罪悪
あっと、俺は声を上げた。次々に記憶が蘇っていく。
「そうじゃ。その娘じゃ」オヤジは爆発しそうな憤怒を堪えるかのように奥歯をぎしりと軋ませた。「何も悪いことなどしていなかったのになぁ。あの娘。見た目を理由にイジメられた」
オヤジから剣呑な雰囲気が漂っている。
俺は何をされてもいいと思った。それだけのことをしたのだ。半殺しにされたって文句は言えない。
宙の一点を茫然と見つめる。
「やることなすこと全てを貶され、あることないこと言い触らされ、時には軽い暴力も振るわれた。おぬしが首謀者となって。クラスの男子の半数以上が。おぬしらは、笑っていた。あの娘の心の痛みも分からずに」
「最低」と、バニーガールたちが言った。初めて耳にする二人の声だった。
言われるまでもない。俺は最低だ。人間のクズだ。
たしかに中学一年生の頃、俺は同じクラスの娘をイジメていた。あの頃は、イジメをしているなどという意識はまるでなかった。
彼女を道化扱いして、冗談のつもりだった。時おり見せる悲しい顔に腹が立ったくらいだ。
冗談で傷つくほうが悪いとさえ思っていた。道化とはみんなに笑われる存在、それ以外にアイデンティティーはないのだ、と。
本質はまるで違う。プロの道化は人に笑われているのではない。人を笑わせているのだ。
なにより道化とは自らが望んだ結果でなければならない。地位や名誉や金銭のため。
俺は少しの見返りも与えず彼女にみんなから笑われることを強要した。嫌がっていようが何だろうがお構いなしに。
これは間違いなくイジメだ。
「中学に入ってきたばかりの頃、あの娘は明るかった。おぬしは覚えていないじゃろうが。それがイジメで暗くなってしもうた。純粋な娘じゃったからのう。心に受ける傷は深い。小学校から上がってきたばかりの子供でもある。まぁ、おぬしらにされたことを思えばたいがいの者は暗くもなろう。深い傷が残る」
自らの精神を防衛するため巧く押さえられていたものが一気に噴出してくる。罪悪感。罪悪感。罪悪感。
「もう一度訊く、あのイジメの首謀者はおぬしじゃったな」オヤジは俺をぎろりとねめつけた。
俺は黙って頷いた。罪の意識に唇がぷるぷる震える。
「うむ」俺が事実を認めたことでオヤジはいくらか納得した様子だ。神妙な面持ちで円を描いて歩き始める。「まずおぬしらはあの娘の体つきを貶した。給食のおかわりをあの娘がした時、だから太るんだなどとからかった。あの娘は給食をおかわりしなくなった。それどころか最初に与えられた分まで残すようになった。食べるとまた何か言われるに違いないと、びくびくしておったんじゃ」オヤジは喉の奥で痰をからませ俺に向かって吐きかけ、止めた。
痰を吐きかけるにも値しないということなのだろう。その通りである。
「フォークダンスではおぬしらが大げさに騒ぎ立てた。あの娘と手をつなぐのは汚い汚い、と。あの娘は悲しそうにうつ向きながらフォークダンスの輪をぐるぐる回っておったな。手を下げたまま。このようなイジメは、他にいくらでもある。しかもおぬしらはずる賢かった。先生に注意されることはあっても、職員室へ呼び出されるようなことはなかった。精神的な苦痛を与えるのがほとんどで、教師にはいき過ぎた冗談にしか見えんかった。肉体的なものはふざけた感じで執拗に肩を軽く叩くくらいじゃった。ブスだのデブだの悪口を言いながら。遠目には仲が良く映ったりもした。そもそも悪口じたい、どこからどこまでがイジメの領域に入るか微妙なもんでもあるしな。たとえば親しい者に馬鹿だの不細工だの言うのと、そうでもない者に言うのとではぜんぜん違う。言われる者の心次第じゃ。おぬしらはあの娘が傷ついているのを分かっていながらやり続けた。またあの娘は先生に助けを求めなかったし、人前で涙も流さんかった。家では毎日泣いておったが。つまりおぬしらは何のリスクもなくあの娘をイジメておったのじゃ。まぁ他の者たちは中学を卒業後、イジメたことを凄く後悔しておったがの。それで罪が消えるというわけではないが。その罪に対する罰は、しっかり受けてもらうが。おぬしよりはマシなあの世で。周りで黙って見ていた者たちも含め」
「この人、死ねばいいのに」と、俺を指差してバニーガールたち。
俺はオヤジの足にしがみついた。
「あの娘に会って謝りたい」俺は心の底からそう思って言った。「ふたたび現世に生を受けることって可能なんだろ。そういう教えを説く宗教は多いはずだ。今までは無神論者だったが、そうしてくれるのなら信じる。このままじゃ死んでも死にきれない。あの娘に出来るだけの罪ほろぼしがしたい」
「生き返っても、その望みは叶えられんぞ。ぜったいに」オヤジは断言した。
俺は戸惑った。意味が、分からない。
オヤジは長大息する。
「あの娘は、死んだ。おぬしが車にはねられる前の日に。自殺じゃった」
俺は、固まった。
「原因はおぬし。おぬしらからイジメられてあの娘の人生にヒビが入り、そして、壊れた。優しい娘じゃったからのう。イジメられるのは自分が悪いからだと思っとった。生きていることに罪悪感を持って、ついには自ら命を断った。苦しんで苦しんで、苦しみ抜いた末にじゃ」オヤジの目は凄まじい悲しみと怒りで真っ赤に充血している。その目で俺を睨んだ。
「死んだのなら、あの娘のいる場所を教えてくれ。連れて行ってくれ」血の気が引いていく。俺は、目眩を起こした。「そこで罪を、償わせてくれ」
「それはならぬ。だいいちおぬしと会ってもあの娘の心の傷は癒されん。悪化するだけじゃ。ますます自分を責める。あの娘は生前も死後も真に心優しき者なのじゃ。おぬしとは違う」オヤジはこれまででいちばん大きな声を張り上げた。
「母や、その他の人たちにも謝りたい。罪ほろぼしがしたい」俺は悄然と言う。「俺のせいで不幸な思いをした全ての人々に」
「黙れ。自分で罪が償えるというその考え方じたいが、おこがましい」オヤジは一喝した。「おぬしは何も心配せんでいい。ぜんぶこっちが決める。ちゃんと因果応報にしてやるぞ」
「自分は、何をどうすればいいのですか。どうすれば全ての罪を償うことが出来るのですか」俺は敬語を使った。
崩折れるようにひざまづき、胸の前で手を握り合わせる。
「かんたんな答じゃ」宙に浮かび上がり始めるオヤジ。
俺に向かってぱちんと指を弾く。俺も宙に浮かび上がり始める。
オヤジはフンドシから素早く金玉をハミ出させた。きっとこれまでの空中浮遊の時もバレないように自分でそうしていたのだろう。実に手慣れたものである。
しかし、俺には怒りの感情などあるわけがない。オヤジの下に漂いながら次の言葉を待つ。
オヤジは俺を見おろした。口を開く。
「ずっと、ワシらといっしょにおるんじゃ」不気味な笑みが浮かんだ。
「最低。死ねばいいのに」地上からバニーガールたちの声。
二人の顔にも不気味な笑みが浮かんでいる。
「言っとくがの、おぬしはヒドイ目に合ったヒドイ目に合ったと喚いておったが、あんなの序の口。その無限倍数分ヒドイ目に合ってもらう。これからは、手加減なしじゃ」
言い終わると同時にオヤジと俺は空中を旋回した。
「うひひひひひひひっ」オヤジは物凄い量の大便と小便をする。いっこうに止まる様子がない。
そのほとんどが俺に直撃してくる。
ここはあの世だとのオヤジの言葉が思い出された。自らを神だとも名乗った。
このオヤジが神ならば、現世で人間が作り上げた概念とは相当にかけ離れている。
しかし、死後の世界の概念のひとつは現世で人間が作り上げたものと同じだ。
概念のひとつ。――そう、ここは地獄。
地獄に俺はずっといるのだ。オヤジと二人のバニーガールと俺だけのこの世界に……。
どんなにかかっても決して消えることのない罪を背負って。
【完】
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