来て、どうして人を襲うのか。

 妖鬼が出現して約千五百年。人類はまだ、その疑問に対する答えを見つけられていなかった。

 ――今はそんなことどうでもいい!

 水奈は思う。やつらは人を襲う。やつらのせいで傷つく人がいる。自分が戦う理由なんて、それで十分じゃないか。

 今まさに、妖鬼の手が幼い男の子の頭に迫っていた。


「まにあえええええええ!!」


 全身にみなぎる神通力(ミスト)を総動員し、足りない分を大気からかき集め、彼女は秘儀を発動させた。

 その瞬間、世界が止まった。

 いや、正確いえば完全には止まっていない。少しずつ、動いていく。彼女の視界はすべてがスローモーションになって、水奈と同じ次元で行動する者はいなかった。世界は依然として回り続け、水奈だけが世界を置き去りにした速度の次元にいる。

 鬼の手から下たち落ちた水滴が地面に落ちるよりも速く、水奈は男の子の傍に到達していた。巨大な手の中から奪い取るように、男の子を抱きかかえて離脱する。

 水奈が秘儀を解いた頃には、鬼の手は空を掴んでいた。


「ああ……! 翔太、良かった…………良かった!」


 男の子の母親は彼を必死と抱きしめ、何度も水奈に頭を下げた。涙を流しながら我が子の無事を喜ぶ姿に、水奈も安堵の表情を浮かべる。


「その子が無事で良かった。危ないから、すぐにここから離れてください」

「本当に、ありがとうございました」

「いいえ。黎明学園の生徒として、当然のことをしただけです」


 親子を逃がす間も、水奈は決して鬼から視線を逸らさなかった。

 せっかくの獲物を逃したことで、いたくご立腹している様子の鬼。自分から獲物を奪い去ったのが水奈だと理解しているようで、鬼の視線は完全に彼女を捉えている。それを水奈の方も重々承知していた。きっとこの鬼は、彼女をただでは逃がしてはくれないだろうと。


「もっとも、逃げるつもりなんてサラサラないけど!」


 水奈は刀を構え直すと、再び戦技を発動させた。

 先程男の子を助けるときに使っていたものと同系統のものだ。あの秘儀、正確には戦技と言って、人が妖鬼と対抗するために編み出した技である。万物に宿る神通力ミストと呼ばれる力を利用し、普通の人間ではなしえない動きと技を実現させた。

 戦技にも色々な種類があって、その中で水奈が使えるのは動技と剣技だけ。動技は移動術であるから、彼女は基本的に刀で戦うということになる。その気になればそこらの木の棒でも戦えなくはないが、鬼を相手にするとなると心もとない。

 神通力ミストを利用する技には、遠距離攻撃を得意とする術も存在する。だが水奈はその術を使えない。

 つまり、鬼にダメージを与えようとするなら懐に入り込まなければならない。


「たぶん、鬼討師はまだこないよね……」


 本来ならば、プロが駆けつけるまで時間を稼ぐのが正解だろう。しかし、水奈は生憎と大人しく待つことができない性格だった。もっと言えば、彼女は己の実力に自信を持っていた。座学はともかく、実技の方ではトップクラスの成績を維持していたのだ。

 すっかり目の前の鬼を倒す気になっていた。


「ふふふ……単独で妖鬼を倒しちゃったりなんかしたら、学年主席は間違いなしよね。そうすれば、忌々しい座学に足を引っ張られて、留年の危機に怯えなくてすむ!」


 ついでにもう一つ、篠崎水奈は脳筋である。


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