理由2
「そ、それは」目が泳いでしまう。忘れていた。
「忘れていたのも、当然じゃ。おぬしにとってそれは日常的なことじゃからの。数日前の朝食を思い出せぬと同じこと」オヤジは俺に近づいてきて、顔を覗き込んだ。「働らきもせず親の金を盗んでギャンブルするのは、たいして悪いことじゃないのかのう。母親は数百円の時給でいくつも仕事を掛け持ちしておったのに。夫、つまりはおぬしの父に死なれた後、家族を養うため必死じゃったのに。おぬし、妹、弟、四人家族か」
「それは、あれだ。反省している」俺はもじもじした。
「いいや。反省などしとらん。ワシに指摘されて仕方なくそう答えているだけじゃ」ぺっとオヤジは唾を吐いた。唾棄である。「この親不幸者め。母親が親戚一同から借金してまで大学へ行かせたのに、けっきょくおぬしは辞めてしもうた。ロクに勉強もせず遊びほうけた挙げ句に。バイトもしとらんかったな。母親からの仕送りに頼ってばかりで」
「ぐっ」と、俺は唇を噛みしめた。
今まで誰かからそれを咎められたことはない。咎められる前に言い訳をして誤魔化していた。生前は、母親の苦労を当たり前だと思っていたのだ。
「自動車の免許を取りに行ったこともあったな。就職するにしても何にしても必要だとかぬかして。その時も、必要以上に金を要求した。試験に落ちただとか、てきとうな理由をつけては。他にもたくさんある。嘘をつき、母親から金を受け取ったことが。遊びたいがためだけに。母親が汗水流して稼いだ金を」
「すまなかった」俺は力なく呟く。
こうして俺の母に対する仕打ちをひとつひとつ列挙されると、返す言葉もない。俺は、悪いことをした。オヤジの言う通りだ。
「うむ。少しは心が変わってきたようじゃ。自分のしたことを悪いと認識してきた。ワシに指摘されてからではあるが」オヤジは蔑むような眼差しで頷く。
「俺がここでこんな目に合うのは、そういうわけなのか」
「母親ばかりではない」
もはやオヤジが心を読んでくることに何の驚きもない。コイツは神か、そうでなくとも超越的な存在。俺のしてきたことを全て分かっている。「おぬし、近所の個人商店で万引きもしておったろう。仲間を誘って。高校生の頃」
俺はびくっと背筋を伸ばした。人間、自分にとって都合の悪いことはやはり忘れてしまうものらしい。正確には無意識の層に追いやってしまうものなのだろう。
オヤジに言われるまで、意識の層にはまったくなかった。思い出した。
「あのおばあちゃん、可哀想になぁ。ひとりで頑張って店を切り盛りしておったのに」オヤジは涙を浮かべて、鼻をすする。
「あのおばあちゃんの死因は、老衰なんだろ」俺はおどおどしながら訊く。
「老衰じゃ。しかし」オヤジの涙目に角が立った。「おぬしらの行いが死期を早めたのは、間違いない。非常なストレス。心労。小さな個人商店で毎日のように万引きをされたら死活問題じゃ。実際、あの店は潰れたじゃろ。おぬしらのせいじゃ」
それは俺たちも薄々気づいてはいた。ただたんに認めたくなかっただけだ。
万引きは遊び感覚。遊びで人が死ぬわけない、と。
オヤジは続ける。
「他の誰かもやるからいいと、あの時のおぬしはそう思っておったな。逆の立場でおぬしが物を盗まれたらどんな気持ちになるかも考えず。大馬鹿者め。あのおばあちゃんは万引きを見つけたら口で注意するだけじゃった。警察に通報せんかった。学校で問題になったら若者の将来が駄目になるかも知れん、と。その想い遣りにつけ込んでおった」
これも、図星だ。何の罰も受けないのをいいことにつけ上がっていた。
卑怯者である。大馬鹿者だ。俺は。
「在籍していた少年野球チームでは下級生に体罰を加えてもいた。暇潰しに。練習の時の声が小さいとか何とか因縁をつけて。何人かはチームを辞めてしまったな。二度と野球をしなくなった子もおる。トラウマになって。才能があったのに。付き合う寸前まで行った男女の仲を裂いたのは大学の時か。妬みから。おぬしは妬みの感情を自覚しておらなんだが。笑いながら、冗談ぽくそれぞれの悪い噂を流しておった。あれさえなければ二人は愛し合い、結婚し、素晴らしい人生を送れるはずじゃったのに。人生が狂った。狂わされた。人間不信になってしもうた。おぬしのせいで。あとは満員電車で屁をこいたこともある。知らんふりしおってからに。あれは臭かった」
最後のひとつでまた小さな悪に戻ったような気もしたが、罪は罪である。オヤジは順不同に並べていってるだけなのだろう。俺の悪行の暴露が時間軸に沿っていないことからもそれはうかがえる。子供の頃の悪さから大人の頃の悪さに行って、また子供の頃の悪さに戻ったり。
まぁ、とにかく俺は母親に対する悪行の指摘からは本当に反省していた。今までその悪さに気づかなかったのは自分自身を正当化するのが巧かったからだろう。現世では少しの罪悪感もなく生きていた。
オヤジはとどめとばかりに畳み掛けてくる。
「おぬし、女の子をイジメておったな。名前はあえて言わん。同じクラスで、背が低い少し太った娘」