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第一話 安藤千代子 ―黙して生きた者の記憶―

この作品は、実際の証言をもとにしたフィクションです。

(性暴力描写、戦争エピソードを含みます。苦手な方はご注意ください。)



 その手の話をニュースで見るたびに、私の中に言い表しがたい怒りや悲しみ、そして情けないことに妬ましさまでが湧き上がり、抑え込んできた過去が容赦なく襲いかかってきた。


 私は歳を取った。


 身体のあちこちにガタがきたせいか、少しのことで動揺し、気持ちが揺さぶられると弱くなった心臓が酷く痛む。


(ああ…いつまで。いつまで耐えなきゃならないの。……どうして私ばっかり。)


 テレビ画面に映る今回の騒動の発端となった『座位した少女の銅像』を、私は慟哭を抑えながら見つめ、それから瞼を閉じた。





 心もとないロウソクの橙色の明かりにチロチロと照らされた部屋。

 女物の長襦袢や古びた着物を継ぎ接ぎした朱や紫の、安っぽい煎餅布団が冷たい床に何枚も並んでいた。


 その上に座るのは、同じ派手な色のひとえを身に纏った、年齢様々な女たちだった。



(またこの夢。嫌!もう沢山!!いい加減にして!!)



『@!y^えshdjっd&え?あm^#tj!#%^!!』


 意味の分からない言葉を叫びながら、白い肌の大男達が千鳥足で部屋に雪崩れ込む。好色に頬を染めた男達は、震えて下を向く女たちの前に座ると、その顔を無理やり上を向かせ、ひとりずつ物色していく。


 そして気に入った女が見つかると、その腰紐に手をかけ、その体の上に覆い被さった。


『wち2%&s?4うさ??ハハハッ!!』


 私の前にも熊のような男が現れ、その青い瞳をギラつかせ、酒臭い息を私の顔に吹きかけて乱暴に私を押し倒した。


 強引で容赦のない毛の生えた大きな手が私の体をまさぐる。私はただ、事が過ぎ去るのをじっと抵抗せずに待った。


 ぼんやりとした私の目線の先には低く暗い天井。灯されたロウソクの明かりが、今まさに私と同じ目に遭っている女たちの長い影をユラユラと映し出していた。


 野獣のような息遣いに混じって、呻き声や泣き声、それに微かに混じる嬌声。


 痛みは私の冷えた心には届かなかった。ただ、つうっと冷たい涙が頬を伝い、耳たぶの裏に落ちた。


 私の上に乗る鬼は容赦なく私を揺さぶり、満足するまで何度も私の中を出入りした。ぬめる股が気味悪くてたまらなかった。


 男の臭い口から顔をそむけた私は、隣に私よりもっと幼い少女がいることに初めて気がついた。少女の上にも、私と同じ鬼が乗っている。


 ロウソクの乏しい灯りに照らされた少女の虚ろな目に映る自分を見て、私は何だか可笑しくなった。




 旧開拓団がソ連兵に見つかったのは、港まであと数里のところだった。もう少しで国境だと皆の気が緩んだ矢先のことだった。


 いくつもの村が合流して大きくなった集団は、ここへ来るまでに何度かソ連兵に見つかり、そのたびに持っていた貴重品を渡して見逃してもらっていた。


 しかし今は、目ぼしいものはほとんど残っていない。食べ物さえ底をつき、ここへ来るまでに赤子や幼子、老人……弱い者から順に飢えて死んでいった。


 卑屈な笑みを浮かべる兵たちの前で、何も持たない私たちは土下座して命乞いをした。


 と、兵の一人がまとめ役に片言の日本語で告げた。


「ナグサミモノヨコセ。」


 それが何を意味するのか、おぼこな私でも分かった。


 選ばれたのは、夫や許嫁のいない女たち。私のような生娘も多かった。


「何故私たちが!」と誰かが叫べば、「私たちは貴女たちと違って夫に操を立てなければいけないの!」と、同じ女である仲間たちから責め立てられた。




 朝になり、仲間の元へ戻った私たちは、そこで何があったのか堅く口を噤んだ。仲間たちは何も言わなかったが、その目付きは明らかに前とは違っていた。



 高熱が続く中、引き揚げ船に乗り、やっとの思いで辿り着いた故郷で、私は事情を知った家族から後ろ指を差された。


 一緒に帰郷した幼馴染は、程なくして隣村の女性と結婚した。

 彼は心根の優しい青年で、子供のころからお互いになんとなく将来を意識していた相手でもあった。

 家族の中で私だけ、その祝言に呼んでもらえなかった。




「生きるためには仕方のない事だった。何もかも時代のせいだ。忘れた方がいい。」


 訳知り顔で、親切心から、同情を込めて……、そう私に言ってくる者たちがいる。


 あんな目にあった私たちのおかげで今のお前たちがあるのに、どうしてそんなことを言われなきゃならない!!


 物陰から、無邪気に笑う幸せそうな村の連中を見ていると、何もかもぶち壊したい衝動に駆られた。

 しかし結局、私は何も言えずに逃げ帰った。





 どれほど生きるのが辛くても、生き残った私には自ら死を選ぶ権利はなかった。

 何があっても私はしぶとく生き続けなければならない。


 口を閉ざして誰にも知られないように耐えて、私はこの歳までしがみついて生きてきた。




 それに比べ、ブラウン管の向こうの彼女たちは熱狂に包まれ、広く世間に知られ守られている。


「私の人生は、何だったんだろうね……。」


 あの時と同じ、暗くて低い天井を一人で見つめながら、私は再びゆっくりと目を閉じた。


※この物語には曲があります。

外部リンク→

https://youtu.be/9ZSvYZCFCkA

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