8.思いの丈
カウンターについた謙士は、大ぶりの自身専用となっていたカップを、手に包み込むようにして持ちながら。
「…ここに初めて先輩に連れてこられた時、文人さんはカウンターの中で忙しそうに動き回っていて…。その横顔を見た時、綺麗なひとだなって思ったんです。──なんかいいなって。友達になってみたいって思って…」
「友達?」
「はい…。いままで周りにいなかった雰囲気の人だなと。はじめはそうだったんです。…けど、先輩に釘をさされて。気安く近づくなって…」
「まあ、僕の対象が同性だからね。みんな、気遣ってくれているんだ」
「でも、どうしても話してみたくて…。距離を保てば友達にならなれるかと。──けど、コーヒーの淹れ方を習ったり、洗い物を手伝ったりしてるうちに、なんだかよくわからなくなって…」
「よく、わからない?」
謙士は頷くと、
「文人さんのことが…気になって…。けど俺、いままで異性としか付き合ってこなかったし、これも単に友達になりたいだけだって、はじめは思っていたんですけど…」
「──違ったの? 勘違いじゃなく?」
謙士はコーヒーを一口飲んだ後、こくりと頷く。
「…カウンターの奥の席で、文人さんを見ていた時、友達ってのも何か違うなと。もっと知りたいなと思って…。何度か否定もしてみたんですけど…」
「これは嫌がらせとかじゃないんだけど。…もう一度、彼女と付き合ってみるのもひとつの手じゃないの?」
「それ! ──そうなんです…。そうも思って、ここにも連れてきたんですけど、ホテルに行ってもどうしてもその気になれなくて…。あのあと、きっぱり断りました」
そう言って、こちらをひたと見つめてくる。
う、そんな目で見られても。
思わず固まっていると、
「文人さんを初めて見た時、笑っちゃうんですけど、こう、ぽうっと輝いて見えたと言うか。他とは違って見えてたんですよ。──あれは、幻でも勘違いでもなかったって、今なら思えるんです」
「…分かってると思うけど、僕は男だよ?」
「分かっています。…だいたい、想像はつきます」
「本当かな? もともとそうじゃないと、抵抗があるはず──」
「ないです!」
そう言うと、カウンターについていた文人の手に、自分の手を重ねてくる。そのまま握り締められた。
「──今だって、キスしたいんです…」
「って、本当? だって──」
言いかけた文人の肩をつかみ、そのままキスしてくる。こちらの様子をみるように触れてくるだけだ。
「…いい年して、バカみたいに動揺したり焦ったり。すげーらしくないなって思うんですが…。好きだって思うんです」
「……」
「海外に行って、余計に思いました。長期間離れて、それで忘れるなら、それまでだったんだって。──でも、全然忘れられなくて。忘れるどころか、早く会いたくて…」
握られた手に更に力がこもる。
「誰かにとられたらどうしようかって、そればっかり。これでも、早々に仕事終わらせて帰ってきたんです。──まだ信じられませんか? 俺が文人さんのこと本気だって」
「…いや。──わかったよ…」
言った後、文人は視線を謙士の胸元あたりに落とした。
もう、正面で見て居られない。
顔が熱くなっているのが分かる。きっと耳まで真っ赤のはずだった。
◇
「俺のこと、受け入れられませんか?」
「…いや。ちょっと、まって。そんなことは、ないんだけど…」
こんな風に熱烈な告白を受けたことが無い。崇の時だってここまでではなかった。
あの時は──もっと、こう、あっさりと。
「文人さん…」
「?」
真っ赤になった顔を上げれば、
「俺と付き合っていただけませんか?」
「──っ」
ほとんど肩も抱かれている。手も握られ逃げようにも逃げられない。──逃げるつもりがあれば、だが。
謙士の大きな体が縮こまって見えた。文人の言葉をこわごわ待っているのだ。答えようによっては、さらに縮こまってしまうのだろう。
正直、ひとと付き合うのは怖い。また同じ思いをするのじゃないかって。
けれど、ずっとそのままでは先へは進めないのだ。同じところで足踏みしたままになる。それは、本意じゃない。
それに。
謙士を改めて見つめた。
それまでの相手は、崇以外、いつも誰かを介していた。皆いい人だったが、どこか思い悩むような表情をみせることもあり。
けれど、謙士にはそれがない。ただひたすら、文人をまっすぐ見つめてくる。
信じられる。
そう思えた。
文人はひとつ、息をはきだすと。
「…僕でいいなら。けど──」
「──文人さんっ!」
けど、の先を聞く前に、謙士は抱きしめてくる。ぎゅうぎゅう抱き締められては言葉もつげない。
「ちょ、謙士! まった、まてって──」
「は、はい…っ」
慌てて少し身体を離してくれる。文人は息を整え謙士を見上げると。
「僕は…さっきも言った様に、臆病で怖がりなんだ。なにか──思う所があったときは、隠さずちゃんと話して欲しい。それが、別れに繋がることだったとしても──」
「別れません!」
そう言ってまたぎゅっと抱き締めてくる。謙士の髭が頬を掠めて痛いくらいだ。
「…好きなんです。別れるとか、今は考えたくないですっ」
「──分かったよ。でも、覚えておくように。それから──」
文人は顔をあげて謙士の頬に手を添わせると。
「──僕も、ずっと好きだった…」
初めて、軒先で見かけた時から。
本当は──。
雨の中、君がけぶって見えた。
胸が高鳴り、ほわんとそこが光っている様だった。
怖くて臆病になっていて、認めたくなかっただけだ。
「文人さん…!」
感極まった謙士が飛びつくように抱きついてくる。
「わっ──ちょ─っ」
唇が触れてくる。重ねるだけのキスではない。れっきとした大人のそれだ。
傍らのコーヒーが温かな湯気をふわりと揺らした。