第三話 名もなきもの ―残酷で優しいこの世界で―
「ごめんね、ごめんね、ごめんね。」
小さな手が悲しそうに、何度も何度もそう言いながら僕の頭を撫でた。
そして、僕を元いた場所に戻すと……いなくなった。
あの頃の僕はまだ小さくて、何を言われているのか全く分からなかった。
でも今ならちゃんと分かる。
あれは、仕方のないことだったんだ。
だから謝らないで。
僕は君に感謝しているんだから。
僕には、最初たくさんの兄弟がいた。
まだ目は見えていなくて、匂いで暖かいフニャフニャしたものを探り当てて、それにしゃぶりついたのが一番初めの記憶だ。
あれはとびきり甘くておいしかった。
今思い出しても、勝手によだれが出るから本当に困る。
思えば、あの時がいちばん幸せだった。
いつもお腹いっぱい食べられて、みんなでかたまれば安心してぐっすり眠れたんだ。
ある日、遊び疲れて昼寝をしていた僕たちは、いきなり小さな箱にギュッと詰められた。
突然のことで、僕たちは意味が分からなくて怖くて鳴いた。
鳴いて、鳴いて、声が枯れるまで泣いた。
でもどれだけ泣いても、箱のふたが開くことはなかった。
どれくらい経ったんだろう。
真っ暗な箱の中で、キラキラと光る六つの目。
この中で、僕がいちばん大きい。
僕はお兄ちゃんなんだから、弟妹たちを守らなきゃ。
ここはどこ?
僕は勇気を振り絞って、箱のふたを押し上げ、鼻先を出した。
外は嗅いだことのない匂いでいっぱいで、僕は本能的に「ここから出るのは危ない」と感じた。
箱の中には、少しだけご飯があった。
僕たちはそれを分け合って食べた。
量は全然足りなかったけど、僕はお兄ちゃんだから一番我慢した。
少しお腹が満たされると、眠くなった。
疲れ切っていた僕たちは、身を寄せ合って体温を分け合い、震えながら眠った。
箱の隙間から、明るい光が差した。
僕は一生懸命背伸びして、ふたを開けた。
青い四角。
初めて見た綺麗なそれに、僕は見惚れた。
暗いのが二回来て、一番小さな弟が動かなくなった。
三回目で、僕より少し小さい妹たちが丸くなった。
いつの間にか、僕のまわりの音が四角い青へと消えていった。
どうして?
どうして?
どうして?
僕は、動かなくなった弟妹たちを舐めた。
僕には、なぜこんなことになったのか分からなかった。
そして、何もできない自分に腹が立った。悔しかった。
でも、どんなに悔しくても、もう鳴くことができなかった。
寒さも感じず、お腹もすかず、息をするのも面倒になった。
何もかも諦めて、僕はそっと目を閉じた。
しかし。
そんな僕に、小さな手が差し伸べられた。
僕をやさしく包み、箱から出して、頭を撫でてくれた。
久しぶりのぬくもりに、僕は力を振り絞って小さく鳴いた。
その手は、僕にあたたかくて甘いものを少しずつ、根気よく飲ませてくれた。
それは、僕の最初の記憶にある、にぎやかで幸せな味がした。
ありがとう。僕を助けてくれて。
もう少し待ってね。元気になったら、絶対に君にお礼をするから。
ああ、どうして?
ちゃんと開いてよ、僕の目。君の顔が見たいのに。
でも、幸せは続かなかった。
小さな手は、僕を冷たい箱の中に戻した。
ひとかたまりになった弟妹たちから、嗅いだことのない変な臭いがした。
僕は、暗いのが来る前に箱から飛び出した。
前はあんなに箱の外が怖かったのに、今は箱の中のほうが怖かった。
おいしいものは、だいたい大きな灰色の箱や、黄色いネットの中にあった。
たまに黒くて空を飛ぶイヤなやつとご飯を取り合いになったけど、勝てばたくさん食べられて、力が出た。
僕の体はどんどん大きくなった。
外の世界には、ワクワクするものがたくさんあった。
黒いヤツも、暗いのも、お腹がすくのも、もう怖くない。
僕は強くなった。
このところ、僕は「人間」に追い回されている。
最初はびっくりした。
どうして僕に嫌がらせをするんだろう?
だって、僕は知っているよ。
あの時、僕を助けてくれたのが、人間の子どもだということを。
僕は人間が好きだ。
人間は自分勝手で残酷なときもあるけど、本当はあったかくて優しい。
だから、僕は人間が大好きだ。
「先輩、この子は……。」
「ったく、これで何匹目だ?
ブームが来れば後先考えずに産ませて、ブームが去れば簡単に捨てる……。
はぁ、可哀そうだが、ここまで大きいと貰い手は……。」
僕を狭い場所へ閉じ込めた人間は、僕を見下ろしてそう言った。
ほら、やっぱり人間は優しい。
ここでは何もしなくても、人間がご飯をくれる。
仲間もたくさんいて、にぎやかで、あたたかい。
まるで、弟妹たちと一緒にいたころみたいだ……。
ご飯を食べたら、あそこにいる、青い目の可愛い子に声をかけてみようかな。
僕は、はやる気持ちを抑えて、いつもと違う、少し苦い味のするご飯を大急ぎで飲み込んだ。
この物語を元に楽曲を作成しましたので、良かったら聞いてみてください。
YouTubeで、
ARISATO ステアバック
と、検索してみてください。
https://youtu.be/vMPw8RZL55U
こちらを、コピペしても飛べます。よろしくお願いいたします。




