05.謁見(2)
エヴァンのエスコートを受けながら、狭く長い螺旋階段を一歩ずつ降りていく。
窓がないおかげで辺りは暗く、ジュードが持つランプだけが頼りだった。
じめじめとした石壁の造りで、年季が感じられる。壁には何の装飾もなかった。
降りる途中には、扉を三つ見つけた。それが彼らの部屋だと教えられた。
私の部屋は、塔の最上階にあった。
王城の敷地内に建っているそれは、二度目の魔女襲来よりも前にできたものらしい。
もう一つの塔――魔塔と合わせて、城の中枢部を挟み込むように双塔の形式となっている。
かなり高い塔なのだろう。先ほどから何度ぐるぐる回ったか分からない。彼らは毎日のように昇り降りしているというから驚きだ。
途中見かけた部屋は、彼らそれぞれに与えられた私室だが、それは私の世話係が決まってから用意されたものらしい。生活一式は揃えてあるため不便はないようだが、度々降りて不足分を自宅まで取りに行ったり、仕事のために城内へ向かったりするようだった。
今回謁見の話を聞き疑問だったのが、『部屋の外に出られるか』だった。
監視のために軟禁状態の私は、当たり前だが部屋から出てはいけないと言われている。
しかし、以前、好奇心に負けて扉を開けようとしたことがあった。
その結果、静電気にあったかのように触れることができず、しかも何度挑戦しても、魔法を用いても、扉は私を拒絶し続けたのだった。
三人が問題なく出入りしていることを考えると、魔女に対してのみ効果のある魔法でも使っているのだろう。どうやらチート魔女にも越えられない壁があるらしい。
ジュードに聞いてみたかったのだが、逃亡の恐れありとでも判断されたら困るので、今までずっとひた隠しにしてきた。
そういうわけで、今日扉を通る時は少し緊張した。何事もなく通過できたので、一定の条件や解除の方法があるのかもしれない。
「ここが出口だ」
そんなことを考えていると、ついに一番下まで辿り着いたようだった。
ジュードが振り返って私の意思を確認しているようだったので、了承の意を込めて頷いた。
扉が、開かれる。
「――!」
あまりの眩しさにぎゅっと目を瞑った。目が慣れる間、頬を撫でる風が心地好かった。随分と久しぶりの感覚だ。
「ギルダ様」
エヴァンが軽く腰を叩いてきた。
何かの合図のようだったので無理矢理目を開ける。すると、彼と同じ騎士服に身を包んだ男たちの姿が、視界に入ってきた。
騎士たちは全員、私を睨むように見ていてかなり居心地が悪い。
そのなかの一人、髭を生やした壮年の男が一歩前に出てきた。群青のマントをはためかせながら、唸るように言葉を発する。
「お前が魔女ギルダだな」
男の鋭い眼光に身がすくんだ。話しながら腰の剣に手を添えていたので、いつでも斬れるぞと脅されているのだろう。その男だけでなく、全員が剣に触れているようだった。
殺伐とした空気になった。
動けば、斬られる。
私が魔法を使うのと、彼らが剣を振るうのは一体どちらが速いだろうか。
しかし、先に動いたのはジュードだった。
「陛下の意向を邪魔するのか?」
ジュードも一歩前に出た。その言葉に男はぎろりと彼を睨みつけた。
ただ、ジュードも負けていない。
「これは陛下たっての希望だということをお忘れか?」
そう続けると、もしやその頭は飾りではあるまいな、と嘲笑を交えて男を睨み返した。
「…これはこれは、筆頭魔法使いともあろうお方が、国を裏切るということか?」
周りの騎士たちがぐっと体勢を低くした。
「ハッ、何を馬鹿なことを。俺はくだらない自身の名誉などのために、陛下の貴重な時間を無駄にする気かと問うているんだ」
「…チッ…魔法使い風情が……」
騎士たちは抜刀寸前、ジュードもポケットに手を入れて何かを掴んでいる様子だった。
勘弁してくれ!
どうしよう。これは私のために争わないで!とか何とか言ってこの場を収めた方がいいのだろうか。――いやダメだ、そんなギャグが罷り通る雰囲気じゃない。ただ混乱するだけだ。
まぁ私はすでに大混乱だけれども……。
かといって魔法を使おうにも、私は現在、魔力封じ(仮)の手錠をされている。簡単に使えるとバレるのはよくない。
どうしよう。やっぱり私には無理だ。
エヴァン、何とかして……!そう期待を込めて彼を見上げる。
するとエヴァンは、この場にそぐわない極上の笑顔を浮かべて言った。
「ギルダ様はどちらが勝つと思われますか?」
ダメだこの男も役に立たない――!
結局、私が何とかするしかないようだった。
不幸中の幸いか、エヴァンのその様子に緊張が解れて、いつも通りに動けるようになった。
私は、自身と二人に保護魔法をこっそりかけるとジュードの名を呼んだ。
「さっさと行きましょう」
両者は数秒睨み合うと、どちらからともなく視線を外した。「こっちだ」ジュードの先導に従い、先を急ぐ。
彼の意見には賛成だ。あまり先方を待たせるのはよくない。
我々が歩き始めると、騎士たちも周りを囲むようにして歩き始めた。
一見すると、護衛か囚人の移送か分からない。だが彼らの視線はすべて私に向かっており、剣に触れる手はそのままだった。
塔は中庭と面している。これまで見下ろすことしかできなかった中庭の景色は、整然としていてとても美しかった。
中庭を抜けて建物内へと入って行った。
城内の様子など、なかなか見れるものではないのでじっくり観察したかった。
しかし、私が視線を向ける度に騎士たちが警戒するので、ひたすら下を向いていることしかできない。すれ違う人々からの小さな悲鳴や囁き声も、私の好奇心の抑制に繋がった。
ぎゅっと手を握りしめる。
しばらくすると、ジュードが立ち止まったので顔をあげた。
大きな扉の前に立っている。どうやらここが謁見の間のようだった。
扉の横に立つ二人の騎士が、ゆっくりと両開きの扉を開けていった。
――少しだけざわめき声がもれていた室内は、しんと水を打ったかのように静まりかえった。
強張る体に鞭を打って歩みを進めた。自然と下を向いていた。
私の一挙一動が見られている。
どさり、と誰かが転ぶ音がした。
息をのむような音もした。
誰かの、魔女め、という囁き声がした。憎しみのこもった声だった。
疑いようもない事実だった。
あぁ、この部屋の人々は、みんな私を【悪】だと認識しているんだと――。
こんなにたくさんの人に敵意を向けられることは初めてのはずなのに、どこか既視感があった。
ギルダの記憶だろう。そのせいかあまり戸惑いの感情はなく、諦念に近い。
ただ、ずっとギルダはこんな世界を生きてきたのかと思うとぞっとした。
そして改めて、これがこれから私の生きる世界なのかと思うと吐き気がした。
「止まれ」
ジュードが淡々と告げた。初対面の時のような、感情のない声音だった。
ずっと俯いているため周りの様子は分からない。恐らく、今いる位置の目の前に、国王陛下とやらがいるのだろう。
貴族社会において、家格が上の人から話しかけるものだと昔ネット小説で読んだことがある。魔女に身分など関係あるか不明だ。だが、敵意がないことを証明するためにも、許可が下りるまで大人しく待っていた方が賢明だと判断し、黙っていた。
エヴァンにぐっと肩を押された。こちらを全く気遣うことのない力加減だった。押されたと気づくよりも、先に体がよろけた。
私は跪き、頭を垂れた。
室内は再び何の音もしなくなった。私はただただ許可を待ち続けた。
「お前が魔女だな」
体が震えた。
本能的に分かった。彼だ。
「面をあげよ」
気づかれないように慎重に深呼吸した。
そして言われた通りに、ゆっくりと顔を正面に向けた。
そこに、彼はいた。
光を受けて輝かんばかりのアッシュブロンドの髪。さらりと流れるそれはまるでシルクのように美しい。
感情のない翡翠の瞳はじっとこちらを見下ろしており、どこか退屈そうな様子だ。
玉座の肘掛に片肘をつき、その手に顎を乗せながら、麒麟のように長い足を組んでいる。かなり尊大な態度だった。
アーチーの話通り、これまた美術彫刻と見紛うばかりの美貌だった。これまでの人生で出会ってきた人のなかで、一番の造形美の持ち主だと言えよう。
妻子持ちの国王というからそれなりの年齢を思い浮かべていたが、かなり若い。三十代くらいじゃないだろうか。
髪と同じアッシュブロンドの長い睫毛が揺れる度、キラキラの残像が見えた。
エヴァンのスキルなんて比じゃない。こっちは常時発動型だ。
不機嫌そうだが、そんなマイナスポイントはカウントする必要もないくらいに、美点だけで一万点くらい稼いでいる。
なるほど、これならギルダが恋に狂う気持ちがよく分かる。
というより、ギルダだけでなく、多くの女性が彼を射止めようと必死になるだろう。
あまりの神々しさに、返事も忘れてほうっと息を吐いた。
その瞬間、目が合った。――かと思えば、すぐに視線を外されてしまった。
とても自然な流れだったので、目が合ったと思ったのは気のせいだったのかもしれない。
それにしても、瞳は伏せられているのになぜキラキラが見えるのか。光の反射とは……。
目的を忘れてぼんやり堪能していると「答えよ」と側近のような人が催促してきた。
慌てて口を開く。
「えぇ、私が魔女ギルダですわ」
室内がざわめいた。
まるで裁判のように「静粛に、静粛に」と側近が声を張り上げた。
騎士たちは私へ殺意を持って対峙したが、ここにいる人々はそれよりも恐怖の方が勝っているようだった。容姿で魔女だとは認識していたものの、本人の口からその言葉が出てより現実味が湧いてきたというところだろうか。
側近が静かにさせようとしているが、なかなか収まらない。それどころか声が少しずつ大きくなってきていて、いつタガが外れて暴徒化するか分からない状況だった。
「魔女よ」
国王が徐に立ち上がった。
「お前は歴史を繰り返すつもりはあるか?」
そう言って無表情のまま私を見下ろした。
彼には恐怖心や猜疑心、怒り、殺意といった、これまで私が出会った人々が持っていた、どの感情も見受けられなかった。
顔を向けたその時からずっと無の状態で、何を考えているのか分からない。
体中に突き刺さる視線が痛かった。
この場にいる全員が私の返答を待っている。
「……いいえ、陛下」
私のそばに立つエヴァンの手に力が入った。
ジュードもこちらを窺っている。その手は再びポケットに入っていた。
「私は、一切、そのつもりはありません」
しっかりと彼の目を見据えて答えた。
そして心の中で付け足した。
――今日、この時までの考えでは、と。