03.強制力
スパンッと小気味良い音が部屋に響く。
乙女の鉄拳――正確には手のひらだが――が遂行されたのであった。
アーチーは悲鳴を上げた。
「何で叩くんですか!?」
「うるさい。魔法も楽しいけれど、やっぱり物理はいいわね、物理は。やった感がある」
「わ…悪い魔女だ……!」
小動物よろしく震えるアーチーをじろりと睨みつけ、手に本を呼び寄せた。
「何言ってるのよ、グゥじゃないだけいいじゃない。十分優しい魔女よ」
「じゃあなんで本を持つんですか!?」
「次はこれにしようと思って」
優しくにこりと笑いかけると、彼は瞬時に縮み上がった。「グゥより絶対痛いに決まってます!」椅子に両足を乗せ、腕でぎゅっと頭を抱えて小さくなった。小刻みに震えながら守りの態勢に入っている。
「僕が何をしたって言うんですかぁ」
アーチーは半泣きで無実を訴えてきた。
私は口をへの字に曲げると、腕を組んだ。そして一つ溜め息を吐く。
「ねぇ、もしかしてアーチーは、私のことただの物知りババアくらいにしか思ってないんじゃない?」
「おもってないです…」
「形容詞のひとつくらいには?」
「……」
「……」
「!いたっ、いたい!」
いらっとしたので、本の角をぐりぐりと腕にねじ込んだ。
「しかも今回もフラれると思ってるでしょ」
「……」
「……」
「…あ!やだ!やめて下さい!~~だ、だだだって…!」
「……だって何よ」
手を止めて続きを促すと、腕を下ろしたアーチーはそろりとこちらを見上げた。瞳をうるうるさせながら、鼻を啜る。
「しょ…初代王もそのしばらく後の王も、美しい貴女を拒んで異世界の少女の手を取ったんですよ……?きっと王家の方は、妙齢の女性よりも少女が好きなんだと思うんです……」
「……」
「少女趣味なんですよ……」
「……」
「…ギルダ様?」
「…………ねぇ、アーチー、貴方……」
「はい」
「…よく今まで不敬罪にならなかったわね……」
「?」
無垢な顔でこてんと首を傾げている彼を見ていると、なんだかどっと疲れてしまった。
詰めるのも体力の無駄にしかならない。やめよう、やめよう。
アーチーは怪訝そうな顔をしていたが、解放されると途端に笑顔を浮かべた。上機嫌でティーカップを手に取って喉を潤している。
「それなら王は異世界の少女と結婚したの?」
「いえ、違います。少女たちはすぐに元の世界に帰ったと言われています」
なんだそりゃ。
結局王もフラれてるじゃん。
*
ロリコン王族という強烈なワードが未だ頭に残っていたが、ここでふと、いつもの光景と異なることに興味がいった。
「あの二人は今日は来ないの?」
今この部屋には私とアーチーの二人しかいないが、普段はあともう二人の姿が在る。
一人はアーチーの師匠である、ジュード・ディアスだ。幼い頃から稀代の天才と謳われてきた、王宮筆頭魔法使いである。
曰く、私のお世話係とのことで、ギルダとして生きることを決めたあの後、彼がこの部屋までやって来て出会ったのが始まりである。
記憶のない私に、この国の成り立ちなど、最低限の知識を教えてくれたのも彼である。
ちなみに、国としては天才筆頭魔法使いを魔女の側に配置し監視、あわよくば殺害する狙いがあるのかもしれないが、やはりというか、彼よりも私の魔力の方が何倍も優れていたのであまり意味がない。どちらかといえば、私が国の要人を人質としている構図だ。
幸いなのは、本人がそれについて一切気にしていないということである。
というのも、ジュードもアーチー同様研究者タイプで、嬉々として魔女の知識を吸収していた。おかげで、魔女である私とも分け隔てなく接してくれている。
もう一人は、王宮騎士団所属のエヴァン・ウィスローである。所属から分かるように、彼は魔法使いではなく騎士だ。
曰く、私の護衛。彼もジュードと同じように、あの日この部屋にやって来てから、ずっと私に仕えている。爽やかな好青年で、いつもにこにこ笑っている。気配りもできて自然とエスコートができるような、そんなスパダリだ。
だが、私は彼のことをあまり信用していなかった。考えてもみてほしい。
――魔女に護衛など、必要か?
私も一介の女子として、スパダリ騎士様に「貴女を命に代えても守ります」などと言われたら、舞い上がってしまう部分もある。
しかし、私は何を隠そう悪名高き魔女である。
二度に渡って国を滅ぼそうとしてきた女は、騎士が守るべき“お姫様”などではない。騎士が斬るべき“敵”だ。
よって、彼は国から派遣された暗殺者と考えて間違いないだろう。
あるいは、端から魔女の絶対的な力には敵わないと踏んでいて、天才魔法使いを守る盾として用意したのかもしれない。
いずれにしろ、彼はジュードやアーチーよりもうんと警戒するに越したことはない。師弟と違って、彼には私の側にいることで得られる利益が何一つないのだから。
「いえ、そのうち来るはずですよ。お二人とも早朝に召集があったみたいです」
「……もしかして異世界の少女絡み?」
「当たり前です」
逆にそれ以外に何か?とでも言うように、アーチーは鼻で笑った。
「……ねぇ、でもおかしくないかしら」
「何がですか?」
頬杖をついて例の鏡をぼんやり眺めた。あの日の彼女にはあれ以来一度も会っていない。
「私、今回はまだ何もしてないでしょう?それなのに異世界の少女が来るなんて」
「ええ…その辺りも含めて、話し合いが行われているんでしょうね……」
沈黙が落ちる。
するとタイミング良く扉が開き、人が入ってきた。
ジュードとエヴァンだ。
「おはよう」
艶のある黒髪は胸元まで伸び、片側でゆるく編まれている。鼻筋が通った人目を引く容姿は女性たちの憧れで、その筆頭魔法使いという役職も彼が天から愛されていることを顕著に表していた。美しいタンザナイトの瞳に見つめられたい立候補者が後を絶たない。
普段は黒シャツに黒のパンツといったラフな服装を好んで着ているが、今日はお偉方に呼ばれたからか、珍しく正装だった。
「おはようございます」
一方、柔らかい笑顔を見せたエヴァンは、いつものように騎士の白い正装だった。短く切り揃えられたブルネットの髪は清潔感があり、より一層彼の好青年さを際立てていた。
王宮勤めは見た目の審査もあるのかと疑うほどに彼も容姿端麗で、どこぞのアイドルのように甘い顔立ちだ。透き通るような青の瞳が、これまた憎いくらいにきらめいている。
「アーチーから聞いたか?」
ジュードは私の隣に腰を下ろすと、一息つく間もなく話し始めた。
椅子にもたれて腕を組む姿は、少々疲弊している様子だった。
「ええ、聞いたわ」
「今回の一件でお前のことが元老院にバレた。詳しく説明させられたよ」
ジュードは軽く肩を竦めると低い声で毒づく。「ジジイどもは朝からお元気そうで、本当になによりだ」大きな舌打ち付きだった。
「もちろん、元老院だけでなく、国全体に魔女ギルダの復活が伝わった」
「城門まで民が来ているそうね」
「そのようです。来る途中、同僚に会ったので話を聞いたのですが、騎士団総出で対処しているとのことでした」
エヴァンがゆるく首を振った。
魔女の復活は、極秘中の極秘だった。
知っているのは、ここにいる三人と国王の、たった四人だけだった。
私の記憶がないことを考慮して、しばらくこの部屋で様子を見ると説明を受けていた。
ここでピンと気づく。
これまでずっと、なぜ魔女に対し、そんな寛大な処置が施されているのかが疑問だった。
その理由がやっと分かった。
恐らく国王は、この時を待っていたのだ。
徒に魔女の存在を明らかにして国を混乱させるよりも、悪を倒す武器を手に入れていることを同時に示した方が、混乱は抑えられる。
だからこそ、異世界の少女が来るまで、温情だと偽り私を匿ってきた。何もなければ、それはそれで構わないのだから。
私が浅はかだった。同情でもしてくれたんだろうかと安易に考えていた。
ただ、アピールしたかったのだ。
「ギルダ、明日陛下に謁見することになった」
王家は既に魔女を捕らえている、と――。
すべてはこの為だったのだ。
彼らの表情から何となく話が読めていたが、これに反応したのはアーチーだった。
「それは…それは……。僕は反対です!」
「お前にその権限はないだろう。それにこれは陛下直々の命令だ。俺にも覆せない」
「でも、ギルダ様と陛下が会ったら……」
アーチーはぎゅっと奥歯を噛みしめながら私を一瞥した。瞳が不安げに揺れている。
「何がどうなるかは分からない。すべては仮定の話だ。少なくとも、今のギルダは潔白だ」
「潔白、ね」
思わず笑い声がもれた。
つい先ほど、陛下とは会わない方がいいと話していたのに、こうも急展開を迎えようとは。これが所謂、異世界モノの『強制力』なるものか。
しかし、私の場合、一般的なネット小説とは異なり、元となるものは原作ではなく伝説だ。それも限りなく史実に基づいている。
それでも、強制力はあるのだろうか。
私は、本当に恋をしてしまうのだろうか。
「潔白といえば、俺はなぜ、異世界の少女が現れたのかが気になります」
睨み合う二人をエヴァンが遮った。
指の腹を合わせながら――俗に言うシャーロックホームズハンド――目を伏せて考え込んでいる。彼はそのまま言葉を続けた。
「過去二回の時と違って、特段≪災厄≫に該当するようなことは起こってませんよね。それなのに、なぜ来たんでしょうか」
「それは僕も疑問に思っています。てっきりそれについても話し合いがされたのかと……」
ジュードがまた舌打ちした。
「話していない。パニック状態のジジイどもにはそんなことどうでもいいことだ。あいつらにとって大事なことは、悪が復活したこと、救世主が現れたこと、ただそれだけだ」
それもそうだろう。三人はこの一ヶ月間、共に過ごしてきたから私の現状について理解している。しかし、その他の人々は悪の再来だ何だとそういった反応になるはずだ。
「ギルダ様」
ふと名前を呼ばれて顔を向けると、エヴァンが背筋を正し、口を引き結んでいる。
曇りのない青がじっとこちらを見つめていた。
「心当たりはありますか?」
「――!」
心臓がぎゅっと掴まれているかのように呼吸が苦しくなった。
初めての感覚だった。
彼から目を逸らせない。
体が動かない。
まるで蛇に睨まれた蛙のようだった。
――疑われている。
何もしていない――。
ただ、その一言を伝えればいいだけなのに、なぜこうも難しいのか。
「エヴァン」
トントン、とジュードが彼の名前を呼びかけながら、テーブルを指先で鳴らした。
ふっ、と一気に空気が軽くなる。
アーチーの気の抜けたような呼吸の音がした。
私は、それでもエヴァンから目が離せなかった。見つめていると、鋭い眼光がふわっととろけて、いつもの好青年エヴァンの顔になる。
申し訳ありません、と彼は口角を上げた。
「………わ、たしは…」
震える拳を気づかれないように、強く握った。
「何も……していないわ」
視線は外さなかった。
意地だった。
エヴァンは私の返答に「そうですか、それなら良かったです」と目映い笑顔を向けると、ここに来て初めてティーカップに手をつけた。
私もそれに倣って一口含んだが、冷えきっていて味はよく分からなかった。