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第3章「白の地」 第5部〜ミネルヴァ〜IIII

眩い光が収まると、そこは白い大樹の下だった。


「遅かったな、待ちくたびれたぞ」


振り返るとヘイムダルたちが待っていた。

そこにはケテルもいる。

ケテルは相変わらず表情のない顔でどこか遠くを眺めている。


「すみません、お待たせしました」


僕が頭を下げると、ヴィクトリアが言った。


「ミネルヴァ様も物好きな方だ。人間に興味を持たれるなど」


変わらず彼女の言葉からは人間に対する嫌悪を感じる。


「俺もミネルヴァと色々話したかったぜ」


ヘイムダルは笑いながら言うと、ケテルに向かって話しかけた。


「そういや俺たちが来るまでミネルヴァと話してたんだろ?

どんなこと話してたんだ?」


ヘイムダルの言葉に、ケテルはゆっくりと顔をヘイムダルの方に向けた。

表情を一切変えないその様子はまるで操り人形のようで、その動きは非常に奇妙に見える。

ケテルはヘイムダルをしばらく見つめていたが、やがてゆっくり首を傾げた。

同時に、蚊の鳴くような細い音があたりに微かに鳴り響いた。

どうやらその音はケテルから発されているようで、その様子を見るに彼が何かを考えている声のようだった。

おそらく全員がケテルの言葉を待ったまま、しばらくの時間が経ったが、彼は表情を変えないまま呻き声にも似た細い声を出し続け、しばらくの間何かを考え続けている。

やがてヘイムダルが痺れを切らせて声を荒げた。


「ああもういい、何考えてるかわからない奴だな」


ケテルはヘイムダルの言動にも動じず、またゆっくりとヘイムダルに目線を動かしたが、特に何も言葉を発さないまま佇んでいる。

僕たちが来る前まで、あの饒舌なミネルヴァと彼が話している様子が僕はどうも想像できなかった。


「いつまで油を売っている」


ヴィクトリアが声を上げた。


「オク様の場所がわかったことだ、出発するぞ」


見るとヴィクトリアは右手に羽を持っている。

それはさっきミネルヴァからもらっていたものだった。

ヴィクトリアのしなやかな細い指に挟まれたその羽からは金色の光の筋が出ており、その筋はまっすぐとどこまでも先まで伸びていた。

ヴィクトリアは、その光の差す方向を見つめながら言った。


「恐らくオク様はこの先の“昏き森”の奥にいる。

あの森には光の加護が届かない、影や闇に落ちた者も多いだろう。

ケテル、この先は空路ではなく我々と同行してくれ」


ケテルはまたゆっくりとヴィクトリアの方を向くと、微かに頷いた。

会話の流れからして、ケテルはよほど腕が立つのだろうか。

人形のように動かない彼が戦っている姿も、想像がつきにくいものだった。


「昏き森か、俺もまだ足を踏み入れたことがない場所だな。

フローライトは大丈夫か?」


ヘイムダルの問いかけに、フローライトは微笑みながら答えた。


「ヘイムダル様、お気遣いありがとうございます。私は大丈夫です。

ただ光の加護を受けられないので、どれだけお役に立てるか……」


フローライトの言葉を遮るようにヴィクトリアが言った。


「天使の力はケテル一人で十分のはずだ、お前の力にはさほど期待していない。

お前は人間を守ることに集中しろ」


ヴィクトリアの口調は明瞭であるが相手を突き放すような冷酷さを感じる。

その雰囲気は僕のような奴隷に命令を出す大人たちと重なるものがあった。


フローライトは一瞬わずかに表情を曇らせたように見えたが、すぐに微笑みを浮かべると会釈しながら言った。


「かしこまりましたヴィクトリア様、全力で人間を護衛します」


従順なフローライトの姿は、村の富のある者に仕える下女とよく似ている。

僕のふと、昔耳にした話を思い出していた。

あれは僕が奴隷として作物の収穫をさせられていたときのことだった。

すぐ傍で作業をしていた2人の青年が見張りの大人がいない間、ひっそりと会話をしている。

過酷な労働への愚痴、大人たちへの文句、そんなたわいもない話の中、ふと1人が“楽園”の話をし始めた。

彼の話では、その楽園という地では、身分も地位も制限もなく人は皆自由奔放に楽しい生活を送っているそうだ。

そこは哀しみも苦しみも痛みもなく、幸せ満ち溢れる世界がどこまでも続いている、と彼は夢見心地で語っていた。

その頃まだ幼かった僕は、彼の話を聞いて、そんな世界があるのかと心を踊らせ、希望に胸を膨らませていた。

彼以外にも楽園の名をを口にする者はちらほらいた。

僕はきつい仕事の最中や、夜眠りに落ちる前のひとときにも、楽園について想像するようになった。

成長するにつれて、楽園を信じる気持ちは減っていき、人間の都合の良い妄想の産物だと思うようになっていったが、心の片隅ではその存在を僕は少しだけ信じていた。


僕はヴィクトリアたちを見ながら、天使や悪魔が存在する遠く離れた物語のような世界にも、僕のいた村と同じような上下関係があることに虚しさを感じ、つい、やるせなく大きく息を吐いた。

吐き出した酸素を取り戻そうと膨らんだ胸元が硬いものに触れる。

僕は服の上から胸元を抑えた。

恐らく硝子でできているであろう瓶の冷やっとした無機質な感触が伝わってくる。


「お前には器としての義務以上の役割があるのだよ」


ミネルヴァの言葉が頭の中でこだまする。

僕の役割とは、一体なんなのだろうか。


「どうしましたか?」


フローライトの声に我に帰ると、ヴィクトリアたちはもう先に進んでいる。

僕は胸元から手を離すと、彼女たちを追いかけて前へ進んだ。


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