その後4 思い出
「文人は綺麗だよ」
休日、散歩がてら海沿いの公園のベンチで涼んでいたとき。崇がそう口にした。
この時はまだ、友人関係だった。
視界の先の波打ち際では、入るにはまだ早く、足をつけるだけにとどめている、男女のグループがはしゃいでいる。
「…うそだ」
「嘘じゃないって。ほんとだよ? ──初めて見たとき、そう思った。周りの空気がこう、澄んでいて光って見えて──」
「そんなはず、ないよ…」
文人は気恥ずかしくなって俯いた。足元の砂地は意外に白く、履いていたスニーカーにその粒がついている。崇は微笑むと、
「自分の姿は外から見られないからね。信じられないかもしれないけど。ああでも──」
「でも、なに?」
「文人の事を好きだから、そう見えるのかも」
「──好き?」
思わず聞き返した。どう言う意味だろう。
崇は既に文人が好意の対象が同性だと知っている。
友人の好きなのか、それとも──。
崇は声をあげて笑い出す。
「いやだな。決まってる。付き合いたいの、好きだよ。ライクじゃなくてラブ。恋人になりたいってこと」
「…でも」
「僕はどっちかって言われると──そうなんだ。両方とも付き合えるけど、今は文人が好きだから」
「──っ」
「お願いします。付き合って下さい」
どこかかしこまって口にする。文人は苦笑と照れと。顔を真っ赤にして、
「…うん」
ベンチに腰掛け、俯いたまま頷いた。崇が嬉しそうに笑う。
過ぎ去った日の思い出だ。
◇
「──さん」
呼ばれて、目を覚ました。
「文人さん、部屋で寝よう」
「う…ん」
テーブルの上にうつ伏せていた顔を起こせば、心配気な表情をして、こちらを見下ろす顔があった。
目鼻立ちのくっきりした、顎ひげのある顔。日に良く焼けている。
「──謙士…」
「風邪ひくって。先にベッドに行ってて良かったのに…」
仕事の為、帰宅が遅くなり。軽い夕飯を食べた謙士はシャワーを浴びに浴室に向かい。そんな謙士をリビングで待つうち、眠ってしまったらしい。
文人は眠い目をこすりながら、
「…うん、でも向こうに行ったら、寝ちゃうから…」
「それでいいんだって。ほら、歩いて」
「う、ん…」
謙士がイスから半ば抱える様にして立たせるが、広い胸板に寄りかかってしまう。
「歩かないなら、運ぶけど…」
「…謙士、連れてって…」
「仕方ないなぁ」
言いながら、謙士は笑っている。
そのまま、太くガッシリした腕が文人を軽々と抱え上げ、寝室へと運んでくれた。
ここは謙士のマンションだ。月のうち、何日かはお邪魔する。
たいてい、文人が休みの日だ。謙士が同じ日に休みを取れない時そうなる。文人が合鍵を使って謙士のマンションを訪れ、夕飯を作り帰りを待つ。
せっかくの休み、そこまでしなくていいと言われるけれど、やりたいのだから仕方ない。
疲れて帰ってくる謙士を癒したいし、一緒にいられる時間を少しでも多くしたいのもある。寝てしまえば、その時間が短くなってしまうからだ。
「はい、到着」
声と同時にベッドへと降ろされる。
「うん…」
「布団かけて。ほら、身体こっち」
「ん…」
「文人さん、まるで子どもみたいで──かわいい…」
ベッドがきしんだ音を立て、ひそめた声が耳元に響く。くすぐったい。
「可愛くなんて、ないよ…」
「いいや。かわいくて、綺麗だ」
「綺麗なんかじゃ…ないよ」
謙士がくすりと笑った。
「何度否定しても、言い続けるんで。──大好きだよ。…かわいくて綺麗な文人さん」
大きな手が頭を優しく撫でて行く。その心地よさに安心して眠りに落ちた。
『大好きだよ。文人』
思い出の中の、懐かしい人の声とそれが、重なって聞こえた気がした。
いつまでも。どうか、幸せに──。
ー了ー