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双つ月の夜に

 森の住人が、そろそろ冬ごもりの算段をつけはじめる頃のことでした。

 その日はちょうど〈兄姫月(えひめ)〉と〈弟姫月(おとひめ)〉が連れ立って昇ってくる夜に当たっていて、一日の仕事を終えたカルロ親方が、工房の軒先に引っ張りだした肘掛け椅子にどっしりと大きなお尻を押し込んで、月を肴に煙草を呑んでいました。

 音楽的な柔らかい光が、地上を優しく照らします。どこか温かみを感じさせる月明かりと、負けじと光を放つ星明かりの競争によって創られた影絵の世界に、ぷかぁっと白い煙が立ち昇りました。真ん丸いドーナツ状の煙。それが三つ、五つと連続して上がります。

 ドワーフの画工は茶目っ気たっぷりに目を細め、しばらくの間にんまりと笑いながら紫煙をぷかぷかとくゆらせていましたが、とうとう名残を惜しむように勢いよく吸い込むと、ぷはーっと最後の煙を吐き出しました。

 その時を待っていたように――いえ、実際、待っていたのかも知れません。至って局地的な季節外れの濃霧の向こうから、快闊な声が、カルロ親方に呼びかけました。

「こんばんは、マエストロ。好い月夜だね」

 世界をすっかり包んだかに思われた乳白色の煙を、冬の先触れの木枯らしがさらって行きます。代わって月の下の影法師が、灯火の色彩の世界へと歩み入ってくる。細長く尖った耳朶の無い特徴的な耳が、青年の属する種族を明らかにしていました。カルロ親方にとっては姿を見るまでもなく、声を聞いただけでそれと知れる旧知の人物でした。

「こんばんは、オリヴィエ。いや、まったくもってその通り。実に申し分のない月夜だ」

 知り合いの気安さから、小人の親方はそちらを見るでもなく挨拶します。というのは、煙管から灰を落とし、煙草入れから替えの草を取り出す途中だったからです。

 太く短い無骨な指に似合わぬ繊細な指さばき。鮮やかな手際で一連の動作を済ませると、後はもう火を点けるだけです。改めてカルロ親方は近づいてくる友人へと振り返りました。

「やってしまってから済まんね、もないもんだがどうか無作法を許しとくれよ。それ、お前さんも一服どうか……と、なんだね、その脇に連れとるちびっこいのは?」

 カルロ親方は目を丸くしました。

 斜交いに被ったつば広帽子にゆったりとした枯れ草色の貫頭衣。旅の埃に汚れた外套。履き古しだけれど頑丈で履き心地の好いエルフの革長靴という旅装姿のオリヴィエはいつもの通りでしたが、今日は、それに加えて子供が一人、オマケのようにくっついていました。

 カルロ親方の見たところ、五つか六つくらいの幼子で、どうやらこの子もまたエルフのようでした。

「森の奥で拾ってきました」とオリヴィエが言いました。

 簡潔に過ぎて要点を得ないエルフの説明に、ドワーフは呆れ顔で首を振りました。

「拾った、などとそんな犬猫の仔ではあるまいに、気楽に過ぎるぞ。それにしても驚いた。我輩はてっきりお前さんの隠し子か何かかと思ったぞ」

 最初、カルロ親方は、この気がおけない長年の友人が、どこかで拵えてきた子供なのではなかろうかと考えました。風来坊をもって自任する男が、それを失敗と恥じて、見苦しくも拾ったのなんのと誤魔化しをかけているのではあるまいか、と想像を逞しくしたのです。

 ですが、すぐにそれは自分で打ち消しました。

 目の色、髪の色、顔かたち、はては骨格までを一目で看破する鍛え上げたドワーフ職人の眼力が、両者の血縁関係を雄弁に否定していました。

 親方は自分の見立てを信じることにしました。

 それよりも、親方をびっくりさせたのは、じろじろと観察された子供が取った行動でした。凄まじい速度で――親方に言わせると「猫に追い立てられた鼠が、チーズを抱えて巣穴に逃げ込むのに匹敵する速さ」で自分にとっての安全な巣穴、つまりオリヴィエのマントの後ろに隠れてしまったのです。おまけに、大変に怯えた表情で、発作的にしゃがみ込むと、手で頭を庇うような姿勢をとりました。それは暴力に対する自衛行動だとしか思えません。

「なにも取って食いやせんというのに」

 人見知りというにはいかにも過剰だと思える小エルフの素振りに、カルロ親方はむっとする前にまず衝撃を受けました。所々に繕い痕の残るオンボロ外套を、あたかもそれが、自分を守ってくれる不破の盾か、お伽噺で牛飼いを救った黄金の縄ででもあるかのように、必死の形相でぐっと握り締める子供が哀れでなりませんでした。

「坊主……なのかお嬢ちゃんなのかは知らんが……」

「男の子だよ」

「さようか。この年頃の子供、殊にお前さんたちエルフは男も女も生来華奢で、どうにも性差が薄いゆえ判りづらいな。……いや、そうではないのだ、そうでは。お前さんの子供ではないのは解った、拾ったというのもよしとしよう」

 一つひとつ言葉を吟味するように、カルロ親方は言葉を紡ぎます。

「だが、あの反応はなんだ? いくらなんでも、普通ではないぞ」

 その言葉は、非礼を咎めるというよりも、未だ聞かぬ男の子の身の上に降りかかった災難をいたみ、心配する人のものでした。カルロ親方の態度に、オリヴィエもほっと安心します。

「うん。そこなんだマエストロ。わかってはいたけれど、貴方がそういう人でよかった」

 オリヴィエもまた憂いを含んだ表情で応じながら、腰をかがめて目線を合わせ、努めて優しい表情と声で、自分の後ろに回りこんだ少年を励ましました。

「さあ、出ておいで、坊や。このおじさんは見た目はちょっとおっかないけれど、お兄さんの昔からのお友達でね、とても優しいドワーフさんだからね」

「待て、その言い方には納得がいかん。エルフとドワーフの違いこそあれ、お前さんの方が百だか二百だかの年上だろうが。我輩がおじさんならお前さんもおじさんだし、お前さんがお兄さんなら我輩もお兄さんだ」

「……細かい人だね。そういう大人気ない態度を子供の前で見せるのは教育上よろしくないと思うよ、僕は」

「自分の方こそこすっからい真似をしておいて何を言うか」

 突如として開始された、自分をほったらかしての、大人気ない大人たちのこれまた実に大人気ない口論に、男の子は毒気を抜かれたようでした。その時ばかりは強い恐怖も忘れた様子で、ただただキョトンとした顔を見せます。

「ほら、この子も呆れてるじゃないか。いい大人がそんなことじゃあ、物笑いの種になると僕は思うなあ」

「お前さんに呆れとるんだ、大方は。それになあ、これが笑ったツラか……となんと、信じがたい、本気で笑いかけておるぞ!」

「え、嘘……うわ、ほんとだ」

 何をやっても笑わなかったのに、とオリヴィエは驚いた顔です。

「ふはは、大方、これまでさんざん偉そうにしとったお前さんの馬鹿面に拍子抜けして、笑えてきたんだろうさ。だーが、それではまだまだ甘いな、坊主。こう、お前も男ならば、もっと腹の底から笑わんかあ!」

 カルロ親方は一喝すると、これが見本だとばかりに大声で笑い出しました。それに従ったというわけでもないのでしょうが、子供は突然堰を切ったようにけたたましい笑い声を上げました。それは途中で泣き声に取って代わられこそしましたが、確かに笑い声でした。


 静かな晩秋の夜を粉々に叩き壊したドワーフの高笑いと少年の泣き笑い、それに加えて一拍遅れる形で何故か一緒になって笑い出した旅人エルフ。三者三様の笑い声。不可解かつ唐突に始まった奇妙な合唱も終演を迎えます。

 何時間も笑っていたような気分でしたが、実際にはほんの一分か二分、長くても三分足らずといったところだったでしょう。

 それも既に二時間ほども前のことです。

 苦情を言いにやってきた近隣の住民を適当に説得し、笑い疲れ、泣き疲れ、倒れこむように眠りに落ちた少年を寝床に運んでいる間にそれだけの時間が過ぎていました。

 オリヴィエも服にまとわりついた埃を払い、旅装も解いて、今ではすっかりとくつろいだ格好になっています。

「乾いた舌じゃあ、ろくろく喋るに喋れないよ」

 勝手知ったる他人の家とばかりに、オリヴィエは戸棚から酒瓶とジョッキを二つ取り出すと、話の初めの気つけの代わりか、手酌でやりはじめました。長年の経験から何を言っても無駄だと悟りきっているカルロ親方が、徒労に終わることが明白な、無意味な注文をつけることは最早ありません。ただ黙って自分に用意されたジョッキを手に「注げ」と無言の要求を入れるだけです。あとは酒泥棒のするに任せます。

「さて、マエストロ」

「なんだ」

「そりゃあ、ありがたいしー、意図も解るんだけどさー、もうちょっとやりかたなり、タイミングなりってものがあったんじゃない? あと、事前に相談して欲しいかなあーって。やっぱり、こっちにも心の準備っていうものがあるしさ」

 舌を滑らす潤滑油に、軽くジョッキ二杯分の酒を乾したところで、あれでは自分が馬鹿のようではないか、とオリヴィエが冗談まじりに文句をつけました。カルロ親方はそんなエルフを鼻で笑いました。

「ふんっ。いきなり手紙も入れずに押しかけて来た輩が何を偉そうに言うか。……それにな、初対面の我輩でも解るくらいにあの坊主、悲哀かはたまた辛苦か、溜め込んだ激情に、心が壊れかけとったぞ?」

「……うん」

 オリヴィエは肯定します。

「多少の荒療治なのは間違いないが、強ばった心をほぐすには、衝撃を与えて笑わせてやるのが一番だ。数多ある感情の中でも一等強いのは『笑い』だからな。心を揺さぶって、堰を決壊させてやれば、笑いと一緒に悲しみも流れ出す……っと、待たんか! 馬鹿者! これはそんなにカパカパと空けるような類の酒ではないぞ」

 既に三分の一にまで減った酒瓶をひったくると、この世の終わりを幻視した苦行者の形相とても、これほどではあるまいと思わせる、絶望感と悲壮感、悲哀に満ち溢れたなんとも言えない表情で嘆きました。

「あはは。マエストロ、悲しいときこそ笑わなきゃ」

「くー……。意趣返しのつもりか、この酔っ払いめが。ええい、お前さんに飲まれちまうくらいなら、この場で我輩が全部飲み干してくれるわ!」

 そう叫ぶと、カルロ親方は半ばヤケッパチの形相で、瓶口に直接口をつける、いわゆるラッパ飲みで酒を飲み始めました。ごくごくと喉を鳴らし、息継ぎもなしに飲み干すと、ダンっと瓶を叩きつけるように卓上に置き、右手の甲と親指で唇についた雫を拭います。

「使う?」

「いらん。あー、畜生め、実に美味い、まったく美味い、美味すぎてかえって腹が立ってくるくらい美味い」

 エルフの差し出す手ふきの布を断ると、ドワーフは嬉しいような、悲しいような複雑な感情で呟きました。

「マエストロこそ、お酒を味わってないと、僕思うなあ」

「黙らっしゃい。お前さんに全部飲まれるよりはマシだ」

 カルロ親方がそう断言すると、オリヴィエは白けたような表情を浮かべました。しばらくの間、妙な沈黙の中で男二人、目を見合わせていましたが、やがて、どちらからともなくゲラゲラと笑い出しました。そして、ひとしきり笑った後には、また沈黙が残りました。直前のそれとは少し性質が異なります。どれくらいか経って、ポツリ、とオリヴィエが囁くように語り始めました。

「あの子はね、心を閉ざしてしまってるんだよ」

「ふむ」

 肯いて、続きを促します。

「どうも、ね。エルフ以外の種族がもう恐ろしくて恐ろしくて仕方がないらしいんだ。いや、違うね、あの子を拾った僕以外は怖い、かな? それにしたって完全に心を開いてくれたようにも思えないんだけれどね」

「ほう、ご自慢の話術に美貌も、傷心の少年をたらしこむにはいたらんか、色男(アドニス)

「マエストロ」

 冗談ごとではないだと眉をひそめ、声に非難の色を乗せました。

「おっと、こいつはどうにも口が過ぎたな。だが、お前さんも知ってのとおり、黒いユーモアをたしなむのは我輩の生来の性。悪気はないのだ、これこの通り」

 許してくれと両手を挙げます。

「それで、アルカダンのオリヴィエさんよ。お前さん、あの坊主を森で拾ったと言ったな?」

「うん。そう、森の奥のエルフ族の開拓村……正確にはその跡地でね」

「開拓村の跡地だと?」

 跡地というのがどうにも不吉な響きを伴っていました。

「うん、跡地。半月くらい前かな、ちょうど刈り入れも終わって、収穫祭が行われる時季だね。マエストロも知っての通り、僕みたいな芸人まがいの旅人にとっては、お祭りっていうのは飯の種、稼ぎ時だからさ、意気揚々と足を運んだってわけ。ところが、誰もいないんだ。あっ、途方にくれてる同業者とあの子を除いてって意味ね」

「村を挙げての引越し……なわけがないな。流行り病か、それとも野盗か?」

 硬い声で尋ねるカルロ親方に、忌み言葉を声に出すのを憚るように、一瞬オリヴィエは口ごもりました。

「……たぶん、バガブー」

 やがて、絞り出すように囁かれたオリヴィエの言葉に、親方は聞きたくもない名前を聞いたとばかりに盛大に顔をしかめると、発作的に口汚い罵りの言葉を上げました。

「あの汚らわしい餓鬼どもか!」

 そうです。あのバグスやバグベアなどとも呼ばれる恐ろしい怪物たちです。

 カルロ親方はしばらく唇の下で呪いの文句をもごもご呟いた後、穢れを除く事を目的として、〈精霊王〉へ祈りの言葉を捧げました。

「すまん、続けてくれ」

「うん。あの子の証言が唯一なんだけどね、状況証拠からもバガブーの仕業だと思うよ」

 ただの野盗ならば集落を一個全滅させるような馬鹿な真似をそうそう行うはずがありません。滅ぼしてしまっては将来的な収益に差し支えますし、そうでなくても、下手に大量虐殺など仕出かして無闇と目立てば、真っ先に討伐の対象にされかねません。

「その点彼奴らは我輩たち人類の法に縛られる存在ではないし、目先の利益には実に貪欲だ……それこそ田畑に群がるイナゴのようにな」

「おまけに狡猾だ」

 こりもせず新しく持ち出してきた酒瓶を空ける手を止めて、オリヴィエが肯きます。

「刈り入れの完了を見計らって、包囲し、一人残らず――正確にはあの子が一人残ったわけだけれど、それ以外はもれなく殺している。彼らが残虐だと言えばそれまでだけど、むしろ情報が漏れるのを食い止めるための時間稼ぎだろうね」

 そして、その間にさっさと逃げ出した。現にオリヴィエたちは当の開拓村を訪れるまで、集落に襲い掛かった過酷な運命を知らず、周囲には凶事の影すらなかったのです。

「こんな凶悪な事件を僕はまったく知らなかったよ。食料になりそうな物は麦の粒一つ残さず。鍬、鋤、包丁、匙に釘、鎖や蹄鉄、会堂の鐘にいたるまで、目ぼしい金属類もあらかた奪い去られてたっていうのにね」

 酒に溶けきらなかった疲れの塊りを吐き出すようにして、はあっと大きな溜め息。

「さっきも言ったけどさ、その時、同業者が何人かいたんだよ。それで、皆で話し合った末決めたんだ。その場に野ざらしにしておいて、獣に食い散らかされるのは、流石に忍びない。お墓を、土饅頭でも良いから、せめて作って弔おうってね。まあねー、ただの自己満足に過ぎないのは重々承知の上なんだけど、ホント、僕たち旅人なんて、どこで死ぬか知れたもんじゃないからさ……そのまま捨て置くってわけにはどうしてもいかないわけ」

 オリヴィエは自嘲するように顔を歪めました。

「同業者の中に、わざわざ寺院から洗礼台帳まで引っ張り出してきた人がいたんだけど、今回はそれが効を奏したよ。遺体の数と台帳記載の人数が合わないんだもん。それで、慌てて皆で村中を探し回ったらさ」

「唯一の生き残り、つまりあの坊主を見つけたと?」

「そう。あの子は実に巧妙に隠れていたよ。あの子が自分でやったのか、それとも大人たちがやったのかは判らないけれど……その辺を喋ってくれないし、無理に聞くのも辛くてね」

 いつにないオリヴィエの疲れたような口調に、カルロ親方はその状況の悲惨さを思い知らされるような気分でした。

「身体中に血を塗りたくって死体の山の中に潜んでたんだよ」

「……そいつはまた、なんと言ったら良いものか、言葉に困るな」

「うん、まったくね」

「それで、放っておくわけにもいかん、とお前さんが連れて帰ったわけか」

「帰らないわけにも行かない理由があってさ。というのも、一緒にあの子を引っ張りだした獣人のお兄さんを見た途端、凄まじい勢いで暴れだしてね、そりゃあ、凄かったよ、いきり立った野生のサルかイタチでも見てるような暴れっぷりだった」

 思い出したように苦笑いを浮かべました。

「そりゃあ、その兄ちゃんも災難にな、妖怪どもと同じ扱いとは」

 バガブーは毛むくじゃらの熊のような姿をしていると言われています。

「というよりも、あの子、たまに訪れる旅芸人や行商人以外で異種族を見たことがなかったんじゃないかな」

「なるほど、ありうるな」

 さもあらんと大きく肯くと「それで」とカルロ親方はこれからについて質しました。

「どうするのだ、お前さんがあの坊主を育てるのか?」

「うん……それなんだけど。もう一度言うけどさ、あの子はエルフ以外の種族を怖がってる節があるんだ。このままどこか大きなエルフの集落に連れて行って里親を探すことも考えたんだけどね、そうすると恐怖症は治らないんじゃないかと思うんだ」

「かもしれんな」

「だからといって、僕みたいな住所不定で年中放浪しているような生活が、子供の教育に良いとはとても思えません」

「待て、お前さんの言いたいことはなんとなく解ってきたが、異種族と言えば我輩もその異種族なわけだが、どうしろと言うのだ?」

「マエストロだったら大丈夫だって、僕信じてる」

 しれっとそんなことを言うエルフの態度にドワーフは、苦虫を五匹ばかり噛み潰したような渋面を作りました。

「お前さんが誠心誠意に信じていようが、不信がっていようが、あの坊主がどう思うかは知れたもんじゃないだろうが。第一、我輩の意思はどうなる」

「マエストロがあんな話を聞かされて、子供を見捨てられるわけがないじゃないか」

「……昔っから知ってはおったが、改めて見せつけてくれるな。ロクデナシめが。子供の頃におふくろさんから、最後まで面倒を見るように、と叱られたことはないかね?」

「数え切れないくらいに」

 悪びれるでもなくそんなことを言います。

 しかし、ふと真面目な顔を作ると、神妙な声でオリヴィエは語りました。

「それにね、心を閉ざしているというのは何も異種族に対してそう、ってだけでもないんだよ。あの子……〈精霊〉に対するチャンネルを閉ざしてしまってるんだ」

「む?」

「これが事件の後遺症でそうなったのか、それとも生まれつきそうなのかまでは判らないけれど、ともあれ〈魔法〉に対する感受性が異常に鈍いんだよ。不思議には思ったんだ。森を抜ける時、子供とはいえあまりにもよく転ぶから。最初は精神的にまいってるから、それで注意が疎かになってるだけかとも思ったんだけれど、じきにどうもそうじゃないらしいって気づいた。でも、やっぱりそれがどうしてかはなかなか分からなかった――だって、想像すらしたことがなかったからね! 理解した時は愕然としたよ。この子、〈木霊〉や〈風の声〉が聞こえてないんだってね!」

 少年が属するのは、生来〈魔法〉と非常に近しいエルフの一族であるというのにです。

「なんとまあ……それはつまり、我輩たちドワーフに生来備わるこの〈巧の手〉が満足に働かず、歌えない人魚、空を飛べない飛天や鳥人のようなもんだな?」

 慨嘆し、思案をめぐらせた末に、そんな比喩を持ち出します。それでは、もはや別の種族に等しいではないか。呼吸をするように〈魔法〉を用いるエルフの中で暮らしていくのは難しいだろうということは、部外者にもなんとなくわかりました。

「心の壁自体はね、成長とともに崩れていくとは思うんだ。いや、崩れるっていうのはちょっと違うな。壁はそのままだけど、あの子の背が高くなって、外を見られるようになるって喩えようか」

 オリヴィエは笑いました。

「僕たちエルフの寿命は長いからね、その分良くも悪くも苦しいことや辛いことに耐える力は強い――鈍いとも言うけどね、そうじゃないと千歳の生は鈍い悲しみに塗りこめられ、重い悩みに魂が押しつぶされてしまうからね」

 実際に、彼自身、その長い人生の中で幾度も辛く悲しい出来事を体験してきたのでしょう。

「オリヴィエ」

 このような時に、カルロ親方は目の前のエルフが自分よりも遥かに年長者であることを思い知らされるのです。そして、年若いはずの自分がこの友人より先に死ぬであろう事を思うと無性に寂しく思われます。

 オリヴィエも少ししんみりとした様子でした。

「まあ、そんなことで多少の偏屈はあったとしても、大人になる頃には治っていると期待はできるよ。けれども、それは同時にあの子が〈魔法〉を極めるのは恐らく無理だろう、ということを残酷なまでに知らせてくれる」

 壁自体は依然として残っているのですから。

「鉄は熱いうちに打たねばならぬ。だと言うのに、肝心のこの鉄はいくら熱しても柔らかくなってくれんのか」

「そういうことだね。けれども、僕はこれを逆にチャンスに変えられると思うんだ」

「ほう?」

「僕も含めてエルフっていうのは、無意識のうちにあらゆる場所で先天的な〈魔法〉の力に頼っている。そのせいで、ついつい自分自身の〈技巧〉を磨くことをおろそかにしがちなんだけれど、あの子にはその〈魔法〉が無いんだ、その分、今から鍛え上げれば優秀な職人になれると思う。そして、僕が知るなかで一番の技を持つのがマエストロ、貴方だ」

 カルロ親方は苦笑いを浮かべました、また随分と持ち上げてくれるものです。

「そういうのはお節介、というのだが、オリヴィエ、とりあえずお前さんの言い分は解った。あの坊主を我輩の徒弟にしてくれ、というのだな?」

「頼める?」

「坊主が納得するかは知らんが……まあ、引き受けよう」

 ドワーフは笑いました。どうせ、そろそろ徒弟の一人も引き受けないことには格好がつかないと思っていたところです。それがエルフだというのは少しばかり風変わりでしたが、そんなこともあるだろうと思いました。

「いったん徒弟としたからには、このカルロ・ブオナローティの持てる技の全てをあの坊主――そういえば、まだ名前を聞いておらんかったな、とまれ我輩の新たな弟子に、〈技巧〉のなんたるかを叩き込んでくれよう」

 そう言うと、カルロ親方はジョッキを掲げました。オリヴィエもそれに応じます。

「僕たちの永い友情に――」

「そして、あの坊主の前途に――」

 二人は交互に言い合い、二つのジョッキを交差させました。

「「乾杯!」」

連作短編を構想中。ただシリーズタイトルが未定なのと、一応の構想こそあるものの、この後どうなるかが分からないのであります。

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