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雨やどり  作者: マン太
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4.再訪

「こんばんは」


 そう言って謙士が訪れたのは、夜九時を回った辺りだった。あれから三日後のこと。

 仕事が一段落したため、顔を出したのだと言う。大柄な体躯がぬっと入ってきたため、皆の視線が集中した。

 謙士はそんな視線を一身に受けながら、一番出入口に近い空いている席に身体を小さくして座ると、文人が水とおしぼりを出したのと交代に、おもむろに紙袋を差し出しだしてくる。


「この前借りたエプロンです。ちゃんとアイロンもかけてありますから」


「ありがとう。わざわざ」


 いって受け取りながら袋を覗き込んだ文人は首を傾げた。

 見慣れたエプロンのほかに違う小袋がもうひとつ、中にはいっていたからだ。謙士は出された水をひと口飲みながら、


「──それ。くつ下です。良かったら履いて下さい。お礼もありますが、誕生日も近いでしょう? その日、来れるかわからないんで先に。この前ここを手伝ったとき、底冷えするなと思って。登山にも使えるぐらいのあったかい奴ですから」


「ありがとう…。手伝ってくれた上にお礼まで。逆に気をつかわせちゃって」


 思っても見なかったために、正直嬉しかった。


「いいえ。それくらい。──てか、また講習お願いします。どうにも、あの時みたいに淹れられなくて…」


 すると横合いから。


「おいおい。兄ちゃん。そう簡単に文ちゃんのレベルになれるわけねぇだろ? ──てか、お前さん。それを口実に文ちゃんに近づくってぇ魂胆か? えぇ?」


 そう言って、凄んで見せた。お酒がそれなりに入っている妙齢の常連は、若干絡みやすくなってる。


「え…? ああ──いや。そんなことは──」


 謙士はなにか思い当たった様な表情を見せたあと、慌てて否定した。

 その様子から、ここを紹介した菅原から、文人の事についてなんらかの事情は聞いていることが伺える。

 文人はそこへ割って入ると。


「ほらほら、ちょっと飲みすぎですよ? 大丈夫です。こう見えて、僕は簡単に落ちませんから、ね? だいたい、男の僕に近づくなんてありえないですって。僕なんかより、きっとかわいらしい女性のパートナーがいらっしゃいますよ。だって、こんなにかっこいいんですから」


「そうかぁ? ──おい、あんちゃん、あんた、他にいんのか?」


 周囲の常連も、バツの悪そうな顔をしている謙士をみつめるが、


「そこは──ちょっと、プライベートなんで」


 へへっと笑って見せた謙士にまた怒号が飛ぶ。


「お! てめぇ、やっぱり文ちゃん狙いだろ? そうだろ?」


 すかさず文人が中にはいる。


「違いますって。他にいるけれど、ここじゃ言えないだけですって。ほら、お水飲んで。そろそろご飯食べます? お腹が空ているから怒りっぽくなるんですよ。今日は炊き込みご飯ですよ!」


「お! 文ちゃんとこの炊き込み、お祖母ちゃん仕込みだからな? そりゃ楽しみだ! 食べようか!」


 そこへ俺も俺もと続く。それでこの騒ぎは一旦治まった。

 謙士は目だけですみませんと謝って見せる。文人はそれに微かに笑んで見せた。

 なにも謙士が悪いわけではない。ここの常連は若い男が来ると途端に厳しくなるのだ。

 特定のパートナーがいるか確認し、いれば写真を見せろといい、次に連れて来いと言う。どうにも証拠を確認したいらしい。


 そこまで心配しなくても、僕とどうにかなりたいなんて物好きは早々いないはず。


 まともに興味を示したのは崇くらいなものだった。真剣かお遊びかなんて、見ていればわかる。

 ことに同性に対してとなると、足踏みするものは多い。だから、皆が心配するようなことはちっとも起きないのだ。



 最後に居残った客を見送ると、同じく残っていた謙士も立ち上がった。


「今日はごめんね。嫌な思いしたでしょ?」


「いいえ。あの後、結構楽しく飲めましたから」


「菅原さんから聞いてるかも知れないけど、僕が好きになる対象が同性でね。だから、皆、気にしてくれて、結果、ああなるんだ」


「…ああ、はい。聞いてました。でも本当に楽しく飲めたんで…」


 言う通り、なんだかんだ言って、謙士を気に入ったらしい常連は謙士を小突き回しつつ、それを肴に飲んでいたのだ。

 謙士もそれを面白がって楽しそうに相手をしていた。


「皆、色々気にし過ぎてね。いい人たちばかりなんだけど」


「その──、さっきちらっと聞いたんですけど…。前に付き合っていたひとってのは─…」


「聞いた? うん。ここの元常連。二年前に亡くなったけど…。まだ、二年の気もしてね」


「そうですか…。てか、あのクマのぬいぐるみも…」


 自然とカウンター席に鎮座しているぬいぐるみに視線が流れる。


「ああ、あれね…。常連さんが、彼が亡くなった後、置いたんだよ。他の誰かに座らせないってさ。──でも、気持ちはわかるからそのままにしてあったんだ」


「知らずに座って、すみませんでした…」


「やだな。そんな気にしなくっていいんだって。僕はなんとも思わないもの。それより、誰か一人でも多く座れれば、楽しんでもらえるひとも増えるんだから。ただ、他の場所に移すにしても、常連さんの手前できなくてね」


「……」


 謙士は黙ってそのクマのぬいぐるみを見つめていた。


「そんなことより、ほら。謙士は早くパートナー、ここに連れてきなよ。そしたら皆安心して、もうあんなこと言わないからさ。若者が来ると、みんなこう眦がつり上がっちゃって──。本当、早々そんなことないってのにね?」


 文人は冗談めかして笑うが。


「そう──でしょうか?」


「謙士?」


「あ、いや…。俺は別にしても、文人さんは──やっぱり綺麗ですから…」


「はは…。またそれ。そんなことはないのさ。ほら、謙士も帰らないと。明日も仕事でしょ? 早く帰って寝ないと──」


「でも、俺──」


「謙士…?」


 言い淀む謙士を訝しむが。


「──いや。また、来ます…。くつ下、履いて下さい」


 そう早口で言うとぺこりと頭を下げ、さっと踵を返して店を出ていった。文人はきょとんとなる。


 何を言いたかったのか。


 そのときの文人は、ただ首をかしげるだけだった。



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