表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

婚約破棄の夜会で契約印を解いたら、冷徹公爵に溺愛されました

作者: 夢見叶
掲載日:2026/02/14

 シャンデリアの光が、夜会の床に宝石みたいな模様を落としていた。


「シャルロッテ。婚約は破棄する」


 音楽の切れ目に、ルートヴィヒ・フォン・ローテンベルクが言った。

 わざと、周囲の耳に入る声量で。


 侯爵令嬢シャルロッテは、扇を閉じて微笑んだ。

 胸の奥が冷えるのに、表情だけは静かに整う。


「承知いたしました。——理由を伺っても?」


「君は地味だ。華がない。辺境伯家には、もっと見映えのする妻が必要だ」

 彼は隣に立つ令嬢を示した。

「イゾルデ・クライン嬢だ。魔力も強く、皆の目を引く」


 イゾルデが得意げに微笑む。

 ドレスが魔力で淡く輝き、周囲から感嘆の声が上がった。


 シャルロッテは、ゆっくり頷いた。


「では、契約を解きましょう」


「……契約?」

 ルートヴィヒが眉をひそめる。

「婚約だ。言葉だけで済む話だろう」


 シャルロッテは左手の甲へ指先を添えた。

 婚約の証《契約印》が、薄く光る。


「皆さまの前で解きます。後から『聞いていない』と言われるのは困りますから」


 小さな囁きが広がる。


「シャルロッテ、何を——」


「婚約解除には条項がございます」

 扇の先で空をなぞると、淡い文字列が浮かんだ。


「第一条。名誉を損なう形での解消を行った場合、損害の補填は宣言者が負担」

「第二条。引継ぎ妨害には追加の違約」


 ルートヴィヒの顔色が変わる。


「あなたが署名しました」

 シャルロッテは、にこりとした。

「——契約印、解除」


 印がほどけ、光が消える。

 空中の条項に確定の線が走り、会場がざわめいた。


「引継ぎは三日後。外交文書の作成履歴、取引契約の控え、人脈整理、領地帳簿の運用手順」

「……雑務だろ」

 ルートヴィヒが、苦し紛れに吐き捨てる。


 シャルロッテは笑みを崩さない。

「ええ。あなたが雑務と呼んだものです」


 胸の奥が痛い。

 けれど、ここで折れれば、七年が地味な失敗になる。


「今後、私の名を使った命令や署名は無効です。偽造があれば——契約印が証拠を残します」


 ルートヴィヒは一瞬だけ目を逸らした。

 嫌な予感が、確信に変わる。


 シャルロッテは一礼し、会場を離れた。



 部屋の鍵を閉めた瞬間、膝が崩れた。


 七年。

 十二歳で婚約が決まり、彼のために学んだ六カ国語。

 条約文の癖、貴族の面子、商人の算段。

 全部、彼の領地が困らないように。


「……地味で、華がない」


 涙が落ちる前に、母の声がよぎった。


 ——誇りを持ちなさい。自分を貶めてはいけない。


 シャルロッテは頬を拭った。

「泣くのは今夜だけ」



 三日後。

 引継ぎの使者が来た。


 だが書類は途中で破られ、封蝋がすり替えられていた。

 町では噂が走る。


『シャルロッテは帳簿を弄り、金を抜いたらしい』


 ——来た。


 怒りが静かに燃える。

 泣くのは終わった。次は、証拠だ。


 その日の午後、王城から召喚状が届いた。

 差出人は、王家監察卿。


 エーベルハルト公爵マクシミリアン・フォン・エーベルハルト。


『君の名が汚されるのを、見過ごす気はない』



 監察室は、静かすぎるほど整っていた。

 黒髪の男が机の前に立っている。


「シャルロッテ・ヴェルナー嬢。来てくれたな」


「お呼びいただき、光栄です。……ですが私は今、疑いを——」


「疑いではない。噂だ」

 マクシミリアンは紙束を一枚、机に滑らせた。

「横領の告発状。出所はローテンベルク家の執事」


 胸が、きゅっと縮む。


「君に聞く。帳簿は君が管理していたか」


「はい。正確には、私が仕組みを作り、運用を整えました」


「では、その仕組みで噂が嘘だと証明できるか」


 試されている。

 けれど、これは得意分野だ。


「できます」


 告発状の数字は雑だ。抜き方が素人の嘘。


「この告発は帳簿の合計しか見ていません。運用記録がありません」

「運用記録?」


「毎月の締め日に、触れた順と封蝋の印影が残ります。私は封蝋を《契約印》で記録する仕組みにしました」


 淡い光の糸が机に走る。派手ではない。

 だが、嘘を殺すには十分だ。


「この月——封蝋の印影が違います。担当者が私ではない」


 マクシミリアンが、初めて眉を動かした。


「やはり、君は見た通りだ」

「見た通り……?」


「半年前。条約締結の控室で、君が外交官の草案に赤を入れていた」

「通訳がいなくて。誤訳が致命的でしたから」


「君が直した一文で、隣国の要求は半分に落ちた」

 淡々と事実を言う。

「派手な魔力より国を救うのは、そういう地味だ」


 胸が熱くなる。

 同時に、怖くもなる。


 ——この人は、私を国益として見るだけ?


 マクシミリアンが紙を一枚取り出した。

「提案がある。君の名誉を守るため、俺と契約婚を結べ」


「……契約、婚?」


「期限は一年。形式上の夫婦でいい。ローテンベルク家が君に触れられないよう、俺の名を貸す」

 視線が真っ直ぐ刺さる。

「その代わり、監察業務を補助してほしい」


 政略。取引。

 また、利用されるの?


 喉が詰まる。

 だが一人で戦うには、相手が汚すぎる。


「……条件を確認しても?」


「もちろんだ。契約は公平にする。君が不利になる条項は入れない」


 契約文は簡潔で、解消条項もきちんとある。

 逃げ道を残す書き方。


 ——怖いだけの男じゃない。


「お受けします」


 署名の瞬間、《契約印》が新しい形で結ばれた。

 契約なのに、胸のどこかが軽い。



 一週間後、王城の小会議。


 ルートヴィヒが呼ばれ、告発状について問われた。

 平静を装うが、視線が落ち着かない。


「告発の根拠は?」とマクシミリアン。

「帳簿の合計が合わない。抜かれていると判断した」


「では、運用記録を見せろ」


「……運用、記録?」

 ルートヴィヒが詰まる。


 シャルロッテは口を挟まない。

 机の上に偽造された封蝋を置いた。


 マクシミリアンが指を鳴らす。

 《真実の灯》が灯り、封蝋の表面から薄い文字が浮かぶ。


『ローテンベルク家執事 署名:——(偽)』


 会議室が凍る。


「契約印の記録と一致しない。偽造だ。誰が作った」


 ルートヴィヒが唇を噛む。

 逃げ道は、まだある。


 だが焦りが勝った。


「シャルロッテだ! 彼女ならできる! いつも帳簿を——」


 シャルロッテは扇を閉じた。


「私が作れない証拠が一つございます」

「何を——」


「この封蝋に付いた指紋の油分。私は監察卿の指示で薬品を扱っております」

 静かに言う。

「油分が違います。私の手ではない」


 沈黙。

 そして、ざわり。


「つまり君は噂で人を殺そうとした」

 マクシミリアンの声が冷える。

「婚約破棄の場で条項を確定させた相手に、だ」


 ルートヴィヒの顔が青ざめる。


「結論だ」

 マクシミリアンが立ち上がる。

「ローテンベルク辺境伯、王城出入りを三ヶ月停止。監査が終わるまで権限を制限する」


 社交界にとっては致命傷。


 ルートヴィヒは呻く。

「……イゾルデが派手で、皆が……俺は、見栄が——」


 自白。

 自分で扉を閉めた。


 シャルロッテは、ようやく息を吐いた。

 地味な証拠で、地味に、確実に倒す。

 それが私のざまぁだ。



 帰りの廊下で、シャルロッテは足を止めた。


「……助けてくださり、ありがとうございました。ですが私は」

 言葉が震える。

「便利だから選ばれただけなら……また、私は折れてしまう気がします」


 マクシミリアンは一拍置いた。

 怒るのではなく、噛み砕くように言う。


「便利なら、ここまで手間はかけない」


「……え」


「君が汚されるのを、俺が嫌だった」

 短い言葉なのに、胸の奥に落ちる。

「俺の都合だ。君のせいじゃない」


 ——都合、でも。

 その都合が、私を守ってくれた。



 半年後。

 エーベルハルト公爵領は落ち着きを取り戻し、帳簿は透明になった。

 派手な変化はない。

 けれど領民の表情が明るい。


 王都の夜会。

 シャルロッテは控えめなドレスを選んだ。


「地味だと言われるぞ」

 マクシミリアンが、手袋越しに指を絡める。


「地味で結構です」

 シャルロッテは笑った。

「私は地味で守れますから」


 彼の口元が僅かに緩む。


 会場で、影のように近づく男がいた。


「シャルロッテ」


 ルートヴィヒ。

 頬がこけ、目の下に濃い影。

 隣のイゾルデは苛立ちを隠さない。


「……ローテンベルク辺境伯」


 呼び方を戻さない。

 それだけで彼は刺された顔をした。


「頼む。戻ってくれ」

 声が震える。

「君がいないと何も回らない。契約も外交も、全部——」


「今なら分かるんだ! 君のやっていたことが、どれだけ——」


 シャルロッテは静かに微笑んだ。


「七年、私はあなたのために尽くしました」

「そうだ、だから——」


「でもあなたは、それを雑務と呼びました」

 柔らかい声で、刃を入れる。


「……違う。あれは、あの時は——」


 シャルロッテは一歩、距離を取る。

 扇を閉じる音を、はっきり響かせた。


「私はもう、公爵夫人です」

「……!」


 泣かなかった私の、最後の区切り。


「もう、遅いのです」


 ルートヴィヒが言い返そうとした瞬間。

 マクシミリアンが、シャルロッテを自分の側へ引き寄せた。


「俺の妻に近づくな」


 低い声で会場が凍る。


「お前は……契約だからだろう? 形式の——」

 ルートヴィヒが縋る。


「違う」

 マクシミリアンは即答した。


 そして皆に見える高さで、彼女の手に指先を重ねた。

 《契約印》が淡く光る。

 ——契約の印ではない。誓約の印だ。


「俺は契約の前から決めていた」

 冷たいはずの声が、熱を帯びる。

「君の才も、君の誇りも、君の沈黙も。全部、俺のものにする」


 シャルロッテの呼吸が止まった。


「逃げ道は残した。だが今夜は残さない」

 囁きが、耳だけを焼く。

「君が望むなら、契約を終わらせて本物にする」


 胸がいっぱいで、言葉は出ない。

 だから、頷いた。


 マクシミリアンは会場に向けて言う。


「本日をもって、我が妻シャルロッテとの契約婚は終了する」

「以降は誓約だ。——俺が生涯、守る」


 貴族たちが息を呑む。

 遅れて拍手が起こった。


 ルートヴィヒは、その拍手の中で立ち尽くす。

 自分が捨てたものの価値を、世界に示されながら。



 帰りの馬車で、シャルロッテは小さく笑った。


「……私、また裏切られるのが怖かったんです」


「知っている」

 マクシミリアンが答える。


「だから契約にした。君が逃げられるように」

 少しだけ、不器用に付け足す。

「……逃げる必要がなくなるまで、俺が待つつもりだった」


 優しい言い方が、痛いくらいに胸に染みた。


「もう逃げません」

 シャルロッテは見つめ返す。

「誇りを持て、と母が言いました。私は、私の価値を信じます」


「なら、俺が証明し続ける」


 マクシミリアンが、彼女の手の甲をそっと包む。


「地味で、結構だ」

「君は目立たずに世界を動かす」

「そんな君を——俺は一番目立つ場所で愛する」


 シャルロッテは、涙が出そうになって笑った。

 今度の涙は、痛みじゃない。


「……はい」

「ずっと、一緒に」


 窓の外の月明かりが流れ、二人の手の上で《誓約印》が静かに光っていた。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

「地味」を武器にする逆転が刺さったら、ブクマ&評価で応援して頂けると励みになります。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ