勝負
ぱっと頭にかけっこが思い浮かんだ。童話のウサギと亀である。俺は亀じゃないが。
「かけっこではないぞ」心の中を読んだのかどうなのか、オヤジは間髪いれずに俺の連想を否定した。「まぁ、スポーツではあるがの」
「何のスポーツだ」俺は勢い込んだ。
女と肉体的に競い合うのなら、こっちに分がある。
バニーガールたちの身長体重は平均的な女性のそれだ。むしろ胸やお尻がグラマラスなぶん、普通の女性よりは運動に不向きであろう。今まで動きを見てきたが、きっと特別な運動もやっていない。目立った筋肉もない。
勝てる。二対一でも。
「アイスホッケーのようなスポーツじゃ」オヤジは足元を指差した。「ほい」
ぼわんと煙が立ち昇る。
そこから木製のスティックが現れた。なるほど、形も大きさもアイスホッケーの道具にそっくりだ。先のほうがL字に曲がっている。
つづいて遠くを指差すオヤジ。「いでよ」
向こうでも煙と共に何かが現れた。
「なんだ、あれは」俺は爪先立って目を細める。
「このスポーツに使うゴールとボールじゃ」
煙が薄まってくると、赤と青の二つのゴールが確認できた。その中央に白線が引かれてゴム製なのだろう直径七センチほどのボールが置かれてある。
たしかこの魔法は指を弾かないと使えないのではなかったか、などとも思ったのだが、もうそれはどうでもいい。
このオヤジのことだから、そこを突っ込んだらまた何かてきとうな応答をするに決まっている。今、出来るようになっただの何だの。
オヤジのルール説明に聞き入る。
「赤いゴールがバニーで青いゴールがおぬしじゃ。白線を挟んで対峙し、笛の音で試合を始める。そのスティックで相手のゴールにボールを叩き込んだら一点。ゴールを決めたら白線に戻って笛の音で試合再開。これの繰り返しじゃ。試合は二時間でたくさん点を取ったほうの勝利。かんたんじゃろ」
「たったそれだけか」俺は胡散臭さげにたずねた。
「そうじゃ。ただし」オヤジは横目に俺を見据える。「男と女。しかも初心者同士。ハンディーキャップはつけさせてもらう。おぬしは一人でバニーは二人じゃ」
いいな、というように俺を正視してきた。
俺に否応はない。
「やるしかないんだろ。やって勝たなきゃ現世には戻れないんだろ」
オヤジは黙って尊大な調子で頷いた。
「では、さっそく始めるとするかの」スティックを手にバニーガールたちを従え、白線へ向かって歩き出す。
「カロリーの補給をさせてくれ。ちょっと待っててくれ」俺はそう叫んでキッチンへと駆ける。
腹がへっては戦ができない。ドアを開けると、あの混合調味料が残されていた。
「うぇっ」俺はそれを貪り舐めた。
この勝負には何がなんでも勝たなければならない。最後のチャンスかも知れないのだ。吐き気に耐えてでも体力の回復をしなければ。
そして俺はキッチンを出て、オヤジたちのところへ歩きながら考える。腹をさすって。食後すぐに走るのは無理だというふうを装い。
キッチンへ行ったのは、作戦を練るためでもあったのだ。
まず、今の状態ならバニーガールたちと足で競って負けるわけがない。自信がある。
ならばスティックで下手にドリブルはしないほうがいいだろう。笛が鳴ったら力いっぱいボールを叩いてダッシュである。先にボールを叩けば、あとはかけっこ。足の速さが勝敗を決する。二対一とか関係ない。
バニーガールたちが先にボールを叩き、そのままゴールすることもほぼあり得ない。ゴールの大きさはアイスホッケーのものと同じくらいであり、白線からは五十メートル以上の距離がある。巧く狙いが定められない。ボールの勢いも失速するだろう。やはりかけっこで俺が勝つ。
「おい、はやくせんか」イラ立たしげに足摺りしていたオヤジがそう怒鳴った。
「あぁ、満腹満腹。すまんすまん」白線を挟んでバニーガールたちと対峙する。
俺は、笑顔になった。やはりボールはゴム製だ。
初心者の女にドリブルの技術があるわけないが、パスは偶然にも通るかも知れない。そうなった場合はキーパーだ。地面に膝をついてのガッツポーズでほとんどの空間が埋められる。
そう、ボールはゴム製。恐怖心はまったくない。僅かな空間に意識を集中して反応も出来る。
バニーガールたちが点を取るのは万にひとつの可能性だ。
「うひひひっ」俺は声に出して笑った。
しかめっ面になるバニーガールたち。いぶかしげな表情のオヤジ。
「ほれ、これを持て」俺にスティックを手渡しながら、オヤジは諌める。「よからぬことを考えてはおらんだろうな。ちゃんとルールに則って、正々堂々と勝負せねばならんぞ」
「よからぬことなんて考えちゃいない。言われなくてもルールは守る」
嘘ではない。ルール違反ではなく、これは作戦だ。わざとゆっくり歩いていたのは少し卑怯かも知れないが。
「ならば、よいが」オヤジは疑いの残る目のまま笛をくわえた。
腕を振り上げ、降り下ろす。「ぴぃぃぃぃぃぃっ」