その後1 招待
アパートに文人を招待した。
延びに延びていた、家でコーヒーを淹れてもらう件だ。
誘った時はまだ恋人関係ではなかったが、今は違う。色々な意味で、緊張もあり期待もあり。
「わぁ。ちゃんと全部そろってるね? かなり前から?」
キッチンに入った文人は、ずらりと揃ったコーヒーグッズに声を上げた。どれもかなり使い込んでいる。
「えーっと。まあ、形だけですけど…」
俺は文人が到着してからそわそわしどうしだった。玄関に上がった時からだ。
先に文人を入れて後からついて行ったのだが、その背中に触れたくて、抱き締めたくて。もう、待てをされている犬同然だった。
「──謙士?」
やや距離を取って立つ俺に、訝しむ視線を向けてきた。
「いや…。その、あんまり近付くと、手だしちゃいそうで…」
「あ…。ま、だよね?」
文人は頬を染めて髪をかき上げつつ笑う。
だよね、と言う事は、文人もそれなりに理解を示している、と言う事だろうか。
しかし、文人はうーんと唸った後。
「…とにかく。先にコーヒー入れようか? 一緒にやろ。な?」
「…了解です」
く。ここは我慢だ。
俺はなんとか気持ちを抑えつつ、文人の隣に立った。
しばらくして、コーヒーのいい香りが部屋に漂い始めた。
先に俺が淹れて、後に文人が淹れる。前と違って、少しだが文人の淹れる味に近づいている気がした。
それは文人も思ったらしく。カウンターで二人立ったままそれを口にしたあと。
「謙士、前と違うね? すごいなぁ。もう上達してる…」
「ま、その、会えない間、特訓してたんで」
仕事や出張で会えなかった期間。それでもと、文人に言われたことを忘れないよう、次にいれた時にがっかりされないよう、コーヒーだけはなるべく淹れるようにしていたのだ。
海外に行っている間も、簡易のミルをもって、豆は現地調達し、いそしんだ。
そうしていると、文人が傍らにいるような気がして。
我ながら、乙女だったと思う。けれど、それほど文人が恋しかった、と言う事でもあった。
今はこうして、現実に隣にいてくれるけれど。
「えらい! 謙士はいい子だ」
そう言って背中をぽんぽんと叩く。本当は頭をぽんぽんしたいらしいのだが、余りに身長差があって、それができず、背中になったのだと前に言われた。
文人も低い方ではないが、流石に百九十センチにせまる俺と比べると低く見えてしまう。
俺はそんな文人をちらと見た後。
「──いい子には、ご褒美が必要だと思いません?」
「…謙士」
「コーヒー飲み終えましたよね?」
「あー、うー…」
文人が来たのは十時過ぎ。昼にはまだ時間がある。俺は隣にある体温を腕に感じながら、気持ちを抑えるのに必死だ。
文人は決心がつかないのか、首をかしげて困ったようにしている。
文人とはあれから何回かともに過ごしていた。文人の休みに合わせて、謙士も休む。休み前に手伝いに立つのは当たり前の景色となりつつあった。
「文人さん…」
俺はそっとカウンターについていた文人の手にふれた。
色の白い文人の手はしっかりと男のそれだがとても綺麗だ。長くて細い。文人はいったん俯いた顔をあげると。
「わかった…。シャワー使わせて。──あと」
「はい?」
文人は少し頬を膨らませるようにしてこちらを見上げてくると。
「…明るいところで見て、幻滅しないように!」
「──」
俺はその言葉にぽかんとなったが。直ぐに我に返って。
「そんなことないって! もう、文人さんは」
「だって、気にするよ。いつも会うのは夜だったし…」
どこか拗ねた様にそう口にしながら、浴室の場所を尋ねてくる。俺は案内しながら。
「別にシャワー浴びなくてもいいですけど?」
「だめ。色々準備あるし。分かってるだろ?」
びしっと鼻先に指を突きつけられた。
こう言う所が、年上なのにかわいいと思えてしまうゆえんだ。俺は叱られた犬のようにしゅんとなり。
「…わかった。大人しくまってます」
「よーしよし。謙士はいい子だね?」
そういってぽんぽんと背中をまた叩かれた。相変わらず子ども扱いで。
俺は仕返しとばかりに、ふいに抱きつくと、その首筋に音を立ててキスを落とした。
「ちょ、こら! 謙士──」
「躾がなっていないんで。──気をつけて」
「謙士!」
顔を赤くした文人が怒ったふりをして、軽く拳を振り上げる。俺はそれをよけながら、もう一度、ぎゅっと抱き締めて。
「俺は文人さんが好きなんです…。なにも心配しないでください」
そう、耳元でささやいた。
◇
謙士にはやられっぱなしだ。ほんとうに。
熱くなった頬を手でこすりながら浴室に入る。
ふと鏡を見れば、先ほどキスされた所が跡になっていた。襟のあるシャツを着れば隠れるだろうが。
しつけ、し直しかな?
シャワーを浴びながら、それでも笑みがこぼれる。
こんな風にまた誰かと、笑いあう日が来るとは正直思っていなかったからだ。崇で終わりだと思っていた。
なのに。
謙士はすっかり文人の中に入り込み、いるのが当たり前の存在になりつつある。
仕事が忙しく、会えなくなる時もあるが、会った時はこうして好きだとずっとアピールしてくる。
ここに来た時から、謙士が自分を抑えるのに必死なのに気付いてた。
こんなに好いてくれている。
文人自身をだ。貴重でかけがえのない存在。
身体の大きさ以上に、文人をすっぽりと包み込んでくれる大きな愛情。
同じものを謙士に返せるだろうか。
鏡の中の文人はすこし不安げな顔をしてみせるが。
いや、同じじゃなくてもいい。ただ、僕は謙士が好きだ。この世にいる誰よりも。
それを忘れなければいい。
「文人さん、ここにタオル、置いておくから──」
浴室のドアの向こうで声がした。
「ありがとう。謙士」
きゅっと栓をひねってお湯を止める。軽く身体についた湯を払ってドアを開ければ。
ぬっと、大きな影がドアの脇に立っていた。
「──謙士?」
ちょっと驚いた。謙士は腕を組んで目を閉じていたが。
「待ちきれなくて…」
文人は顔をくしゃりと崩して笑うと。
「わかったよ。──『よし』だ」
「──!」
そう言うと同時、謙士の大きな体が半ば抱き上げるようにして文人を抱いた。
「…謙士、服ぬれるよ? それにシャワーは?」
「──お願いです…。これ以上まては…」
「わかったって。僕、髪濡れてるけど──」
「気にしてない」
「胸もないし、お尻もぺったんこだけど?」
「──どうでもいい…」
そう言って顔を上げ、こちらを見降ろすと。
「俺は、文人さんがいいんだ。──何度だって言う」
その眼差しは真剣そのものだった。嘘はない。文人は笑顔になって、
「うん…」
背伸びをして、自分から謙士にキスをした。
僕はそうやって、君に何度も確認するだろう。これからも。
けれど、きっと君は言い続けてくれるのだろう。
『俺は文人さんがいい』と。
ー了ー