第3章「白の地」 第5部〜ミネルヴァ〜III
それからはミネルヴァからのとめどない質問の攻撃の連続だった。
ミネルヴァは人間の世界に非常に興味があるらしく、次から次へと僕に問いを投げかける。
それは村を成り立たせる上での大人たちの役割についてだったり、人間独特の風習についてだったり、人間が食べている食べ物についてだったりと多岐にわたるものだった。
まるで彫像のように端麗で近づきがたい印象の外見に反して、人間の世界の話を聞いているときのミネルヴァは幼い子供のように楽しげで、軽快な笑い声を幾度も上げた。
話すときの声よりも少し高い少し金属質な笑い声は、どこか鳥の声にも似ている。
彼女が笑うと、肩に止まった梟はその声に驚いたかのように彼女を見つめて首を傾げる。
その一連の流れが少し滑稽で、僕は笑いをこらえていた。
梟は彼女によく懐いていて、ずっと彼女の側を動かない。
時折ミネルヴァは梟を撫で、梟はまるで猫のように心地好さそうに目を細めた。
特に彼女は、僕が海の魔女へ生贄として捧げられたというエピソードに興味を示し、面白そうに質問を繰り返した。
「ほう、人間の世界にはセイレーンという人ならざる存在がいるのか。
我々の住む世界以外に精霊や魔物がいるという話は聞いたことがなかったのだが。
それはどんな者なのだ?」
「聞いた話だと、人間の女性の姿をしているのですが、下半身は鳥の姿だそうです。
美しい歌声で船に乗る者を惑わし、海の底へと沈めてしまうと言われていました」
「歌で人を惑わすのか、面白い。是非ともその歌声を聞いてみたいものだ」
「ただセイレーンは本当に存在しているわけではないと思います。
村の人たちもどこか偶像として扱っていると感じていました」
「しかし君はその魔物に捧げられたのだろう?」
「人間は本当に信じていないことでも、まるで信じているかのように振る舞って行動に移すことが当たり前のようにあるんです。
昔からの慣習のほとんどがそうだと思います。
……それに、僕は奴隷として使いものにならないお荷物でしたから。
僕のような邪魔者を処分する名目でもあったと思います」
「ほう、人間とはまどろっこしいことをするんだな」
まるで滑稽と言わんばかりに、彼女は声をあげて笑う。
その様子は、神秘的で端麗な容姿と反して無邪気な子供のような純粋さがあり、僕が昔見た、好奇心から虫の羽を千切って笑っていた幼い子供とどこか重なるようなものがあった。
ミネルヴァは永い間生きていると聞いたが、こんなにも純粋な好奇心を持ち続けているということに僕は少し驚いた。
彼女は僕に息をつく間も与えぬほど、矢継ぎ早に質問を繰り返す。
さらに彼女は人間の生殖について興味を持ったらしく、人が産まれる過程から男性の生理現象についてまでも目を輝かせながら僕に詳しい説明を求めてきた。
精霊とは言え美しい女性の姿をしたミネルヴァの前で、人間の生々しい話をするのは強い羞恥を覚えるものだったが、彼女はお構い無しに僕の話を引き出し、面白げに笑う。
なんでもこの世界の精霊や魔物は、フローライトに出会ったココンの中で光からひとりで生まれるらしく、僕にとってはその誕生のほうが驚くべきものであったが、彼女にとっては人間のように男女のまぐわいで産まれるということが非常に興味深く感じるらしい。
さらにこの世界では親や子、家族という概念もないことから、彼女は親子という関係に関心を示した。
「親子というものは、主と従者よりも強い結びつきなのか」
「はい、そうだと思います。
子供のためなら自分の命も惜しくない、という親も珍しくありません」
「自分の命よりもか!?それは面白い。
お前の親もそうなのか?」
ミネルヴァの問いに、僕は一瞬言葉を詰まらせた。
「……僕に親はいないんです。
生まれた時に捨てられたんだと思います」
彼女は、ほう、と目を見開くと問いかけた。
「子は親にとって命にも変えがたい大切な存在なのであろう?
どうしてお前の親はお前を捨てたのだ?」
「……それはきっと僕の出来が悪かったからだと思います。
僕は身体が人より小さいですし、髪の色も肌の色も人と違うので随分気味悪がられたりもしました」
「ほう、同じ子供でも価値に差があるのだな。面白いな」
ミネルヴァはそう言うと、僕を頭のてっぺんから爪先まで観察するように眺める。
「色の奇妙さと言うのはよくわからないが、たしかに非力そうな身体ではあるな」
彼女はそう呟くと、僕を物珍しい動物のように見続けるので、僕はその間を気まずく感じて口を開いた。
「……まあ、僕は価値がない塵のような存在なので、なんとでも好きにしてください」
僕はとってつけたように口角を上げて、へらへらと笑った。
ミネルヴァはしばらくの間何も返さず、僕の目をじっと見つめた。
彼女の蒼碧色の瞳はまるでガラスのようで、その思考を読み取ることは難しい。
梟も彼女と同じ無機質な目線を僕に向けている。
4つの瞳に見つめられ、僕の心拍数が上がるのがわかった。
やがてミネルヴァの口元に笑みが溢れた。
そして聞き取れるかどうかの小さな声で、彼女は呟いた。
「お前はまだ自分の力を知らないようだな」
その言葉の意図を聞こうと僕が口を開くより先に、ミネルヴァが言った。
「さて、聞きたいことはまだ山々であるがここまでにしよう。
ヴィクトリアたちをあまり待たせてもいけないしね」
ミネルヴァはそう言うと、右手をかざした。
後ろから白い光が差し込み、振り向くと来たときと同じような空洞ができていた。
「色々聞かせてくれて礼を言う。非常に面白い話だった」
ミネルヴァは微笑むと、僕に帰るよう促す。
僕は頭を下げると、その空洞へ足を踏み入れようとした。
「シュカ」
ミネルヴァが僕の名前を呼ぶ。
僕は足を止め、彼女の方を見た。
「これを持って行きなさい」
彼女はもう一度右手を空を切るようにかざした。
何もなかった空間に、きらきらと輝く何かが生まれ、僕の方へゆっくりと飛んでくる。
僕は両手でそれを受け取った。
それは小さなガラス瓶のようなものだった。
ガラスはまるで太陽に照らされている水面のように、いくつもの色を放っている。
細かいカットが刻まれた精巧な造りの瓶の上部には、白い木材でできた栓があり、またその瓶は革紐のような茶色の紐がついていた。
「……これは?」
「まあ、お守りのようなものさ。使う時が来たらきっとわかるだろう。
いつも身につけておきなさい」
僕は頷くと、それを首から下げ、服の中にしまった。
その瓶はほとんど重さがなく、着けていることがわからないほどだった。
ミネルヴァは満足げに微笑むと言った。
「さあシュカ、君の旅の始まりだ」