第2章「シュカ」 第1部~白い少年~
生まれてからこれまで、生きる意味なんて考えたこともなかった。
ただ心を支配するのは、焼き付くような喉の渇き、抉れるような空腹、それと時おり付けられる傷が膿む痛みだけだった。
正確には、生きる意味なんて考える暇がなかった。
ただ強制される労働をこなし、与えられるわずかな糧に飛びつき、泥のように眠る。
死なないように、殺されないように、ただ日々を生き延びる。
それだけだった。
そんな日々の中で、僕は何も考えなくなっていった。
何も感じなくなっていった。
周りには似たような奴らがたくさんいた。
皆同じように、死なないために今日を生きる。
がむしゃらに働いて、カビたパンを奪い合って、懲罰という名の暴力から逃れるために互いを指差しあって、競うように、貪るようにただ生きる。
ある日、ふと、思った。
僕は、そこまでして、どうして生きていたいんだろう。
その日から僕は、生きることも、どうでもよくなった。
僅かな食事を奪われても、誰かの罪を押し付けられて不条理に罰されても、奴らの憂さ晴らしの道具にされて虐げられても、なんだか全てがどうでも良くて、何も感じなかった。
身体が細くなって動かなくなっていったけれど、不思議と痛みは感じなかった。
だんだん働くこともできなくなっていって、とうとう身体を動かすこともできなくなった僕は、冷たい土の上にうずくまって、ただずっとじっとしていた。
最初は僕を蹴り飛ばしていた大人も、奴らも、だんだん僕から目を背けるようになった。
僕はただ眠ったように、死んだように、じっとしていた。
ある夜、とても寒い夜、真っ白な服を着た大人たちがやってきた。
大人たちは、今まで見たこともないような不思議な紋章が描かれた美しい装いをしていた。
泥ひとつ付いていない綺麗な顔には、みんな同じ、張り付いたような笑みが浮かんでいて、なんだか気持ちが悪かった。
彼らは、僕の身体を清めると、僕に彼らと同じような白い服を着せた。
そして、彼らの中でも恰幅の良い男が、僕を抱きかかえてこう言った。
「幸福に思いなさい。君はセイレーンへの生贄になるのです。」
笑みを浮かべた三角の瞳は、夜のように暗い色をしていた。
男の腕に抱かれて一行の先頭を進みながら、僕は紺色の夜空を眺めていた。
いつもより高い場所から見ているからか、星がとても大きく、まるで眩しいほど近くに感じた。
美しい歌声で船乗りを魅了し殺すセイレーンのことは、大人たちが話しているのを聞いたことがあった。
でも何故だか僕は、それが大人の考えた作り話だと気づいていた。
肉付きの良い男の腕の中は、不思議と心地が良かった。
やがて、湿り気と塩気のある風が僕を包んだ。
「さあ、海に着きましたよ」
初めて見る海は、夜空と同じ色をしていた。
風にざわめく木々のように、海は大きく、打ち付けるように揺れていた。
その波が立てる音が辺りに鳴り響く。
どこまでも果てしなく広く、蠢く真っ暗な海は、まるで闇のようだった。
海へと続く砂の上には、真っ白な木でできた正方形の箱があった。
頑丈な造りをしているその箱は、上部だけが外されていた。
男は、腰を屈めると僕をそこへ入れた。
そして上蓋を僕に被せた。
最後に見えたのは、男の、赤い傷のついた白い首だった。
大人たちの訳のわからない呪文のような歌が鳴り響く中、上蓋に釘が打たれていった。
何人かが僕の入った箱を持ち上げ、僕は大きく揺れた。
そして彼らは、僕の詰まった箱を海に流した。
狭い木箱の中は暗闇が広がっていた。
膝を抱えた状態の僕は、海の波の上でゆらゆらと揺れている。
薄れゆく意識の中で、僕はなんだか懐かしいような不思議な感覚に包まれていた。
少しずつ身体の力が抜け、心地よい眠気が僕を包んでいった。
そして僕は、意識を手放した。
次に僕を包んだのは、まばゆいばかりの白い光だった。