発狂2
「死ねぇぇぇ」俺はオヤジに殴りかかっていった。
「わっ」オヤジは頭を下げて攻撃をかわし、俺のかたわらをすり抜ける。「な、なんじゃ突然。おぬしが所望した通りの料理ではないか。気でも狂ったか」
「それもウンコだ。固形のウンコだ。ウンコだウンコだウンコだ」
出入り口のところにバニーガールの二人が鼻をつまんで立っていた。
「そいつらを見ろ。そいつらだってウンコだといっているようなもんじゃないか」
「臭いがキツいのは床で混ざり合っている調味料のせい。おぬしが悪い」
こくんと頷くバニーガールの二人。なぜコイツらは頑ななまでにひとことも発しようとしないのだろう。よけいにイラッとくる。
「なんだとう。あくまでもウンコじゃないと言い張るつもりか。ならばそれを」俺はオヤジの握っている固形の排泄物を顎でさした。「自分で食ってみろ」
「こんなもの、食えるかぁ」オヤジは排泄物を床に叩き付けた。
俺はカウンター・トップの出刃包丁を手に取った。
「早とちりをするでない」オヤジが慌てて説明してくる。「ワシは物を食わんのだ。摂取するのはアルコールのみ」
「じゃあ、そいつらに食わせてみろ」俺は包丁の切っ先をバニーガールたちに向ける。
「こやつらに至っては食べ物どころか、アルコールさえも口にせん。何も摂らん」
バニーガールの二人は鼻をつまんだままオヤジの排泄物をじっと見つめている。いかにも汚い物を見る目付きだ。それをウンコと認識しているようにしか思えない。
「よし、分かった」俺は出刃包丁を中段に構える。「言い残すことはないな」
「さ、刺す気か。本気でワシを」オヤジは面食らったようだ。
「ああ、そうだ。何も言い残すことがないのなら」
俺がでっぷりと肥えたその醜い腹に狙いを定め、一歩踏み出すやいなやオヤジは威喝した。「それは飯を食う気もないと受け取っていいのじゃな」
「もういい。いらん。食わん。殺す」お前とは何も話す気はないのだというアピールの意味を込め、片言の単語のみを並べて言ってやった。
「そうか。飯は食わんか」オヤジは薄ら笑いを浮かべる。「ならばおぬし、餓死するぞ」
「死んだって最初のところに戻るだけじゃないか」俺は包丁でその方角をさす。「今より状況が悪くなることはない。もう、喋るな。うるさい」
「餓死は、苦しいぞ」オヤジは口の周りをべろりと舐め回し、サディスティックに瞳を輝かせた。「しかも死んだ後に目覚めても腹は満たされておらん。空腹のままじゃ。また苦しみながら死んでいく。永遠に、餓死は続くのじゃ」
「なにっ」俺は目を見開いた。
なんてことだ。そういうふうになるとは夢想だにしていなかった。死んでも元の状態には戻らないのか。だったら今より悪い。
前の状態を引き継いで苦しみ続けるのは、まっぴらゴメンである。
「やっぱり飯を食わせろ」俺はあっさりと翻意した。
「ならば」オヤジは掌を差し出してきた。「その包丁をこっちへ寄越さんか」
俺は自分の握り締めている出刃包丁に目をやった。
これを持ったままだとオヤジは料理を作ってくれないのだろう。料理を作った直後にずぶりとやられたら、たまらない。
いや、それ以前の問題としてこのオヤジが神なら死ぬことはあり得るのだろうか。死ぬかも知れないし、死なないのかも知れない。まぁ、どっちにしろこのような凶器はあまり役に立たない。
死んだってあの場所に甦るだけなのだ。目的は苦痛を与えることのみになる。撲殺のほうが効果的だ。
それに包丁を寄越せとの要求は、今度こそまともな料理を作る意思表示なのだろう。
俺は長考したすえオヤジに従うこととした。
「ほらよ」出刃包丁の柄の部分を掌に置いてやった。
「うむ。よろしい」オヤジはシンクの排水口に角から突き刺さっているマナ板を引き抜き、包丁ともども水洗いしてカウンターへと並べた。
そして壁のフックに掛けてあったフライパンを空いている方のガスコンロで火にかける。
フンドシをずり下げ屈み込んだ。
「さて、何が食いたい」
かっと頭に血がのぼって俺は一瞬目の前が真っ暗になった。
「その鍋だのフライパンだのマナ板だの包丁だのには、いったい何の意味があるのかな。さっきから」必死に平静沈着さを取り繕ろう。
「料理を作るのに必要なのじゃ」オヤジはきょとんとした顔で瞬きをした。「当然じゃろう」
「使ってないよな、それを。ぜんぜん」だんだんと声に怒気が帯びてくる。爆発間近だ。「その、神の、料理法、じゃ」
「だから鍋やフライパンを火にかけ、マナ板と包丁を所定の位置にセッティングして初めてワシの体の中で料理が出来上がる仕組みなのじゃ」
すぅぅぅ、はぁぁぁと俺は深呼吸をした。目を閉じて胸を押さえ、気を静める。