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第3章「白の地」 第5部〜ミネルヴァ〜II

ミネルヴァの珊瑚色の唇が静かに開かれた。


「よく来たな、シュカ」


その声は穏やかで包容力に満ちており僕は胸の奥がじんわりと温まるのを感じた。

ヴィクトリアの言葉を思い出した僕は急いで頭を下げ、丁寧な言葉を返そうと必死に頭を働かせる。

ミネルヴァはくすっと笑うと「そう気を張るでない」と言った。

僕が頭を下げたままでいると、彼女は続けて言った。


「人という存在は、私にとってもなかなかにめずらしいものでね。

もしよければ顔をもっとよく見せてくれないか」


彼女の言葉に僕は恐る恐る顔を上げた。

ミネルヴァはじっと僕を見つめていた。

緑がかった青い瞳はどこまでも深い色合いをしていて、その眼差しはまるで穏やかな海のようだった。

僕はその深い色合いに飲み込まれそうな気分で、彼女から目をそらすこともできずにいた。

しかし、彼女の瞳には高圧的な気配や僕を蔑むような気配は微塵もなく、温かな包容力が溢れていた。

ミネルヴァは目を細めると言った。


「お前はまっすぐな綺麗な瞳をしているな」


初めて言われた言葉に、僕の心臓が強く波打つ。

穏やかでありながら全てを見透かすようなミネルヴァの眼差しを受けながら、僕は言葉を発することができないままただ彼女を見つめていた。


「立ち話もなんだ、座りなさい」


ミネルヴァが右手をかざす。

その瞬間身体がふわっと浮く感覚に僕は思わず声をあげた。

次の瞬間、臀部を包み込まれるような感覚に、驚いてその部分に目をやると、いつの間にか椅子のようなものが現れ、僕はそこに座っていた。

その椅子は白いふわふわとした羽のようなものでできていて、柔らかく僕の身体を包み込むように支えている。

身体の力が抜けるような座り心地に、僕は気が緩んでしまいそうになるのを抑え、姿勢を正した。

ミネルヴァが微笑みながら話を続けた。


「この世界に来てから大変だっただろう」


労わるような声に、僕は口を開いた。


「ありがとうございます。

前の世界にいた頃よりはまだましです」


久しぶりに発声したからか、掠れた声に僕は小さく咳払いをした。


「人間の世界の話は非常に興味がある。

あとでじっくり聞かせてもらえると嬉しいよ。

……使命の話はもう聞いているね」


「はい、聞いています」


「引き受けてくれて嬉しいよ。

君がこの世界を救う鍵を握っているからね」


ミネルヴァの言葉に、僕は「はい」としか返すことができなかった。

世界を救うと言っても、僕は器としての役割しかないことを知っていたからだった。

僕の思考を読んだかのように、彼女は話し出した。


「これはお前だけに話すことなのだが……」


ミネルヴァはまっすぐに僕を見た。


「お前には器としての義務以上の役割があるのだよ」


僕は驚いて彼女を見つめ返した。


「……役割…ですか」


僕のような何の価値もない奴隷だったただの人間に一体どんな役割があるのだろうと、彼女の思考を探ろうと僕はミネルヴァを見つめたが、彼女は相変わらず微笑を浮かべており、その意図はあまり読めない。

ミネルヴァは、均整の取れた肩に乗る梟を片手で優しく撫でながら言った。


「お前に与えられた役割は、後々明らかになるだろう。

 それは、お前だからこそ果たせる大切な役割だ。」


「……僕にしかできない役割……」


彼女の言葉を噛み締めるように、僕は呟いた。

人間の世界で奴隷として過ごしてきた僕にとって、代わりはいくらでもいるような状況に慣れ切っていた。

そんな僕だけができる役割があるなどとは全く想像もつかないことだった。

ミネルヴァは柔らかな光を湛えた瞳で僕を見つめて言った。


「その時はすぐにやってくる。

私がお前に頼みたいのは、人間らしさを決して忘れないで欲しいということだ」


「人間らしさを?」


「そうだ」


彼女の視線はまっすぐ僕に向けられていた。


「この世界には、人間を忌み嫌う者が多い。

しかし、お前はその人間らしさを失わずに進んでほしいのだ。」


「それはどうしてですか?」


「お前の人間らしさによって救われる者がいるからだ」


その回答を聞いても僕は彼女の言わんとすることがよくわからずにいたが、ミネルヴァの「きっとじきにわかる」という言葉に僕はそれ以上質問することもできず、頷くほかなかった。

ミネルヴァは微笑むと、「良い子だ」と呟くように言った。

彼女に撫でられている梟が心地よさそうに目を細める。

僕は腰掛けている椅子の包み込むような快適さと、ミネルヴァの醸し出す包容力を讃えた穏やかな雰囲気に身体の力がすっと抜けていくのを感じた。


「私から伝えたいことはこれだけだ。

さて、それでは……」


ミネルヴァは梟を撫でる手を止めると、椅子に浅く腰掛け直した。

両手を組んだ上に顎を乗せ、身体を前のめりにして僕をじっと見つめる。

その表情は先ほどのものよりも目に光があり、まるで子供のような無邪気さを感じられた。

ミネルヴァは言った。


「人間の世界の話を聞かせてもらおうか」


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