遭遇
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死んでしまった。実にあっけなく、二十四才で死んでしまった。
大音量のダンス・ミュージックが流れるCDプレイヤーのイヤホンを耳にさしてパチンコ店へ向かう途中、横断歩道で車にはねられたのである。
赤信号に気がついたのは後頭部をアスファルトの地面へしたたか強打して仰向けの状態、薄れいく意識の中でだ。
こんなんじゃ事故に遭うのも当然といえよう。不注意の自業自得。誰にも、文句はつけられない。
そして次に目覚めた時、俺は辺り一面真っ白な何もない所にいた。――あぁ、死んでしまったんだなぁと、思ったのである。
いや、確信したといったほうがいい。理由はこれといってないが、そうなのだから仕方ない。
無理矢理でかまわないのなら第一にこの目の前に広がる異常な光景と、第二に動物的本能であろう。
俺はとりあえず当てもなく歩き出した。これも正確には足が勝手に動き出した。
己の魂を引きつける強力な磁場へ向かうが如く。
どれくらい歩いただろう、距離も時間も何も分からないがやがて前方に黄金色に発光する扉のようなものが見えてきた。
そこまで行って俺はぽかんと大口をひろげ立ち止まる。
扉状のものの大きさは縦二メートルで横が七十センチといったところ。ノブはついていない。
使用目的が、不明である。後ろには何もない光景が広がっているのだ。
家の建築中ではなかろう。扉から作るわけがない。
まぁ、だからといって別にどうでもいいことではある。他に何もないから仕方なく見ているだけだ。
と、とつぜん扉状のものがばたぁぁぁぁぁぁんと大きな音を立てて開いた。
俺は喫驚仰天してひっくり返った。
奥のほうから「はやくなかに入ってこい」と、声がする。
「腰が抜けて、立ち上がれません」俺は目に涙を浮かべて言った。なぜか、敬語である。
「しょうがない奴だ。おい、行って連れてこい」扉の向こうの何者かがそう命令すると、金髪のバニーガールが二人飛び出してきた。
「うわっ。な、何なんですか、あなたたち」俺は両脇をバニーガールの美女に支えられてどぎまぎした。
豊満な乳房が体に密着し、フェロモンを含んだ香りが鼻をくすぐる。本来なら嬉しいはずである。しかし、この異常な状況下だ。混乱してしまう。
どうして死後の世界にバニーガールがいるというのだ。不自然に過ぎる。そんな話、生前には一度も聞いたことがない。
もしかして俺は死んでいなくて、ここは地球上のどこかの場所なのか。
美女二人にずるずる引きずられながら、あれやこれやひたすらに考え続けた。
おかげでこの二人の美女に命令を下した者のところへ到着したことにも気づかなかった。
「おい、何をひとりでぶつぶつ言っておる」
どうやら、独り言を呟いていたらしい。
「いえ、意味もないただの」申し開きしながら俺は顔をあげた。
外と同じく真っ白な場所。四十がらみのオヤジがフンドシ一丁で寝っ転がっていた。
禿げ頭で、太鼓腹。周りに散乱した酒瓶から察するに多少酔っているのだろう。頬が、赤い。
「なぜ俺を呼んだ。てめぇはいったい、何者だ。ここはどこだ」俺はぶっきら棒に言い放った。
心中、怒りがむらむらと込み上げてきた。こんなオヤジから偉そうに呼びつけられたくはない。
「ここか」オヤジは欠伸しながら生返事をした。「ここは死後の世界。つまり、あの世じゃ」
「ひぇぇぇ」もしやと、淡い希望を持ち始めていた矢先である。俺はその場に泣きくずれた。「やはり俺は、死んでしまったんだぁぁぁ」
「そうじゃそうじゃ。おぬしは死んでしまった」俺を指さして何度も大きく頷く。
つづいて「わははははっ」と、腹を抱えて大爆笑。
そこで俺は我に帰った。ひぃひぃ言いながら地面を転げ回っているオヤジに詰め寄る。
「なんで、てめぇにそんなことが分かる。ここがあの世だなんて証拠は何もないじゃないか」
オヤジは今だ笑いの発作が治まらないらしい。
「ああ、それはじゃな」ひく、ひくと間欠的にしゃくり上げている。「おぬしが発した残りの質問に答えれば明らかとなるぞ」
「どういうことだ」俺は、もはやこのオヤジをぶん殴ってやりたい衝動に駆られていた。「納得のいく答えが返ってこなかったら、承知しないぞ」
「まあ、落ち着け」オヤジは前に突き出した両の手で俺を制した。「なぜ、ここがあの世であることが分かるかというと」
「分かるかというと」オウム返しに言って、俺はごくりと唾を飲み込んだ。
「ワシが」オヤジは一瞬間を置いてから叫んだ。「神様だからじゃぁぁぁ」
その勢いに気押されて俺は「ぎょろっご」などと意味不明な言語を思わず発し、またぞろ後ろにもんどり打ってひっくり返り腰を抜かした。
オヤジは立ち上がり、そんな情けない俺の姿を悠然と見おろす。「だからおぬしをここへ呼んだというわけじゃ」
「嘘だ」
「嘘ではない」オヤジの口調は断定的であり、しかも、真顔だ。
有無をいわせぬ圧倒感が体から漂い出した。目の錯覚で、オヤジが何倍にもでかくなったかのよう。先ほどまでのふざけた様子がまるでない。
そこには確かに人間離れしたものがある。
俺は、唖然とした。
「信じて貰えんかのぅ」
「なら、証拠を見せてくれ」喉の奥から言葉を絞り出す。
事故ったあとに目覚めた場所も場所だ。最初に確信した通り俺は死んでいて、そしてここはあの世で、もしかしたらこのオヤジが神様かもしれない。
「証拠、じゃと」
「たとえば、うぅぅぅん、そうだなぁ」俺は顎に手をやって考えた。タネも仕掛けも出来ず、それでいて人間にはとても不可能なことを。
「空中浮遊なんて、どうだ」パッと頭に閃いた。「今すぐに俺の目の前でやってくれ。そうしたら信じる」
「なんじゃ。そんなことか。御安いご用よ」オヤジは首を左右に振ってぽきぽき鳴らし、両脇のバニーガールを払い退けた。「では、いくぞ」
体が、宙に浮く。
「おぉぉぉっ」俺はのけぞりながら嘆声を上げた。
オヤジはみるみる上昇していき、ついには地上二十メートルほどの位置へ到達。そこで座禅を組み、宙を右へ左へ滑らかに移動してみせる。
俺は、言葉もない。目が点だ。
そんな俺を見て気を良くしたのだろう、オヤジは両手足を広げたムササビのような格好でぐるぐるぐるぐる旋回までやり始めた。
急降下し地面スレスレまできてふたたび上昇。またぐるぐる回るなんて芸当も披露する始末だ。
ここまでくると空中浮遊ではなく、飛行である。フンドシからは金玉がはみ出していた。
俺はうんざりして言った。「もういいから、降りてきてくれ」
神様のくせに声が聞こえないらしく、オヤジは微妙な笑みをたたえたまま空中を飛び回り続けている。フンドシは完璧に緩み、局部が丸出しだ。
俺は、ぶちキレた。
「降りてこいと言ってるだろうがぁぁぁぁぁぁ」みずからの鼓膜が破れんばかりの大声で怒鳴った。
オヤジははっとして上空から俺に顔を向けた。どうやら、今度は聞こえたらしい。
「おお。すまんすまん」ゆっくりと地上に降りてきた。「どうも何かをやり出すと夢中になってしまうたちでな」
ぺろりと舌を出し、恥ずかし気に頭を掻いた。
こいつは九十九パーセント神様に違いない。――俺の疑念は、ほぼ消え去っていた。
今、目の前にいるオヤジのしたことはどう考えても人間技ではないからだ。少なくとも俺の知っている範囲内では空を飛ぶ奴なんて、ひとりもいない。
しかし、逆に言い替えるとまだこのオヤジを百パーセント神様だと認めたわけでもない。マジックの可能性を捨てきれないからだ。とてもそうは見えなかったが、いちパーセントほどの疑惑は残る。
俺はオヤジにもうひとつ無理難題をふっかけることにした。
「それじゃあ、次は俺を浮き上がらせてくれ。空中浮遊がしたい」
これが出来れば、本物である。俺にはタネも仕掛けもされてない。本人が、いちばんよく分かっている。
「さあ、今すぐ頼む」
「よかろう」
意外にもオヤジは即諾した。少々、ためらったりすると思っていたのだ。
「では、いくぞ」しかつめらしい面持ちである。「心の準備はいいな」
うん、と返事をする前に俺は地上五十メートルほどの位置に達した。それは浮かび上がるというよりも弾丸のように飛び上がったといったほうがいい。なんせその勢いで服は所どころが裂け、あまりの空気圧に俺の顔は一瞬ひしゃげたくらいである。
失禁した。
「ありがとう。うん、もういい。降ろしてくれ」俺は哀願する。
完璧に脱力してしまい、手足をだらりと垂らした状態だ。まるで張りつけにされた死体みたいなもの。なにも、楽しくない。
「聞いているのか。俺をここから」
オヤジは無邪気な笑顔で俺に手を振った。聞えていないのである。
俺は、戦慄した。さぁぁぁと音を立てて顔から血の気が引いていく。
この距離から蚊の鳴くような声が地上に届くわけがない。おそらくオヤジには俺が口をぱくぱく動かしてることぐらいしか確認できないであろう。
だからといって今の俺にはこれが精一杯だ。やばい。
「お次は、例のやつをいくぞ」ラッパのかたちに重ねた両の手を口に当て、オヤジはバカでかい声でそう言った。
「それ」俺に向かって伸ばした腕をぐるんと回す。
その腕の動きに合わせて、俺の体もぐるんと大回転。
「あ、それそれ」オヤジは小躍りしながら腕を振り回しつづける。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」俺はまばたきもせずに空中をマッハの速さで旋回した。
あまりの恐怖に体中の穴という穴がすべて開く。
もうダメだ。死ぬ。――いったい俺は何度死ねばいいのだろう。それにしてもあのオヤジは……。ここは……。
俺の頭の中をさまざまな想いが走馬灯のように駆け巡った。意識が、途切れ途切れになっていく。