表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨やどり  作者: マン太
7/16

7.お土産

 その日も雨が降っていた。

 小雨だが一日降り続くらしい。とっくに梅雨の時期は過ぎている。けれど、ここ最近、雨が多かった。

 窓から外の景色を眺めた後、傘立てをいつものように外へと運び出す。重いそれは祖父母の頃から使われている年代物だ。


 そういえば、謙士が軒先にいたのも、こういう日だったな。


 今はあの時より暖かい。けれど、降り続く雨で少し肌寒くも感じた。


「よっと」


 背中でドアを押しながら、外へと運び出せば。


「文人さん…」


 ふいに呼ばれて顔をあげる。

 と、雨の中、スーツケースを手にした謙士が立っていた。

 無精ひげが前より濃くなっている。さらに日に焼けたらしく真っ黒に見えた。まるで大きなクマのよう。あれから、丁度ひと月経っただろうか。


「──久しぶりだね? 出張、どうだった?」


 たいして時間が経っていないかのように声をかければ、謙士はくっと眉根をひそめ。


「…その、お土産を…」


 そうボソボソと口にして、手にしていたビニール袋を突き出してきた。文人は軒先に傘立てを置くと、


「とにかく、こっち入りなよ。濡れるって」


「直ぐに社に戻らないといけないんです。とにかく、顔だけ見たくて…」


 そう言いながらこちらに近づくと、軒先に立つ文人の胸元に、袋を押し付けてきた。中はチョコレート菓子のよう。

 それを受け取り、再び謙士を見上げると。


「ありがとう──」


 久しぶりに間近で見た。

 身長まで伸びたのではと思えるほど。見下ろす謙士の眼差しはどこか哀し気で、それでいて優しい。

 黙って見つめてくる謙士を訝しく思い、首をかしげる。


「──謙士?」


「すみません…」


 急にあやまってきた。

 なんだろうと思った次の瞬間、文人の肩に手が置かれ、唇にひんやりと冷たい、でも柔らかいものが触れる。


 ──あ…。


 謙士が文人のそれへ。自分の唇を重ねてきたのだ。

 屈んで傾けたそれが、確かに押し付けられている。お土産を手にしていた文人は、胸をおしのけることも、顔を払いのけることもできない。

 ──もとより、そのつもりはなかったが。

 視界一杯にひろがる謙士の顔。文人は目を閉じた。雨音が遠くに聞こえる。

 謙士は合わせただけの唇を、ゆっくり離すと、文人を熱の籠った眼差しで見下ろし。


「──また、来ます…」


「……」


 文人は息をするのも忘れて謙士を見つめる。きっと目が真ん丸になっていたはずだ。

 うっすらとその思いに気づいていたとはしても、こうして実力行使に出るとは思ってもみなかった。たいてい、怖くて手もだしてこないと言うのに。

 それから、振り返りもせず、謙士は足早に立ち去った。


 いったい、何が?


 暫く呆然として、店の軒先に立ちつくす文人だった。



 その後、なんとか平常心をたもちつつ、文人はカフェの時間を終え、夜の為に店を開けた。

 ぽつぽつと常連がやってくる。

 雨の日は出足が遅い。または来ない客も多かった。

 今日のメニューはホッケ定食に、メンチカツ定食にポトフ。ポトフだけパンかご飯を選べる。出足を考えてあまり量は用意していなかった。

 調理や接客の間中、謙士からされたキスが頭の中を巡っていたが、それをなんとか端に追いやって仕事を続けていた。考えた所で答えが出るわけではないのだ。

 しかし。

 謙士がもし、自分を好きだったとして。応えると言う選択肢はあるのだろうか?


 ──わからない。


 謙士がどこまで真剣なのか。

 それを見極めない限り、近付くことはできない。余計な傷は増やしたくないのだ。

 雨は止まない。それでも常連客はそれなりに増えてきた。いつも通り賑やかになった頃、新たな客が入ってくる。


「いらっしゃいませ―…」


 言いながら顔を上げて、思わず固まってしまう。謙士がそこに顔を見せたからだ。

 暖簾の間からぬっと顔を出し、中を見回した後、こちらに視線を向けてきた。文人は軒下でしたキスを思い出し、思わず視線を逸らしてしまう。


「おお、来たな?」


「もう来ないと思ったぞ!」


 皆から声がかかった。謙士は頭を掻きつつ、空いている席に大きな身体を縮こませ座る。


「はは、すんません。実は仕事で海外に行ってて──あ、俺、直ぐめしで! えーっと、メンチカツ…も、いいけどポトフもいいなぁ…」


「じゃあ、メンチがメインで、味噌汁の代わりにポトフ半分にしとく?」


「あ! それで」


 声を弾ませて答える。ニコニコ顔がまるで幼い子供のようだ。

 思わず口元に浮かびそうになった笑みを堪えて、顔を引き締めると準備を始めた。


「しかし、久しぶりだな? ええ? 二月近くはきてねぇだろ?」


「そんなになりますかね…。もっと早くに来たかったんですけど、色々急がしくて。あ! でも、文人さんには少し会ってました。その…さっきも──」


 その言葉に、皆が一斉に謙士を見た後、こちらにも視線を向けてきた。ギンと音がしそうなくらい強い眼差しだ。


「あれ? 文ちゃん。そんなこと一言も言わなかったよね?」


「あ…えっと、慌ただしかったからつい言いそびれて…」


「うーん。隠すってことは何か言いたくない事でもあったのかな?」


 常連の一人がニヤニヤ笑って見せた。文人は何も言えない。ただ、頬だけが熱くなった。


「そんなことは…」


 すると一方の常連が。


「まあまあ、言いたくない事のひとつやふたつ、あるさ。ね? ──けど謙士」


 そう言って、隅っこに座る謙士に、厳しい顔をして向き直ると。


「文ちゃんには不真面目な気持ちで手を出しちゃいけねぇよ? もし、文ちゃんが傷つくようなことがあったら、俺たちがゆるさねぇからな?」


 そうだ! そうだ! とほうぼうから声が上がった。謙士は困ったように身体を小さくする。

 文人は助け舟を出す様に、その場の空気に割って入ると。


「さあさあ、それくらいで。──はい。先に小鉢」


「あ、有難うございます…」


 へへっと笑んだ謙士は嬉しそうにそれに箸をつける。

 茄子の煮びたし風、ピーマンのきんぴらにトマトとキュウリの三杯酢和え。メンチカツは揚げている真っ最中だ。ぱちぱちと細かい泡が出はじめ、揚げ時を知らせる。

 謙士はいつも美味しそうに食べてくれる。自分が作ったものをそうして食べてくると本当に嬉しくて。やっていて良かったと思える瞬間だ。

 笑みを浮かべて、そんな様子をを眺めていれば。


「あーあ、とうとう春が来たか…」


 空になったお銚子をひっくり返しながら、常連客がそう口にした。


「え? これから夏真っ盛りですよね?」


 天然なのか、謙士が驚いて答える。

 それでどっと笑いが起こった。文人も苦笑するしかない。

 まあでも、本当に春がくるのかは、蓋を開けてみなければわからないのだ。


 ──キスは、されたけれど。


 何かの気の迷いもあるかもしれない。

 いつだったか、好意を寄せられた相手に、試しにとキスを迫られたことがあった。

 それでオーケーならいいが、だめとなった時の自分がかわいそうで、丁寧にその申し出を断ったことがある。


 謙士は──どうなのだろう?


 こうして以前と変わりなく、みなに混じって酒を飲み、文人の作った定食を食べてはいるが。

 何を考えているかなど、幾ら詮索しても分からないのだ。



 雨が降る中、常連客がそれぞれ帰宅の途に就き、ようやく店内は静けさを取り戻した。

 いつの間にやら、謙士は洗い場に立っていて。疲れているだろうに、殆どの食器を洗うのを手伝ってくれた。あとは明日の簡単な仕込みをして終われる。


「ありがとう、謙士。疲れたでしょ? コーヒー飲んでく? サービスで。──ていうか、時給の代わりに今日のお代はいらないよ。本当に人がいいんだから…」


 文人は返事のないまま、コーヒー豆をはかりミルに入れる。ついでに自分の分も入れた。

 豆を挽き出すといい薫りがうっすらと漂い始める。

 本当はなんでもない会話をしながらも、ドキドキと胸が高鳴ってはいた。これはどうしようもない。

 謙士は黙って最後に残った皿を丁寧に拭き、棚へと片付けていた。どこかぼんやりしているようでもある。返事がないのが証拠だ。


「謙士?」


「あ…はい。飲みます!」


「…良かった」


 沸かしたお湯を一旦冷ましたあと、サーバーの上にドリッパーを置いてお湯を注ぐ。もこもこと豆が盛り上がった。

 いつものあれだ。まるで生き物の様なそれは見ていて飽きない。コーヒーの香りが本格的に漂う。

 と、気が付けば謙士がこちらを見つめていた。


「どうした?」


「いえ…その…。変わりないなって…」


 もどかしそうな顔をして俯く。


「──そう、見える? これでもさ。結構緊張してるんだ。…意識もね」


「!」


 その言葉に謙士がぱっと顔を上げた。

 まるで、褒められた犬の様だと思う。クマだったり犬だったり。謙士は忙しい。

 文人は手元のドリッパーにお湯を注ぎながら。


「…僕ね。結構怖がりなんだ。前に付き合っていた人、亡くしてから余計に…。もともと同性同士は気を遣うけど、傷つくのももう嫌で…。慎重になってる」


「…はい」


「謙士がさ、どこまで真剣なのか分からない。…けどもし、どこかに付き合えばなんとかなるとか、好きなら乗り越えられるとか。思っているなら、やめた方がいい。──というか、やめて欲しい」


「……」


「こう見えて、僕一直線なんだよね。好きだとなったら。──なのに、そこまで思いがないのに来られると──大抵壊れてさ。…もう、こりごりで」


 情けないが本音だ。

 好きになる自分が悪いのだ。相手が乗せたから、じゃない。

 引き返すことだってできたのに、相手がひるんでいるのを分かって付き合って。

 結局、寂しかったのだ。それでもいいからと、付き合ってしまう自分。弱いと思う。

 きちんと一人で立てるようになって、初めてひとと付き合うべきなのだろうと思った。


 もう、吹っ切れてはいると思うけれど。


 時折、現れる元恋人の影に、やはり心揺さぶられる。


「俺…」


 謙士が口を開こうとするが。文人は淹れ終わったコーヒーをカウンターにおくと。


「飲もう。冷めちゃうよ」


「……」


 言われて謙士はカウンターにつく。文人もその隣に腰かけた。

 横からクマのぬいぐるみがじっと見ている。


 これで終わるのか、始まるのか。


 今の言葉でもしかしたら──終わりに傾いたかもしれない。

 それならそれでいい。これくらいで引くなら、それまでだったのだ。けれど、それを哀しく思う自分もいた。

 返事次第では、もうここへ謙士が来なくなってしまうのだから。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ