04.謁見(1)
この部屋唯一の窓から太陽の光が射し込んでいる。雲一つない晴天だ。
直径三十センチ程の円型のそれは、埋め込み型で鉄格子もはまっているため、窓から身を乗り出すことはできない。その光を直に浴びることができたら、さぞ気持ちがいいのだろうといつも思っていた。私の魔法は所謂チートだったが、窓は魔法を跳ね返した。
この部屋と外を繋ぐものは、その窓と扉の二つだけだが、同じく扉にも魔法は効かない。
私は今日、初めて外に出る。
ふら、と体が揺れた。
寝不足による貧血を疑ったが、家具も小さく物音を立てていたので何てことはない。ただの地震のようだ。
私は溜息をこぼすと、洗面所へと向かった。
*
ラプタン王国について話そう。
ラプタン王国は極めて小さな国である。少し歪な円型をしていて、国土の端から端までは馬車で数日行けば着く距離だ。
国土全体が首都のようなもので、王城を中心に大きく四つの地域に区分されている。
国の周りは高く険しい山々にぐるりと囲まれており、山を越えた先には鬱蒼とした森が広がっているらしい。
――らしい、と言うのは、誰も見たことがないからだった。建国伝説同様にそう語り継がれている。
なぜ、誰も見たことがないのか。
答えは簡単だ。急勾配の山々のせいで、国外に出ることも、また国内に入ることも一切できないからであった。
自然豊かな王国と比べると、山はほとんど木が生えずゴツゴツとした岩場ばかりだ。まるで、ここが隠された秘境であるかのようだった。
否、その表現は間違っていないのかもしれない。
そういうわけで、国は生まれてからずっと鎖国状態だった。
おかげで建国以降、一度も外国と戦争をしたことがないらしい。
国内でも内乱はなく、敵といえば魔女ギルダしかいなかった。
そのため、王家はその血筋を途絶えることもなく、代々この国を平和に治めてきた。その人気は絶大で、だからこそこの国には宗教が存在しなかった。正義は王家、悪は魔女ギルダ。言うならば、王家が神のようなものだった。
ただ、国は秘境を守るため、万一のことを考え、大規模な保護魔法を国土全体に施している。有り体に言えば『結界』だ。
もともと山々によって、国外との交通は物理的に遮断されているが、魔法を用いて完全に行来を不可能としているのである。
国中の魔法使いによって保たれているそれは、筆頭魔法使い――ジュードが陣頭指揮にあたっていた。幼い頃から国営施設で育てられるのも、こういった理由があるようだ。
「やっと起きたか」
欠伸を堪えながら食卓へ向かうと、ジュードが長い足を組みながら何やら小難しそうな本を読んでいた。彼は私に一瞥もくれず「もう昼過ぎだが?」と小言を続けた。
本といえば、有難いことに、異世界の記憶がある私でもこの国の言語は理解できた。話し言葉は通じるし、文字も問題なく読むことができる。
最も、文字については日本語ではないので、ギルダが理解しているから私も理解できるといった方が正しい。知らない文字列なのに、なぜだかその意味が頭にインプットされていくので、自動翻訳機を埋め込んでいる気分だ。
「女性には色々事情があるのよ」
椅子に腰を下ろすと、用意されていたクロッシュを持ち上げた。
ふわっといい薫りが広がり、出来立てホヤホヤのスープやパンが姿を現した。保温効果のある魔道具である。
今日もテーブルには、美しい青い花が飾ってあった。
薔薇だった。
青い薔薇だなんて、なんてロマンチックなんだろう。スープを口に含みながらその光景を堪能していると、いつの間にかジュードが横に立っていた。
「あまり寝られなかったのか?」
彼の指が、するりと私の目の下をなぞる。クマが出来てしまったので、それのことだろう。
「……何だか緊張して」
「おや、あの魔女ギルダが?」
「えぇ、あの魔女ギルダが」
お互いクスクス笑い合う。
ジュードは撫でながら、もう一方の手でぱちんと指を鳴らした。魔法で消してくれたらしい。
お礼を告げると「俺は人類史上、初めて魔女を癒した魔法使いかもな」と楽しそうに笑った。
しばらくして、彼は私が食べ終わったのを見届けると、食器を下げてティーセットを用意した。食後の一服だが、その表情は真剣だったのでそんな和やかなものではない。
視線を合わせると、彼はたっぷり一呼吸置いて「この後のことだが」と話し始めた。
「謁見は大体二時間後だ。陛下だけでなく、国中の要人たちが集まる。お前はただ聞かれた質問に答えるだけでいい。余計なことは一切喋るな。分かったか?」
――やはり、人が集められたか。きっと見世物のようになるのだろう。
「少女もそこに?」
「…あぁ」
「舞台が用意されているわけね」
自嘲めいた笑いになってしまった。
未だにどこか他人事のような感覚があったが、そんな暢気な考えでいられるのもこれで最後なのだろう。
間違いなく、謁見を境にして私の人生は変わる。
今までは秘匿されてきたが、魔女ギルダの存在は公になったのだ。私の運命はこれの結果次第で決まるだろう。
そうだ、もしかしたらまた封印されてしまうかもしれない。
もっと悪いと、今度こそ――。
「ギルダ」
ふわっと顔に風がかかった。魔法だ。
ジュードが眉間にシワを寄せている。
「余計なことは考えるな」
その言葉ににこりと微笑んでみせた。
「大丈夫よ」
しかし、微笑んだにも関わらず、ジュードのシワは消えない。
「……どれだけ手助けできるかは分からないが、一応、俺もその場にいる」
「あら、ありがとう。心強いわ」
これ以上この話を続けたくなくて、ティーカップを手に取り終わりを示唆した。
彼はまだ何か言いたそうにこちらを見つめていたが、私が頑なに意思を曲げなかったのですぐに諦めたようだった。
今度は話が服装に切り替わった。
「正式な場だから着替えてもらいたいんだが、お前はフォーマルな衣装を持っているか?」
「いいえ、持ってないわ」
答えを聞いた彼は頭を抱えた。
「だよなぁ……。一応、俺の方で仕立屋に用意を依頼したんだが、その……」
「?」
「……魔女には売りたくない、と」
なるほど。魔女御用達の仕立屋だなんて噂になったら、評判ガタ落ちだ。
この論理でいくと、この先この国で何も買い物をすることはできないだろう。
しかし、そこはチート魔女ギルダ。これくらいの逆境どうってことないのである。
「ふふ、私を誰だと思ってるの?それくらい簡単に用意できちゃうんだから」
指を鳴らすと、一瞬で光沢のある、黒のマーメイドドレスが現れた。
デコルテから腕にかけて緻密なレースで覆われている。着ればちょうどよい具合に素肌がちら見えするだろう。きゅっと絞った腰のラインからの曲線も、とても優雅だった。
ジュードは瞠目して言葉を詰まらせたが、すぐに手に取って確かめ始めた。
「……流石の一言に尽きるな」
恍惚とした溜息がもれた。どうやらお眼鏡に適ったようだ。
「当たり前よ。これで問題ないかしら?」
ジュードは頷いた。
「それじゃ、時間までに着替えておいてくれ。この後俺は用事があるので少し出るが、時間になったらまた戻ってくる」
「了解」
ジュードは後からエヴァンも来ることを告げると、足早に出て行った。
*
鏡の前に立つ。
そう、例の鏡だ。
先ほど魔法で用意したドレスは、ギルダの容姿にぴったりだった。
体のラインに沿って流れるような曲線が美しく、妖艶さが際立っている。赤髪と黒のコントラストは眩しく、一度目についたらなかなか離れない。
いかにも悪女といった風貌だ。一周回ってわざとそういった服を選んだ。
「我ながらいいチョイスね」
どうせだったら存分に着飾ってやろうと思い、化粧もした。もちろん、これも魔法で用意したものである。
ギルダの顔立ちはもともとはっきりしているので、あまり手をかけることもなく、完璧なレディーへと変身を遂げた。
顔だけでなく、ギルダは肌も美しい。レースの隙間からちらりと見えるそれは、思った以上に扇情的に仕上がった。
ただ、ここだけの話、その瑞々しい肌にも欠点があった。右足の付け根と足の甲に、大きな黒い痣のようなものがあるのだ。
正直、ちょっとグロテスクである。蒙古斑か皮膚病か、はたまた傷痕なのかは不明だ。ファンデーションやコンシーラーでもうまく隠せないので非常に残念である。簡単には見えない場所だったのがせめてもの救いだ。
くるりと回って全身を確認していると、後ろから足音が響いてきた。
「とてもお似合いです」
エヴァンはそう言って口元を緩めた。
キラキラエフェクトスキルの存在を疑うほど、本日もその姿は輝いている。
「……」
魔女らしく黒を選択したが、図らずも爽やか騎士様と対のようになってしまった。
エヴァンは反応のない私に「ギルダ様?」と声をかける。中腰になって、ぐっと顔を近づけてきた。
びっくりして、思わず一歩後退する。
その瞬間、がしっと腕が掴まれた。
「もしやお加減が優れないのですか?」
いかにも心配ですという様に眉が下がった。
「……いいえ、平気よ。何でもないわ」
「あまり無理はされませんよう」
困ったように笑う彼は、腕を放す際、少しだけ掴む力を強める。
彼の流れるような賛辞を聞きながら、私はほんのり赤くなったそれを見つめた。
――逃げるなとでも言いたいのかしら。
別にそんなことは全く頭にないのに――そうぼんやりと考えていると、声がかかった。
「ギルダ」
肩を叩かれて顔をあげると、どうやらジュードも戻ってきたようだった。
「準備できたようだな」
さすがに彼も正装に着替えている。
「?」
そしてその手には、何かが握られていた。
私の視線の先に気がついたのか、彼は目の前にそれを差し出した。
「……これをはめてもらう」
それは――手錠だった。
「………」
声が出なかった。
辛うじてひとつ、頷くだけだった。
「魔力封じの魔法をかけてある。俺特製の手錠だ。お前に効果があるか分からないが、一応形だけでもやっておかないとうるさいからな」
――準備ってこれのことだったのね。
抵抗感はなかった。
ただ、容姿というあまり実感のわかない罪人の証と違い、それはあからさまな物だったので、心がすっと冷えていった。
両腕にはめられたそれはとても軽く、肌に擦れて痛いこともなかったが、ひどく重く感じた。腕ではなく、心に枷がかけられたようだ。
幸か不幸か、若干の束縛感はあったものの、魔法が全く使えない感じはしなかった。
繰り返すが、チート魔女万歳である。人知れず乾いた笑いを浮かべた。
男二人は顔を見合わせ、頷いた。
「それでは、行きましょうか」
エヴァンが私の腰に手をそえた。
ジュードはそれを一瞥して、先導するように歩き始める。
こうして私は、≪断罪≫の場へと向かったのだった。