第3章「白の地」 第2部〜白の世界〜IIII
ヴィクトリアを先頭に僕たちは歩き出した。
緋色の髪をなびかせ颯爽と進むヴィクトリアの次をフローライトが、その次をヘイムダルが進む。
ケテルはというと、フローライトが彼の耳元で「ミネルヴァ様のところへ行きますよ」と囁くと、全く表情を変えないまま微かに頷くやいなや精巧な白い翼をはためかせ、あっという間に上空へと消えてしまった。
フローライト曰く、一歩先にミネルヴァのところへ行っているそうだ。
それを聞いて上空は地上に比べて障害物が少ないからスムーズに進めるんだろうなと思った僕は、彼が空を飛んだことにもう驚いていない自分に気づいた。
かくて僕たちは4人で歩みを進めているのであったが、早足のヴィクトリアと、氷上を滑るようななめらかな進みのフローライト、歩幅の大きいヘイムダルに置いて行かれないように僕はついて行くのに必死だった。
小走りで必死に足を動かす僕を、体格の良いヘイムダルが後ろ歩きをしながら相変わらずにやにやと見つめてくる。
「死にそうなくらい細い割には意外とちょこまか動けるんだな」
僕が何も答えずにいると、フローライトがヘイムダルに顔を向けて言った。
「シュカには、アクアリアと私、そしてアザゼル様から力が分け与えられてあります」
「あのアザゼルが!?それは驚きだな」
ヘイムダルの言葉に、「“様”を付けろ!たわけが」とヴィクトリアが鋭い声を飛ばす。
ヘイムダルは怒号にもひるまずへらへらと笑っている。
僕は歩きながら、ふとこの3人の立場関係について考えていた。
フローライトの他の2人に対する態度や話し方から、おそらく彼女の立場は彼らより下になるのだろう。
指揮を執っているヴィクトリアが一番上だとして、ヘイムダルはヴィクトリアに対してもフランクに接していることから、彼女ともあまり差のない立場なのだろうか。
僕が彼らの力関係が気になるのは、村にいた頃の習性からだった。
奴隷として生きていた頃、複数の大人からそれぞれ違う命令をされた時には、より立場が高い方の命令を優先させる必要があった。
間違って立場の高い方を後回しにしてしまうと、逆鱗に触れ懲罰を受けることになるのだ。
だから僕は常に大人たちの中でも誰が立場が上か、その力関係を正確に把握している必要があった。
「あの」
僕はヘイムダルに話しかけてみた。
ヘイムダルは、「お、何だ?」と好意的な反応を示した。
僕は先ほどから気になっていたことを質問してみることにした。
「この世界にも、身分や階級のようなものがあるんですか?」
「そりゃああるさ、身分って言ったらちょっと違う気がするけどな」
「それはどうやって決まるんですか?」
「持っている力の強さがほとんどだな、あとは役割にもよるな」
「……“役割”ですか」
フローライトが半分ほどこちらを振り返って言う。
「アルケスで少しお話ししたように、私たちは6つの文明にわかれて生きています。
文明を維持し世界の均衡を保つため、リーダーとなる方の他にも様々な役割を持った方がいらっしゃいます。
例えば予言を通じて未来を予測される方、世界中を監視し異変がないか取り締まる方、力のバランスを整え光と闇の均衡を保つ方などがいらっしゃいます」
フローライトの言う役割はよくわからないものもあったが、僕が暮らしていた村にも、村の維持のために大人たちに役割が割り振られていたことを思い出し、僕は何となく理解した。
僕はもう一つ気になっていたことを聞いてみた。
「ミネルヴァ様という方はどんな方なんですか?」
ヘイムダルが緋色の瞳を輝かせて勢いよく答えた。
「ミネルヴァはめちゃくちゃ賢い奴なんだ。“知識の女神”なんて呼ばれたりしてるぜ」
「だから様をつけろ」と言うヴィクトリアの声がまたしても飛ぶ。
フローライトが補足するように言った。
「ミネルヴァ様はこの世界で起きたことすべてを記憶されている方です。
アルケスであなたにお話ししたこの世界の話も、ほとんどがミネルヴァ様から聞いたものなんです」
“世界で起きたことすべてを記憶している”という言葉を聞いて、そのミネルヴァという方の信じられないほどの記憶力もきっと魔力によるものなのだろうなと思い、加えてその方は一体何年生きているのだろうかと漠然と考えていた。
ミネルヴァに限らず、この世界の存在達は一体何年くらい生きるのだろうか。
僕は見当もつかずにいた。
ヘイムダルが目線をフローライトへと移した。
「それでフローライト、このシュカって奴にはどこまで話したんだ?」
フローライトはヘイムダルに顔を向けると答えた。
「使命の話はもうしてあります。彼は同意してくれました」
ヘイムダルは「へぇー」と頷きながら僕を見ると「俺なら絶対に嫌だね、器なんて」と呟いた。
僕は複雑な気持ちでただ歩みを進めた。
「ジークフリート様がよくお認めになったことだ、人間をこの世界に入れるなど」
ヴィクトリアの吐き捨てるような声が聞こえる。
“ジークフリート” 先ほども聞いた名前だ。
「ジークフリート様は、私たち白の文明のリーダーであられる方です」
フローライトが教えてくれる。
リーダー、村で言うと村長のような存在だろうか。
ヘイムダルが僕を振り返り言った。
「ヴィクトリアはジークフリートの右腕として戦ったこともあるんだぜ」
「人間に一々教える必要はない」
ヴィクトリアの鋭い声が飛ぶ。
ヘイムダルは「おお怖い怖い」と笑うと僕に耳打ちするように小声で言った。
「ヴィクトリアも悪い奴じゃないんだぜ。
ただこの世界のほとんどの奴は人間を毛嫌いしてるからな」
“この世界に人間が来るのは初めてだ”と言っていたのに、どうして人間を毛嫌いしているのだろうかと気になって僕はヘイムダルに尋ねようとしたが、それより前に彼は僕に背を向け颯爽とした歩みでフローライトを追い越すと、先を行くヴィクトリアへと話しかけた。
「そういやヴィクトリア、どうしてミネルヴァのところに向かうんだ?
直接オクのところに行けばいいのに」
ヴィクトリアは敬称を付けないヘイムダルに向けた腹立たしさからだろうか後方まで聞こえるほどの苛立ちを込めたため息を吐きながらも答えた。
「オク様がいらっしゃる場所は極秘とされている。
ジークフリート様に対してもその場所は明らかにされていない。
我が白の文明の者の中でその場所を知っている方はミネルヴァ様だけなのだ」
「ふーん、だからまずはミネルヴァのところに行って、その場所を教えてもらわなきゃいけないってことか」
「そうだ」
ヘイムダルは納得したように頷くと、軽い口調で言った。
「ジークフリートも一緒に来ればいいのにな」
「ジークフリート様が人間のようなものとご同行されるはずがないだろう」
ヴィクトリアは怒気を込めた鋭い声を上げると、ヘイムダルに向けて「口を慎めこの浮浪者風情が」と吐き捨てるように言った。
それはなかなかの威圧感のあるものだったがヘイムダルは笑いながら
「おいおい同じソルジャーに対して浮浪者はないだろヴィクトリア」
などど言っている。
相変わらず飄々としているヘイムダルを視界から消すように先ほどよりも速い足取りで進み始めたヴィクトリアが、先ほどよりも小さめの声で付け足すように言った。
「それに……ジークフリート様はこの計画にご反対されている」
僕は、白の文明のリーダーであるジークフリートという方が反対しているのにどうして僕がここに来ることになったのだろうかと気になったが、それについて聞くのはやめておいた。
「へぇ、厄介なこった」
ヘイムダルがあまり興味のなさそうな声で返す。
僕はフローライトへと尋ねた。
「先ほど話に上がっていたオク様と言うのはどなたなんですか?」
僕の問いに、フローライトの顔が曇るのがわかった。
しばらくの沈黙の後、フローライトが答える。
「オク様はかつてこの国のリーダーだった方です。
そして……トゥアル・タミナスを封印するため柱となった方です」
僕はアルケスでフローライトから聞いた話を思い出した。
「柱になった、ってことはもう亡くなられているんですよね」
その瞬間、ヴィクトリアが険しい剣幕で振り返った。
「黙れ、人間と同じ尺度で物事を測るな」
先ほどと比べ物にならないほどの激しい怒号に僕は思わず息を飲んだ。
ヴィクトリアは僕を憎しみを込めた目で睨んでいる。
左手の剣で僕を斬り殺さんばかりの剣幕の彼女に、僕はうわずった声で「ごめんなさい」と謝罪するので精一杯だった。
ヴィクトリアは「人間にこれ以上教える必要はない」とフローライトに刺すように言うと、外套を翻し再び歩みを進めた。
鎧同士が立てる金属質な音が鳴る。
ヘイムダルが「あれまあ」とでも言いたげな、眉と口角だけを上げた顔で僕を一瞥すると、相変わらず大股で歩みを進める。
フローライトはまたしても困った顔でヴィクトリアを盗み見るように見ていたが、やがてこっそりと僕に耳打ちした。
「この世界は人間の世界と存在や魂のあり方が異なるのです」
フローライトはそれだけ言うと、「行きましょう」とジェスチャーするように僕を小さく手招き歩き始めた。
気を取り直して歩き出そうとした瞬間、僕はふと左のほうに何か気配を感じた。
視線を向けると、背の低い草木が集まった箇所が何やらガサガサと動いている。
白い草木の中を注意深く見ると、黒くて丸い形をした何かが蠢いているのがわかった。
動物のようなものだろうかと僕は気になってそれに近づこうとした。
フローライトの叫ぶような声が聞こえた。
「シュカ“影”から離れて!」
僕が驚いてフローライトの方を向くと、彼女は緊迫した表情で僕の方へ走り寄ってきている。
草木の方を振り返ると、そこには野犬のような大きさの靄のような塊があった。
その塊からは、魔力のない僕でもわかるほどの禍々しい邪悪なオーラが感じられた。
僕はじりじりと後ずさりした。
その瞬間、塊が僕の方へ飛びかかってくる。
それはまるで蛙のような素早い動きだった。
僕は思わず目を瞑った。